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イオアン3世(Иоанн III , ? - 1091年8月14日)はキエフと全ルーシの府主教(在位:1090年-1091年)。ビザンツ出身。
1090年にフセヴォロド大公の娘ヤンカと共にキエフに到着した。彼はその時既に死病にかかっており、一年も経たぬうちに、1091年8月14日に死去した。
同時代人からは、特に学があるわけでもない「普通の人」と評された。去勢していたことが「過ぎし年月の物語」に記されている。
ユーリエフ主教マリンの叙聖を取り仕切った。