Wikipedia:井戸端/subj/引用元のブログが削除されたとき

引用元のブログが削除されたとき[編集]

存命人物の記事について一般的な質問です。Wikipedia:存命人物の伝記では、"出典無き批判は除去"とあり、また"信頼できる情報源"として本人のブログが挙げられていますが、ブログを出典とする批判的内容がウィキペディアに掲載された後に、ブログが消されてしまった場合はどのような対応をとるべきなのでしょうか。--サイフォン 2009年5月2日 (土) 06:46 (UTC)[返信]

本人のブログが信頼できる情報源として扱えるのは、その本人のことに限られます。
そのブログで他者を批判していた場合は、信頼できる情報源とはなりません。
本人のブログで、自らが自己批判していたのであれば、出典情報のところで、閉鎖の告知や報道があればそれを情報源として閉鎖の旨を加筆、なければ、いつ確認したら閲覧できなくなっていたかを書くことになると思います。ただし、その内容自体がどれほど重要か、ということも考慮して、記述するかどうかを考える必要はあると思います。
本人のブログで書かれたことに対して他者からの批判があり、本人のブログに何が書かれていたかということの情報源として、そのブログが示されていたということであれば、問題となるのは「他者からの批判」についての情報源の信頼性ですから、ブログが削除されたことは影響しません。--Ks aka 98 2009年5月2日 (土) 07:24 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。存命人物の公式サイト・ブログでの言動が、正しい形の引用のもと批判的な文脈でウィキペディアに反映されたという前提で、質問しました。
ブログでの言動が特筆性に値するか否かについては別次元の問題として、ウィキペディアへの投稿時点で閲覧できていたブログのエントリーについては、その後削除されたとしても信頼できる情報源として有効なのでしょうか。また、引用元が削除された後に閲覧するユーザー・管理者にとって、出典がリンク切れでは確認しようがありませんが、デッドリンクを出典とする批判的内容が、除去すべき独自研究と看做されることがないと捉えてよいのでしょうか?--サイフォン 2009年5月2日 (土) 08:22 (UTC)[返信]
重要な情報源であれば{{リンク切れ}}テンプレートを貼付しておいて下さい。URLなどの情報が分かっていればウェブアーカイブなどの手段で参照できる可能性があります。そのブログを引用している他の情報源を見つけることも可能です。ただ、情報が散逸していて探しても見つからないという状態になれば、検証不能な記述として除去されるかも知れません。 --Yhiroyuki 2009年5月2日 (土) 08:56 (UTC)[返信]
◆情報源が信頼できる情報源とした上で、一般のインターネット上の情報源については、その閲覧日も付記しておくことで、それが削除された後であっても、確認できないという理由で即削除される理由にはなりません(これは別にウィキペディアのルールではなく論文とかそう言った物全般に言えることです)。情報源を確認できないことは望ましくないので、別の情報源や新たな情報源を用いた方が良いのは言うまでもないことですが、情報源が削除されているからといって、それを理由に該当する記述を問答無用で削除するることはできません。--EULE 2009年5月2日 (土) 09:53 (UTC)[返信]
◆仮にInternet Archive等にアーカイブが残っていた場合は、検証可能性を満たすためにアーカイブへのリンクを記載しておくのも有効策かと思います。日本語版にはありませんが、英語版のTemplate:Cite webには、アーカイブへのリンクを記載する項目があります。--Mugu-shisai 2009年5月2日 (土) 14:52 (UTC)[返信]
◆基本的に、リンク切れでも「検証可能性」は満たすと捉えることはできると思います。代替する情報源があればそれを加え、リンク切れであってもURLは情報として残すのが好ましいと思います。ただ、最初からリンク切れとして加筆されたような場合や、加筆からあまり時間が経過していない、他者の編集がほとんどないような場合は、虚偽である可能性を検討する必要があると思います。
「公式サイト・ブログでの言動が、正しい形の引用のもと批判的な文脈でウィキペディアに反映された」というのは、その批判自体の信頼できる情報源が必要となります。批判の対象となる「公式サイト・ブログでの言動」が存在したということについては、本人のブログは信頼できる情報源となるでしょう。それが批判の対象となるべきことかどうか、その言動への批判があることは百科事典として必要かどうかについて、Wikipedia:存命人物の伝記#批判、あら探しWikipedia:中立的な観点に沿って判断・記述することが求められます。
本人のブログが信頼できる情報源となるのは、本人ならば当然知っている事実や、ある情報を自ら公開していること、ある意見を述べていることについては、信頼できる情報源とみなされますが、それ以外の文脈では個人のブログの記述に過ぎず、信頼できる情報源とはみなされません。
先に書いたように、自分自身への批判的な言辞があるような場合でなければ、削除・閉鎖などによるリンク切れとなったかどうかを問わず、そのブログを情報源として批判的内容を書くことはできません。たとえば、漫才コンビやバンドのメンバー間での批判など、批判の内容そのものが重要ではなかったり、批判されている行為などについては別に信頼できる情報源があるのだけれど、批判者とその対象の関係性から、批判があったことが重要となるようなこともあるかもしれません。また、その個人がある情報を自ら公開していることを示すための情報源、または、ある意見を述べていることについての情報源として用いられているのであれば、閉鎖なり削除なりの経緯や内容を考慮する必要があるでしょう。
そうした場合は、既にみなさんが挙げているように、対応の仕方は複数あるのですから、重要性や、批判の深刻さ、情報が存在していたことの確かさ、などを考慮して最善と思われるものを選ぶことになると思います。--Ks aka 98 2009年5月2日 (土) 17:11 (UTC)脱字挿入--サイフォン 2009年5月3日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
コメントありがとうございました。アーカイブが残っているならまだしも、第三者には検証不可能なデッドリンクが出典として有効であるということは個人的に釈然としないものの、そのような慣行があるということを教えていただきまして、ありがごうとざいました。--サイフォン 2009年5月3日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
一応、私の意見に関しては一般論であって、ウィキペディアには検証可能性のルールがあるので、これを否定するわけではありません。ですから、削除できないのであって、ある程度の猶予期間を設ける、ノートでの議論など、適切な手段を経れば削除したって問題は無いと考えます。もし、それが百科事典に有用な情報であるならば、リンク切れ程度で完全に消滅してしまう代物ってことは無いと思いますし。--EULE 2009年5月4日 (月) 00:06 (UTC)[返信]
えとさー。
なくなっちゃえばまあまあわかりやすくて鮮やかなんだけどさ、もっとめんどくさいのが「書き換えられてしまったとき」とかだったりして。「どのような対応をとるべきなのでしょうか」というところを出発点として「情報の信頼性担保ってどうやりゃいいのか」みたいなことを考えてみるのも楽しく有益なことなんじゃない? 憂鬱なことかもしれませんが(=^_^;=)。
まあここらへんなんだ。書籍とかでも改版を明示せずにつっこまれたところを黙って修正するような著者だって珍しくはないわけで「情報の信頼性」って話全体に及ぶことのような気もするんだけどね。--Nekosuki600 2009年5月2日 (土) 15:08 (UTC)[返信]
「情報の信頼性担保」という切り口としては、悪意ある編集者がリンク切れを悪用して、既に閲覧できなくなったテキストを歪曲して引用ないし、出典としてウィキペディアに反映するリスクも考えるべきでしょうか。--サイフォン 2009年5月3日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
私の意見に関せば「その閲覧日も付記しておくこと」が重要なことです。例え、削除でなく改変であろうと「その閲覧日」の情報は改変後の物ではないので。そしてサイフォン氏のおっしゃるリスクは当然、存在しますが、リンク先の削除だろうが改変だろうが、あるいは悪意ある編集者であろうが、先にも述べたように、編集内容と出典に差異が感じられたら、それを理由に即削除するのではなくて、まずノートなどで指摘してみることが重要かと思います。--EULE 2009年5月4日 (月) 00:06 (UTC)[返信]