Wikipedia:井戸端/subj/共同作業=共同危険行為ではない

共同作業=共同危険行為ではない[編集]

スポーツ選手の記事の記述内容、とりわけプレースタイル、選手の能力に関わる記述に関して、ユーザーが主観的な印象値によって選手の能力を定義するという、基本方針Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないで記されている方針から逸脱した記述(いわばファンサイト的な記述)が多々見受けられ、その解決策としてWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト スポーツ人物伝#プレースタイル検討案でプレースタイルに関わる記述のガイドラインの作成が提案され、議論、合意形成、改定を経てWikipedia:ウィキプロジェクト スポーツ人物伝#記述の注意としてガイドラインが作成されました。無論、このガイドラインは絶対的な拘束力を持つものではありませんが、コミュニティの合意によって決められたスポーツ選手の記事の編集の方向性の指標を記したものであり、この方向性の編集に正当性を与える根拠となり得るものであると考えます。

で、この方針に基づいて問題のある記事の修正、要出典範囲の明示を実行していたところ、利用者‐会話:Kridroにおいて、あるユーザーに一方的にこの方針に基づいた編集活動を否定する発言を浴びせられました。Wikipediaの基本方針およびPJで合意形成された方針双方において、すべての記述内容には信頼できる情報源を出典として明記する事が定められているにも拘らず、「一言一句に出典を求めるのはやりすぎだ」などという意味の分からない主張です。基本方針、PJ方針を根拠に私の編集活動の正当性を説明したところ、今度は「共同作業を疎かにするユーザーだ」と一方的に主張してブロック依頼にかけられました。理解できません。彼らの言う共同作業とは一体何を意味するのでしょうか?

Wikipediaにおける共同作業とは議論、合意形成の中で編集方針を決定し、それに基づいて記事の編集を実行する事であると解釈しています。彼らの主張の真意を問うたところ、「答えようがない」という訳のわからない返答が返ってきました。しまいには「ガイドラインには絶対的な拘束力がない以上は従う必要などない」などと主張する始末です。どうしようもありません。少なくともPJの方針の合意形成期間に際して彼らは反対の意志を出してはいませんでしたし、合意形成後も現行の方針に対する異議も出ていません。彼らの主張の論拠としているものが全く見えません。加えて彼らの主張の方向性が私への私情へと向かっているため、なおさらタチが悪いです。彼らの今までの主張から推測するに、コミュニティの「合意によって決定されたPJの方針に基づいた積極的に実行していないユーザー、もしくはPJの方針に違反した編集を実行しているユーザーの方が多数なので、PJの方針に基づいた編集活動は共同作業から逸脱している」というのが彼らの主張の旨であると思われます。ただ、それは暴走族や峠の走り屋がやる共同危険行為の類と同等ではないでしょうか。要約すれば「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という事です。そんな論理がwikipediaでまかり通ってよいはずがありません。数の論理に任せて平然とルール違反を黙認する事、あるいは実行する事を共同作業と呼ぶのか、できれば問題のあるスポーツ記事の編集に関わっている当事者以外のご意見を伺いたい次第ですのでよろしくお願いします。--Kridro 2010年4月24日 (土) 17:37 (UTC)[返信]

Kridro氏の言ってることは概ね正しいと思います。Wikipedia:合意形成にあるように、合意とは多数決ではない(数の論理ではない)と否定しているし。ただ、会話見ると論点はそこでは無いようです。揉めてる原因は「要出典」を付ける基準であり、その差異を認めようとしないから共同作業ができない奴だと氏は言われているように見える。「要出典」を付ける基準というのはしばしば問題になるし、ちょうど今、井戸端の上の方を見てもらえば「「要出典」の必要性について疑問があります」なんかもありますから、とりあえずその辺の議論を読んでみてください。ある記述に出典が必要かどうかってのは結構、個々によって感覚が違うっての理解していただきたいなと。その上でその差異を埋めるために議論して共同作業することが重要なのであって、始めからルールを盾に俺は正しいとやってれば、それは共同作業とは呼べないでしょう。もっとも既に氏はウィキプロジェクトで差異を埋めるためのことをされているから蛇足かもしれませんが。--EULE 2010年4月24日 (土) 18:50 (UTC)修正--EULE 2010年4月24日 (土) 18:53 (UTC)[返信]
共同作業の目的とは何でしょうか? 「ルールを守ること」自体は目的ではないです。規範順守はあくまでも手段です。言い換えるとルールとは何かの目的を達成することを確実にするための手順ないしは基準にすぎません。なのでルールに疑義があるのならばルールを守った結果あるいはルールを守らなかった結果が方針・ガイドラインの定義で示されている「その規範を定めた目的」に合致するか否かでルールの妥当性を判断するしかないと考えます。特にですね、要出典テンプレートの場合、事実は検証可能性だけで事足りますが、事実に係る論評は検証可能性・独自研究・観点の中立性の3つとも示す必要があるので、同テンプレートの議論の対象が事実なのか論評なのかは議論を進める上で明確にしないと検証する目的について激しく揉めると考えます。--あら金 2010年4月24日 (土) 19:59 (UTC)[返信]
kindroさんの発言にある「答えようがない」という訳のわからない返答が返ってきました。に騙されないようにしてください。誤解に基づいて質問してきたために「誤解に基づく質問に対しては答えられない」と回答したまでのことです。--Ike179 2010年4月25日 (日) 06:11 (UTC) それと「ガイドラインには絶対的な拘束力がない以上は従う必要などない」などと主張する始末です。にも騙されないようにしてください。私は「明らかにおかしいものだけ編集したらどうか」という主張から書き込み「絶対的な拘束力は無い」という旨の主張もしましたが、「従う必要は無い」などとは答えていません。極端に考えないでください。他の方も同様も含めてしておりません。うそを書かないでください。うそに騙されないようにしてください。--Ike179 2010年4月25日 (日) 06:21 (UTC)[返信]
kindroさんは議論の上で自分に有利に進めるために、とにかく他人の発言を極端に都合よく解釈し、相手が思ってもいないことをさも言ったように誇張する悪癖があるというか、それがこの方の日常的な会話の進め方になっているようです(PJの方針に違反した編集を実行しているユーザーの方が多数なので、PJの方針に基づいた編集活動は共同作業から逸脱しているなんて誰も言ってないだろうに)。kindroさんとまともに会話が成立しないのも、それが一番の原因であると思います。これまで一体どのようなやりとりがなされてきたのかあまりご存知でない方が、彼(彼女?)のこういった提言をそのまま鵜呑みにするのは非常に危険であると考えます。--Bbcs 2010年4月26日 (月) 07:52 (UTC)[返信]
kindroさんがまた暴言を吐きました。 Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト スポーツ人物伝#確認事項 「正論は何もないが消されるのは嫌だからお前のやり方は認めない。もしくは何となくお前は嫌いだから。」というのはおかしな話ですよね。 こんなことは誰も言っていません。Bbcsさんが表現されたように「他人の発言を極端に都合よく解釈し、相手が思ってもいないことをさも言ったように誇張する悪癖がある」のがまさに当てはまります。--Ike179 2010年5月4日 (火) 01:17 (UTC)[返信]
Bbcs氏には言ったけど、「あいつ今度はこんなこと言いました」と、朝日が御注進して回るがごとくの行動はやめた方が良いです。--EULE 2010年5月4日 (火) 16:22 (UTC)[返信]