アッボ

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アッボ (フランス語: Abbon) は、730年代プロヴァンスのパトリキウスモーリエンヌ領主、スーザ侯ブザンソンワルダレヌスの一族である。アルプス山脈スーザ渓谷アンブランギャップを支配し、マウロントゥスと争った。

736年と739年にフランク王国宮宰カール・マルテルとその弟キルデブラント1世が、マウロントゥス討伐のためローヌ川下流渓谷に遠征した。この時にアッボはフランク軍を支援し、マウロントゥスがアルプス山脈に逃れると、彼から没収された領地をそのまま与えられ、パトリキウスに任じられた。アッボがピピンカロリング家に従った時期は遅めであるものの、彼に後継者がおらず独立世襲勢力となる恐れが無いことから、逆に彼自身への信頼と急速な勢力拡大を勝ち取ることができた。彼が死去した際、彼の遺志により[1][2][3]ピエモンテノヴァレサ修道院が建てられ、彼のすべての遺産が寄進された。この修道院は726年に聖ペトロにささげられた。

脚注[編集]

  1. ^ Geary, Before France and Germany, 218. His will was composed in 739, and dates itself to the twenty-first year of Charles' government.
  2. ^ Reference to the manuscript of the will: BnF, lat. 13879 (f. 38r-57r) – Cartulaire A de saint Hugues
  3. ^ Digitized version of the will: BnF, lat. 13879 (f. 38r-57r) Bibliothèque nationale de France. Département des manuscrits.

参考文献[編集]