Wikipedia:井戸端/subj/一つの記事内の複数の節に同じような内容の記載が重複して存在する場合の対処

一つの記事内の複数の節に同じような内容の記載が重複して存在する場合の対処[編集]

大きなサイズの記事の編集を行う場合の対処について皆様の意見をお聞かせください。

サイズが大きくなっている記事は複数の編集者が追記等を行っているため、(知ってか知らずかは別にして)ある節ですでに記載されていることと同じような内容の記述を別の節に再度記載してしまうことが間々あると思います。具体的には節の構成が「概要、来歴、略歴、政策、疑義を持たれた言動、評価」という風になっていることが多い政治家の記事などで、『疑義を持たれた言動』と『評価』の節に同じような批判評が記載されていた場合などがそれに当たります。

私としてはこのような記事に遭遇した場合は、重複記載をなくし記事の可読性を上げるために、記載内容が存在するのにより相応しい節の記述を残し、もう片方の節の記載を削除するという対処を取っていました。この際、編集のコメント蘭に○○の節と重複する内容なので削除、といったコメントを残しています。

しかしながら最近ある記事の編集い際して、このレベルの削除でもノートで合意をとるべきだ、という指摘を受けました。私としてはこのレベルの編集はノートで合意を取る必要もないと考えていたのですが、ノートでの合意を取るべきなのでしょうか?--222.5.108.188 2013年1月20日 (日) 16:15 (UTC)[返信]

コメント 記事によります。少なくとも「重複記載をなくす」行為が単純に良いことという訳ではありませんから、もしそれだけを考えて作業をしているのであれば、あなたはその作業の方法を見直す必要があるでしょう。記事の中で(あるいは記事間で)重複した記述があるのはごく当然のことであって、必ずしもそれが単純に不適切とは言えません。それに、もし片方の記述を除去するとしても、そもそもそこにその記述があるのが全くの間違いで不適切というのでもなければ、ただ機械的に除去するだけでなく、その跡地には何らかの情報を(たとえば、ごく簡潔な要約と、前or後ろにそれが述べられているという情報を)残すべきでしょう。--氷鷺会話2013年1月20日 (日) 17:11 (UTC)[返信]
コメントケースバイケースではないでしょうか。例えば科学系の記事では理解しやすい説明にするために前の節で一度説明していることを別の節でもう一度説明する、ということがあっても良いように思います。そういう記事の場合は削除に関してノートで議論する方がいいかもしれません。しかし、例示されている人物評に関しては要約蘭にコメントを残すだけで削除してしまっていいと思います。同じような内容の人物評を複数箇所に記載することが記事で扱っている人物を理解するのに役立つかと言えば、答えはノーでしょう。特に批判的な記述の場合、複数箇所に記述するのは殊更にそれを強調しているように見え、中立的な観点に反した記事にります。ただし記述に使っている出典が異なるような場合は、削除した方の記述に使われていた出典を残す方の記述の出典として移植するという措置は必要かと思います。--Takuraman会話2013年1月20日 (日) 19:11 (UTC)[返信]
(コメント)Takuramanさんが書かれているような科学系記事や、歴史系記事であれば残す方が適切な場合も多い気がしますが、サブカル記事だとあまり意味のなさそうな重複も見かけますね。多分、自分の書きたいことだけ書いて記事の全体像を見ていないのが原因だと思うのですが、酷すぎて手をつける気にすらならない記事も実際にあります。--KAMUI会話2013年1月21日 (月) 10:21 (UTC)[返信]
コメント ノートで合意が必要かどうかは、そのとき次第相手次第で、求められれば必要でしょう。重要なのは、「同じような」というのがどのように同じなのかでしょうね。冒頭文や概要で簡単に触れておいたことを、後段に節を設けてあらためて詳しく説明する、ということであれば、同じようなことであっても必要です。また同じ対象を扱っても、文脈や切り口が違えばあらためて述べる価値があるかもしれません。しかし、まったく同じ批判を別の場所で繰り返しているだけなら、どちらかひとつにまとめた方がいいでしょう。また、例として挙げられている、「疑義を持たれた言動」と「評価」については、Takuramanさんのご意見とも重なるところがありますが、「疑義を持たれた言動」という節見出しそのものが「この人物は言動に疑義を持たれた」というイメージ付けや批判目的のように見えるため、Wikipedia:中立的な観点に照らして果たして適切だろうかという疑問があります。そうした疑義も「評価」のうちに含まれるという考え方からすれば、「疑義を持たれた言動」節自体が重複であり、いらないのじゃないかという問題にもつながりますし、もし「疑義を持たれた言動」が重要トピックであるなら、もっとふさわしい見出しがあるはずです。したがって、重複記載部分だけでなく節構成を見直すことも視野に入れて検討した方が良さそうに思います。ついでにいえば、「来歴」(なお、この言葉は人物に対してはあまり使わない表現のように思います)と「略歴」もまさに「同じようなこと」です。ふつうはどちらかで事足りるものが、なぜ両方必要なのか、理由を説明できるのであればいいんですが。--みっち会話2013年1月21日 (月) 10:35 (UTC)[返信]
コメント 私は政治家の記事についてよく編集するのですが、基本ケースバイーケースではあるとは思うものの、コメントを投げかけた方の情報に限定して話をすると、ノートで合意をとってから編集するまでの必要性は低いと感じました。現に私は要約欄にコメントをしつつも略歴節と来歴節をまとめたり、過去に問題となった言動節や評価節をまとめたりするなどの編集除去をおこなってきました(最近はすこしめんどくさくなってきたのであまりしませんが)。ただ、重複箇所を除去したことに対して疑義を感じた方が居た場合、無理にリバートはしませんし、必要に応じてノートで対話に応じます。政治関連記事は中立的な観点に反した記事になりがちなので常に「論争になる可能性はある」と思いながら編集に望む覚悟は必要かと思います。--Blue-comet会話2013年1月21日 (月) 11:51 (UTC)[返信]