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ウィリアム・ヘイ (第5代エロル伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第5代エロル伯爵ウィリアム・ヘイ英語: William Hay, 5th Earl of Erroll PC1495年ごろ – 1522年7月28日)は、スコットランド貴族

生涯

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第4代エロル伯爵ウィリアム・ヘイ英語版と1人目の妻クリスチャン(Christian、旧姓ライアン(Lyon)、1508年8月21日と1509年5月17日の間に没、第3代グラームズ卿ジョン・ライアン英語版の娘)の息子として[1]、1495年ごろに生まれた[2]

1513年9月9日に父がフロドゥンの戦い英語版で戦死すると、エロル伯爵位を継承、10月20日に父の遺産継承者として認定された[1]。スコットランド王ジェームズ5世の治世にスコットランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命され[2]、1515年にフランス王国への使節として、1516年にイングランド王国への使節として派遣された[1]

1522年7月28日にエディンバラで死去、クパー・アンガス英語版で埋葬された[1]。一人息子ウィリアムが爵位を継承した[1]

家族

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1520年までにエリザベス・リーヴェン(Elizabeth Ruthven、1529年12月9日までに没、初代リーヴェン卿ウィリアム・リーヴェン英語版の娘)と結婚[2]、1男をもうけた[1]

第5代エロル伯爵の死後、エリザベスは1523年12月12日に第3代ロス卿ニニアン・ロス英語版(1556年2月没)と再婚した[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g Paul, James Balfour, Sir, ed. (1906). The Scots Peerage (英語). Vol. III. Edinburgh: David Douglas. pp. 567–568.
  2. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 96.
軍職
先代
第4代エロル伯爵英語版
スコットランド大司馬英語版
1513年 – 1522年
次代
第6代エロル伯爵
スコットランドの爵位
先代
ウィリアム・ヘイ英語版
エロル伯爵
1513年 – 1522年
次代
ウィリアム・ヘイ