Wikipedia:井戸端/subj/ノート:鉄道ファン

気に入らない表現を「存在しないこと」にしていないか[編集]

鉄道ファンで、国鉄分割民営化の際、一部ファンが政治論争に走ったことについてもめています。当時の雑誌などの投書から政治思想で争ったことを書きましたが、この問題は

一次資料と二次資料
一次資料とは、考古学的な人工遺物;映画、ビデオ、写真(しかし下を見てください);日記、国勢調査、公聴会の議事録や裁判の記録、インタビューのような歴史的文書;アンケートや調査の結果一覧;実験室での分析・観察の記録;実地調査の記録といった、情報やデータを提供するものです。
二次資料とは、他の情報源から取得した情報やデータの概括、分析、総合、解釈、評価を行うものです。
一次資料を作るような独自の調査(、たとえば投稿者自身の体験の記述や、投稿者が行ったアンケートやインタビューなどを掲載する事)は許されません。しかし、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。そうした記述は「独自の調査」には当たりません;それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。
(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる解説を行う記事、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもよい(アップルパイや最近の出来事などは、その例として挙げられるでしょう)のですが、こういったことは例外なのです。

レベルの話ではないでしょうか?

探せばお互いの主張を述べた文献自体はあるでしょうが、政治論争を第三者的に書いた記事もだめになるのでしょうか?中立の立場で話し合った形跡がない、政治に染まってお互い感情的で聞き入れる耳もなかったことについてです。「ソースを示せ」の問題はこの文章に尽きると思います。「情報を集めて整理する」が認められないでもめる例が多いと思います。たぬき 2007年3月24日 (土) 14:40 (UTC)[返信]

おそらく文章を書くのに急ぎすぎたのだとおもいますが、ところどころ論理展開が省略されていて、おっしゃりたいことがよくわかりませんでした。補筆いただけませんか。
それと、(以下はわかりにくい表現と思いますが) ある人のある立場の表明に対して「政治に染まって」といった評価を持つこと自体が、ひとつのイデオロギーを信奉する立場であると言えます。逆に、政治的な(と自身がみなす)立場表明をしないことが中立な立場である、というわけではないとおもいます。あからさまに立場表明をしたうえでも、中立な記事は書こうというつもりがあれば書けます。
ちなみに、第三者の視点から政治上の論争を論じた記事は、書かれることが奨励される種類のものであることが多いのではないかとおもいます。--Hatukanezumi 2007年3月24日 (土) 17:08 (UTC)[返信]
説明します。1984年ころから分割民営化実行にかけて、鉄道ファンの一部が組合側、あるいは使用者側についてその両者が対立したという事実についてです。この問題はバックの支持政党も影響しているといえます。これは当時の雑誌などで投稿の文章、記事の傾向、当人の発行するブックレット、鉄道系のサークル(私が知っているのは種村直樹レイルウェイ・ライター友の会)の会員の主義主張とそれに伴う思想の対立についてです。これらを第三者的にみて鉄道ファンに「主義・主張」という項目を立てたところソースを強固に要求されています。急に出せないこと、解説に値することであり、一方が感情的であると思われるため、ソースを提示しろ、気に入らなければ削除という感じです。たぬき 2007年3月25日 (日) 00:24 (UTC)[返信]
履歴をよく見てみましたが、たぬきさんが問題にしておられるとおもわれる記述は、中立的な観点や検証可能性の面で問題があるとおもいました。
雑誌などの投稿の文章や、そこに現れた主義主張について書くのはかまわないでしょう。そういう記事があったことは事実だからです。
しかし、「Tの影響を得た」「Kを盲信する例」などというのはどうでしょうか。ひとりひとりのファンの思考がサークルの主宰者などの影響を受けていたということは検証不可能ですから、書くべきではないでしょう。単に、ひとつひとつの主張を紹介し、それに典拠を示す (『○○』という雑誌のXX年XX月号XX頁、というふうに) ようにすればいいのではないでしょうか。
「支持政党としての色分けがはっきりしていた時期もある」という記述も同様です。鉄道ファンを対象に世論調査のようなものでも行われているのであればともかく、そういう典拠が示せないのであれば、やはりたぬきさんの自説を書いていることになります。また、ファンにはいろんなひとがいるので、ひとりひとりが中立なスタンスを持っていないのはあたりまえです。それを、支持政党のちがいによるものだとか、国鉄労働組合への支持不支持が理由であるとか、政治的スタンスによるものだとか、儲け主義と資本主義を混同したからだとかいったふうに、自説で理由づけすべきではないでしょう。
ちなみに、記述内容からは、政治的な主張を持つことに対して否定的な評価も感じてしまいました。たぬきさん自身がそういうイデオロギー (「政治的な観点からの主張をしてはいけない」という考えかたも、ひとつのイデオロギーです) を持っていたとしても、それを記事に書くべきではありません。--Hatukanezumi 2007年3月25日 (日) 01:33 (UTC)[返信]

同様の事にhydeの身長は156cmがあるが、どう考えても即時削除は腑に落ちない。無根拠にタブーにして2ちゃんねらーと同レベルの祭り化ないしアンサイクロペディア以下の削除合戦になっていないだろうか。Sionnach 2007年3月29日 (木) 12:17 (UTC)[返信]

その記事そのものは読んでないので分かりませんが、hyde氏の身長についてのみの記述なら単独で存在する程の記事じゃないですよね。有名人だからって「安倍晋三の身長はXXXcm」だの「朝青龍の体重はXXXkg」だの「ほしのあきのバストはxxcm」だのいちいち記事を作っていったらキリがありません。そういった記述をしたいのであれば、その人の項目の中に書けばすむ話ですから。ただし、ちゃんと検証可能性を満たせるのなら(出典を明記した上で)という条件がつきますが。単なる噂話、憶測、独自調査ではダメでしょう(POV)。また、「hyde」というwikipediaの項目が編集合戦になったという事件については単独の記事として百科事典に載せるほどじゃないと思います。--MIK 2007年3月30日 (金) 23:55 (UTC)[返信]