アル・ボックマン

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Al Bockman
アル・ボックマン
生年月日 不詳年
没年月日 不詳年
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 照明技師
ジャンル サイレント映画トーキー
活動期間 1920年代
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アル・ボックマンAl Bockman, 生没年不詳)は、アメリカ合衆国照明技師である[1]ジェイ・マーチャントアルフレッド・ゴズデンらとともに訪日し、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画に派遣されたユニヴァーサルの技術者である。

人物・来歴[編集]

生年生地不明。

時期は不明であるが、1920年代までにユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に入社し、電気部に所属する[1]。1916年(大正5年)以来、日本市場に進出していたユニヴァーサルは、1926年(大正15年)9月、独立直後の若手スター俳優阪東妻三郎と組んで、製作会社「阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画」を日本に設立、カール・レムリが日本に送り込んだスタッフの1人として、監督のジェイ・マーチャント、撮影技師アルフレッド・ゴズデン、ハロルド・スミスらとともに同年10月4日に横浜港に上陸している[2]。1927年(昭和2年)1月28日に公開された山上紀夫監督の『切支丹お蝶』、同年2月4日に公開された川浪良太監督の『笑殺』には、それぞれ照明技師としてクレジットされている[1][3]。同社は同年5月末には契約解除となり、ボックマンら技師たちは帰国となった[2]

帰国以降の作品歴・消息は不明である[1][3]

フィルモグラフィ[編集]

特筆以外はすべて照明作である[1]。多くの記録が不明である。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Al Bockman, Internet Movie Database (英語), 2010年7月23日閲覧。
  2. ^ a b 小松弘「モダニズムの成立-一九二七年における日本映画の状況-」『早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第3分冊日本文学演劇映像美術史日本語日本文化』第50巻、早稲田大学大学院文学研究科、2004年、25-42頁、CRID 1050282677496040448hdl:2065/8549ISSN 1341-7533 
  3. ^ a b アル・ボックマン、日本映画データベース、2010年7月23日閲覧。

外部リンク[編集]