アントワーヌ=アルフォンス・モンフォール
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アントワーヌ=アルフォンス・モンフォール Antoine-Alphonse Montfort | |
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ポール・ドラローシュによる肖像画 | |
生誕 |
1802年4月3日 パリ |
死没 |
1884年9月28日 パリ |
アントワーヌ=アルフォンス・モンフォール(Antoine-Alphonse Montfort、1802年4月3日 - 1884年9月28日)はフランスの画家である。風景画や風俗画を描いた。中東の探検調査に参加し、その風俗を描いたスケッチも残した。
略歴
[編集]パリで生まれた。1816年からオラース・ヴェルネのもとで学び、1820年からはアントワーヌ=ジャン・グロのもとで修行した。テオドール・ジェリコーの指導も受けた[1]。
ヴェルネの推薦を受けて1827年から1828年の間は航海の記録を描く画家として、フリゲート艦「ラ・ヴィクトリュー(La Victorieuse)」に乗船して、地中海を横断し、コルシカやマルタ、ギリシャの島々、イスタンブール、シリアやエジプトの海岸を訪れた[2]。
1837年から1838年に行われたシリア、レバノン、パレスチナの調査に参加し、現地の衣装を着て、キャラヴァンで旅し、アラビア語を学んだ[3]。現在、フランス国立図書館に残されている探検の資料の中に、モンフォールの旅行日記とスケッチは残されている。この旅の経験は、後のモンフォールの作品に反映されている。
サロン・ド・パリには1835年から出展し、1881年まで毎年参加した。パリ国立高等美術学校で長く教えた。
作品
[編集]油絵
[編集]-
フォンテーヌブロー宮殿を去るナポレオン
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鷹狩への出発 (1867)
中東の風景・他
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キャラヴァン
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ベイルートの泉
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アラビアの井戸
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ベドウィン
参考文献
[編集]- ^ Site universdesarts.com, page sur Antoine-Alphonse Montfort, consulté le 3 mai 2020.
- ^ Site lanouvelleathenes.fr, page sur Antoine-Alphonse Montfort, consulté le 3 mai 2020.
- ^ Site louvre.fr Notice d'Œuvre Halte d'une caravane, consulté le 3 mai 2020.