イヴァン・グロハル
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イヴァン・グロハル Ivan Grohar | |
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生誕 |
1867年6月15日 スロベニア, Spodnja Sorica |
死没 |
1911年4月19日 スロベニア,リュブリャナ |
運動・動向 | 印象派 |
イヴァン・グロハル(Ivan Grohar 、1867年6月15日 - 1911年4月19日)はスロベニアの画家である。
略歴
[編集]スロベニア、ゴレンスカ地方のSpodnja Soricaの農家で生まれた。1892年から1895年の間、グラーツの宗教画の学校で学んだ後、1895年の秋にミュンヘンに移り、美術館で巨匠の作品を模写して修行した。1897年の夏、スロベニアに戻り、シュコーフィア・ロカにスタジオを開いた。シュコーフィア・ロカで画家のリハルド・ヤコピッチと知り合い、ミュンヘンでの修業を続けるように勧められ、リュブリャナなどで肖像画を描いて資金を貯めて、ミュンヘンのアントン・アズベの美術学校で1897年から1899年まで学んだ[1] 。
アズべから印象派の絵画のスタイルを学び[2]、スロベニアに戻り、1903年にはウィーンでスタジオを借り、1904年に他のスロベニア人画家、ヤコピッチ、マテイ・ステルネン、マティヤ・ヤーマ、フェルド・ヴェセルと展覧会を開いた[1]。
その後、スロベニアに戻って活動し、新印象派のスタイルの作品も描いた。結核に患っていて1911年に43歳で死去した[1]。
2007年から発行されたスロベニアの5セントコインのデザインにグロハルの作品『種撒く人』のデザインが採用された。
作品
[編集]-
Deklica (c.1893)
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フランスの農民 (c.1900)
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種撒く人 (1907)
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(1907)
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(1908)
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ジャガイモの収穫 (1909)
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荷車を引く男 (1910)
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(1911)
脚注
[編集]- ^ a b c Anica Cevc, Ivan Grohar, in Ausst. Kat.: Wege zur Moderne und die Ažbe-Schule in München, Museum Wiesbaden 1988, S. 135
- ^ Emilijan Cevc, Slowenische Impressionisten, in Ausst. Kat.: Slowenische Impressionisten aus der Nationalgalerie in Ljubljana, Institut für Auslandsbeziehungen, Stuttgart 1984, S. 17
参考文献
[編集]- Emilijan Cevc, Slowenische Impressionisten und ihre Vorläufer, in Ausst. Kat.: Slowenische Impressionisten und ihre Vorläufer aus der Nationalgalerie in Ljubljana, Oberes Belvedere, Wien 1979
- Emilijan Cevc, Slowenische Impressionisten, in Ausst. Kat.: Slowenische Impressionisten aus der Nationalgalerie in Ljubljana, Institut für Auslandsbeziehungen, Stuttgart 1984
- Tomaž Brejc, Slovenski impresionisti in Evropsko slikarstvo. Barbara Jaki, et al., Ivan Grohar: Bodočnost mora biti Lepsa. Ljubljana, 1997