Wikipedia:井戸端/subj/「削除」と「除去」について

「削除」と「除去」について[編集]

Wikipedia:井戸端/subj/コメントアウトをしたら削除荒らしと判断された件におけるねこぱんださんとアルトクールさんのご発言で少々気になったので、(本論から逸れるため)節を改めてコメントさせていただきます。Wikipedia日本語版における「削除」という言葉と「除去」という言葉なのですが、確かに管理者による記事(あるいは記事を含んだあらゆるページ)の削除を「削除」と呼んでいますし、記事中の一部の記述を削除することを「除去」と呼ぶ方もいます。ですが、後者を「除去」と呼ばなければならないということはない、と私は思います。NiKeさんのおっしゃるように「慣習的に良く使われている」というのがせいぜいではないでしょうか。

個人的には「除去」という言葉は意図的に多用しないようにしています。というのも「除去」という言葉にはどこかネガティブな印象を受けるからです。「削除」の方がよりニュートラルに感じます。以下辞書から引用します。

  • 『広辞苑 第六版』より
    • 削除 「文章・名簿などの、ある部分をけずりのぞくこと。「不当発言を議事録から―する」
    • 除去 「とりのぞくこと。「障害を―する」
  • 『Yahoo!辞書(大辞泉)』より
    • 削除 「文章などの一部を、けずりとること。「不穏当な発言を議事録から―する」
    • 除去 「じゃまなものをのぞき去ること。取りのけること。「障害物を―する」

「除去」というのは、障害のような何か悪いことを取り除く、というニュアンスを含んでいると思います。ですから他の利用者が執筆した記述を「除去」する(ノートや要約欄でそのように言及する)のは相手に対して失礼だと感じますし、Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいの精神にも反するようにも思えます(後者の方針文書内で「除去」と呼んでいるのは私には奇異に感じられます…)。もちろん、明らかな荒らしによる書き込みの「除去」や「Wikipedia:個人攻撃の除去」といった使い方は問題ないと思いますが。一方「削除」は比較的色が付いておらず、また本来文章等の一部を取り除くことです。

ちなみにMediaWiki検索で「ノート」「利用者‐会話」「Wikipedia」「Wikipedia‐ノート」「Help」「Help‐ノート」の名前空間で検索したところ、以下のような結果となりました。

  • 「記述を削除」 :1,803
  • 「内容を削除」:294
  • 「編集削除」 :145
  • 「テキストを削除」:39
  • 「記述を除去」 :991
  • 「内容を除去」:79
  • 「編集除去」 :853 ← 「編集除去」で一単語として認識されている?
  • 「テキストを除去」:5,304 ← テンプレートのsubstによる影響

おそらく文意を明確化するために、記事を削除することが「削除」で記事中の一部記述を削除することが「除去」、と意図的に用語を使い分けされている方もいらっしゃるのだと思いますが、Wikipedia日本語版全体としてコンセンサスがある状況ではない、と思いますし、両方「削除」としても、ほとんどの場合、文脈で区別できるのでは、とも思います。

上記の理由から私は意図的に「除去」を多用していない(対話の中で相手に合わせるなど状況に応じて使う場合もあります)のですが、そういう利用者もいるということを知っていただきたく、敢えてコメントさせていただきました。--Penn Station 2010年3月10日 (水) 11:33 (UTC)[返信]

コメント「管理者の削除」と「編集除去」は、権利侵害に関わる場合などでは確実に区別されるべきもので、両方「削除」としても、ほとんどの場合、文脈で区別できるとは思いません。削除と除去の区別をしていない人もいますし、削除すべきかどうかの判断について一般的な知識をもっていない人もいます。表現は、「消去」でも「閲覧停止」でもいいですし、管理者の除去/編集削除でもいいですけれど、明確に使い分ける必要があります。
個人的には、除去と削除の区別は、それほど大きなものだとは思いませんが、Penn Stationさんの認識に合わせて考えてみます。
編集除去というのは、一般には他の書いた人の情報は保存するよう努めるということを前提としてもなお「百科事典の記事として掲載するべきではないと考えられる困った記述」です。そうでなければ、取り除く必要はない。「何か悪いことを取り除く、というニュアンスを含んでいる」のは、妥当なものであり、その判断基準について齟齬があるならばノートで話しあうことで、何か悪いことだと思っていたけれどそうではないので「除去」しない、あるいは悪いことだとは思っていなかったけれど、適切ではないということを理解したので「除去」する、というふうに、合意を得る。百科事典の記事を書く上では、どちらの記述がよいか、その記述があるほうがいいのか悪いのかということは、きちんと考えていかなければ、質的な向上には繋がりません。
削除の場合は、直接の問題がある記述については「悪いこと」という面があります。しかし、巻き込まれる記述については、「困った記述ではないけれどGFDL上削除しなければならない記述」です。そうした場合には、より中立的な表現として「削除」を用いるのが望ましいと思います。
そのように考えれば、悪いことのニュアンスを持つものを編集で取り除くことに用い、比較的中立的なニュアンスを持つものを管理者による閲覧停止措置に用いることが適切ではないかと思います。--Ks aka 98 2010年3月10日 (水) 12:37 (UTC)[返信]
Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディア用語に関する意識調査に一部似たような話題があります。個人的には「除去」を多用しています。これは、用語を使い分けるという面ももちろんですが、意味を知ってからはあえて使っているということもあります。また私はこちらの活動に加わるまでは、「除去」という言葉を知らなかったので、ネガティブな印象を持っていない(むしろこちらの方がソフトに感じたぐらい)ことも、理由としてあるのかなとは思います。--春日椿 2010年3月10日 (水) 12:45 (UTC)[返信]
早速のご意見ありがとうございます。春日椿さん、以前にも似たような議論があったのですね。ご紹介ありがとうございました。
Ks aka 98さん、必ずしも用語だけで区別する必要はないように思いますが、用語の使い分けができればそれに越したことはないと私も思います。ただ「除去」には上述の理由であまり賛成できません。「何か悪いことを取り除く」のは、取り除く側の人の立場で、「除去」された記述を書いた人の立場からはそうではないことが多いと思います。そのような場合はもちろんノートで議論し合意形成することが望まれますが、初めから「除去」と言い放ってしまっては、相手を硬化・反発させてしまうおそれもあります。特にWikipediaにまだ不慣れな利用者にとっては、なおさらではないでしょうか。不要な対立やネガティブな感情をわざわざ招くおそれのある言葉より、より中立な言葉を使った方がより客観的に中身の議論ができるのではないかと思うのです。もちろん、これは私のように「除去」にネガティブな印象を持っていることが前提になりますけれども。--Penn Station 2010年3月10日 (水) 13:46 (UTC)[返信]
参加したばかりの人もいるのですから、用語だけで区別できるという状態になるのは現実的には無理ですが、ある程度慣れたウィキペディアンや削除に関係するウィキペディアンの間では、用語だけで区別できるような状態は、切実に必要だと考えます。Penn Station の書きぶりは、書く側は区別しなくてもいい、区別して読み取るのが当たり前だ、というようにも読めてしまいます。これには強く反対します。
容易に区別できて、混乱しない程度に個々の利用者が使い分ける分には自由だと思います。除去を避けるなら、「管理者権限による削除」(「管理者による削除」には曖昧さが残ります)と「編集による削除」とか。
区別する上での用語については、日本語版内である程度定まった使い分けがあるとわかりやすいです。慣習的には、削除と除去で使われているという感覚があります。そこで、個人として「除去」を避けるということではなく、日本語版全体で「除去」を避けたいということなら、これまでの慣習的な用法、または慣習的とみなせるかどうかということを棚にあげてでもいいですから、これとこれで使い分けをしましょう、と提案して頂ければ。--Ks aka 98 2010年3月10日 (水) 14:25 (UTC)[返信]
言いたかったのは、概念の区別を示すためには用語を使い分けなければならない(must)、ということはない、ということです。例えば「記事を削除する」「○○節を削除する」「……という記述を削除する」と書けば、わざわざ「除去」という言葉を使わなくても概念を区別できます。もちろん初心者は区別できないかもしれませんが、それは用語を使い分けたとしても同じです。また前述のとおり、用語の使い分け自体に反対している訳ではなく、むしろ望ましいと思いますが、「除去」に関しては、「分かりやすさ」と前述の「ネガティブ・インパクト」のトレード・オフという気がします。
今回私がWikipedia日本語版全体での用語統一提案、あるいは「除去」に代わる代替案提示、といったところまで至らなかったのは、(1) 自分のように「除去」にネガティブな印象を抱く利用者が果たしてどれだけいるのか計りかねる (2) 前述のとおり用語を使い分けなくても概念の区別は示せる(示せている) (3) 実際に「記述を削除」「内容を削除」といった用例が多数みられる(現状「除去」で統一されている訳ではなさそう) ……からです。ただWikipedia:井戸端/subj/コメントアウトをしたら削除荒らしと判断された件での発言を見て、このように考えている利用者もいます、ということを共有しておきたかったのです。--Penn Station 2010年3月10日 (水) 16:36 (UTC)[返信]
deletion(deleteすること)の訳語は「抹消」だと思うのだがなぁ………「抹」が細かく砕いて粉にすること、つまり跡形も無く粉砕して「消」すわけだ。
原理主義的には「削除」されるのは部分であって全体ではないのだから、記事の内容と対比して使うのなら記事本体に使うのは本来異常だろうに。全体から削って除くのであって、全てを削り去るわけではないのだ。削り節じゃあるまいし、彫刻で石が無くなるまで削るとか意味がわからん。削り節が全部削る(のを目指す)のは「削られた部分」に意味があるのであって、「削って除く」わけではないのだからな。面倒なのは、百科事典から記事を「削除」とか、履歴から版を「削除」と言う事が出来るところかな。「全体」が何かを示す指示語さえあれば何でも「削除」に出来るし、目的語や文脈から「全体」が暗黙に了解されているなら指示語は特に要らんことになる。異常さがわかる例としては「夏目漱石の小説を削除する」あたりではどうだろうか。「夏目漱石の小説」は何かの部分ではないので、「目録」から「夏目漱石の小説の欄」を削除する、などと解釈することになる。足元に落ちている「夏目漱石の小説」を「抹消」すると解釈するのは異常だろう。
「削除」が全体の存在を前提とした語であるのに対し、「除去」にはそういった前提が無い。つまり「全体」に関する指示語が無くとも使える語だ。「夏目漱石の小説を除去する」と言うと普通は使わん言い回しだが、足元にあるのかなぐらいは想像出来ると思う。まさにremoveするわけだ。ネガティブイメージがあるとの意見があったが、恐らくは「去」るところから「捨て去る」とのニュアンスの近似を覚えたからかも知らん。原理主義的には、「去る」は当面気にしなくて良くなった、程度の意味しかない。履歴には残っているわけだしな。(苦笑)
提案というほど大仰に言う気は無いのだが、「削除」を汎用的な日常語として「抹消」と「除去」をwikipedia用語として明確な意味を与えるのが、意味的にも現状を鑑みても都合が良いのではなかろうかと思うのだが如何だろうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月10日 (水) 16:53 (UTC)[返信]
「除去」を避けたい気持ちは受け取りました。そのように考えている利用者もいるということも、以後留意します。後者を「除去」と呼ばなければならないということはない、ということもわかります。
しかし、Penn Station さんにとっては周辺的なことかもしれませんが、見逃せないと思うところがいくつかあったということです。
「記事を削除する」「○○節を削除する」「……という記述を削除する」と書けば、わざわざ「除去」という言葉を使わなくても概念を区別できることも多いです。削除か除去かという区別が問題にならなければ、対象を示していれば、多くの場合区別ができます。逆に、複数の表現を使い分ければ、わざわざ「……という記述を」というようなことで特定させなければいいとも言えます。たとえば「記事全体を削除する」だと、白紙化の説明でも「削除」でも使われますし、「……という記述を削除しなければならない」だと、その記述を含む版を削除しなければならないという意味でも「除去」でも使われます。「○○という記述を削除するだけではダメでその版全体を削除しなければならない」では使い分けられていないことが、多くの書き手/読み手に共有されるというのは困難です。
表現の使い分けの必要性は、しばしば区別できない利用者が多い「管理者権限による削除」と「通常の編集除去」の違いを、しっかりと認識することがとても重要な削除関連の議論や審議に継続的に関わっているぼくにとっては切実なものです。削除と除去の使い分けが慣習化したことで、ずいぶん説明が容易になりましたし、論点となる行為を特定することで議論もしやすくなりました。無理に、二つの表現を使い分けることを義務化させる必要はないですし、互いに意思疎通できるなら、それでいいのです。個人的には、削除や除去の一般的な用法に、ウィキペディアならではのニュアンスが付いてしまうのも嫌なので、文書化するのもあまり好みません。しかし、その使い分けが重要な場面では、どちらかの表現をつかうことが慣習的にでも共有されているということは、とても大きなことなのです。認識の齟齬があると、権利侵害のある記述を放置してしまうことにも繋がるのです。
「除去」という表現は、ぼくも他の人が使っているのに合わせて使うようになったのだという記憶があります。特別にこだわるわけではないですが、それほど悪い表現ではないと思っています。その記述を生かすのではなくて、除去という対処方法を俎上にのせるという行為自体が、「あなたの記述は最新版として表示されるところに置いておくのは好ましくないので、そこから取り除きます」というネガティブな評価を反映する行為です。「撤去」とか「破棄」とか「却下」とか言うのは強すぎる言葉だと思いますが、「お隠れにさせていただく」とかに言い換えたところで、反発はされるでしょう。「除去という言葉」が持つネガティブさは、「編集除去というネガティブな評価を伴なう行為」と釣り合っていると思うのですが、いかがでしょうか。だからこそ、編集方針にあるように、いろいろな配慮が求められるのではないかと。Penn Stationさんがいうネガティブさは認めますが、そのネガティブさは避けるべきことではなく、編集除去という作業をする以上は、相手にネガティブな印象を与えることを覚悟し、また除去された側もネガティブなものとして受け取る必要があることだと思うのです。
削除というのは、経緯としてはdeletionの訳語として選ばれたのでしょうが、最初はおそらくウィキペディア全体に対する一部というようなニュアンスがあったのだろうと思います。最近の日本語版では、その記事の「過去の版すべて」の一部というニュアンスがあるように思います。「一部」を特定版削除というのに対して、初版から最新版までを削除するときは「全削除」という言い方をすることもあります。「抹消」というと、ウィキペディアでは「復帰」も可能ですから、これはあまり適切ではないと思います。復帰も不可能なかたちで情報を消す場合に対して「抹消」というのがしっくりきます。
ぼくが申し上げたいのは、(1)「除去」のネガティブさは避けるべきではないのではないか。(2)用語の使い分けなしに概念を区別するのはかなり難しい。(3)概念の区別が共有できていなければけっこうな問題が残る。単に「除去」を使わないという流れが生じるだけで話が終わってしまうようでは困る…ということです。そして、会話ページではなく井戸端で書かれたので、Penn Stationさん個人として「除去」を避け、丁寧に区別するということであればよいのですが、この概念区別については、閲覧している人たちにも、あまり安易に考えて欲しくないということで、繰り返し意見を書かせてもらっています。--Ks aka 98 2010年3月10日 (水) 19:11 (UTC)[返信]
こんにちは。興味深い議論と感じました。
通常の日本語概念と乖離がある方、つまり記事(版)自体のデータベースからのDELETEについては、特殊な意味合いがあるので、こちらについてはウィキペディア独自の用語を用いるのが良いと考えます。それに対し、編集で取り除く行為については、通常の日本語概念との大きな乖離はありませんから「削除する」「抹消する」「除去する」「取り除く」等、適宜表現すれば良いのではないでしょうか。
日本語の通例としては、こういったテクニカルタームについて「デリーション」なり「デリート」といった外国語そのままの片仮名書きを使うのがひとつの選択肢と思います。あるいは「記事削除」といった助詞を含まず、明らかに一般用語と区別のつく一語のテクニカルタームを作ってしまうという選択肢もあるかと思います(なお、「管理者削除」よりも「記事削除」なり「版削除」の方が差異を適切に表していると思います。SQLのDELETEを日本語で表現するなら「行削除」ですから)。通常の日本語から確実に区別が付くのは片仮名用語の導入です。「○○の編集について独自研究と思われるためデリートしました」と書いてしまうことまで心配する必要はないでしょうから。
#ところで、通常の日本語表現で編集について「抹消」を使うのは、打ち消し線を引いて誤記修正するときに「○字抹消」と表記するくらいかな。--T.Kimura 2010年3月11日 (木) 05:32 (UTC)[返信]
コメント おそらくKs aka 98さんの一番のご懸念は、「認識の齟齬があると、権利侵害のある記述を放置してしまうことにも繋がる」という点だと思います。同じ認識です。「除去」という言葉を使った方がそのような齟齬の回避に資すると判断すれば、敢えてそれを避ける必要はないと思います。ただ重要なのはそのような齟齬を避けるためにどれだけ配慮・丁寧な説明ができるかであって、「除去」という言葉を使いさえすれば認識が共有できる、という訳でもありませんし、他の方法もある、ということだと思います。Ks aka 98さんと私とで同じことをそれぞれ真逆から言っているようにも思えますが、「あまり安易に考えて欲しくない」というのは共通認識だと思います。敢えて井戸端に投稿させていただいたのも、当たり前と思っていることが実はそうでもないかも、と再考していただくきっかけ・一助になれば、という思いもあります。
「除去」の語感や行為との釣り合いに関しては、感じ方は人それぞれだと思いますので、私はこう感じる、としか言えません。状況にもよると思います。ネガティブさをストレートに相手に伝えることの是非も状況次第かなと。まぁ私だけの感覚かもしれませんが…(Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディア用語に関する意識調査によると、無言雀師さんが同じような感覚をお持ちかもしれません)。他の方のご意見も伺いたいところです。世界最狂の魔法使いCray-GさんのおっしゃるようにWikipedia用語として改めて明確に定義してみる試みは価値あることだと思いますが、もしやるなら、Wikipedia‐ノート:管理者#「管理者」の呼称問題についてのように、ある程度期間をかけて広く意見を募集するということになるのかな、と思います(ただ個人的には、今すぐそこまでやるモチベーションはあまりありません…)。
それからT.Kimuraさんの「記事(版)自体のデータベースからのDELETE」はちょっと誤解を与えてしまうかもしれません。Wikipediaの記事(版)の「削除」はSQLレベルのDELETEではなく、一般利用者から見えなくしてしまう、というだけです。「特殊な意味合い」には違いないのですけれども。--Penn Station 2010年3月11日 (木) 09:03 (UTC)[返信]
ごめん。ぼくは、思っていることが、なんともPenn Stationさんには伝わらないなあ、と思っている。--Ks aka 98 2010年3月11日 (木) 16:54 (UTC)[返信]
観点が違うからではないでしょうかね。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月12日 (金) 16:50 (UTC)[返信]
使い分けを優先する考え方やそのような考えを持つ方が多くいらっしゃることは理解できます。「単に「除去」を使わないという流れが生じるだけで話が終わってしまうようでは困る…」というのも同感です。ただ言葉の感じ方や価値観が若干異なるのかなと思います。現時点で私の側からはあまり大きな問題があるとは感じていないのですが、もしKs aka 98さんから見て大いに気になる点があれば、また必要に応じてご指摘いただければ幸いです。--Penn Station 2010年3月14日 (日) 04:03 (UTC)[返信]

Wikipedia:ウィキペディア用語集に「削除」も「除去」も載っていることを知ってから私自身は使い分けていますが、ここの議論を見てもわかる通り、あまり知られていないのが現状です。もっと「用語集」をPRすべきでしょう。この議論をご覧になった方は是非積極的に「用語集」の存在をPRしてください。--アルビレオ 2010年3月10日 (水) 22:40 (UTC)[返信]

ここでの議論参加者(アルビレオさんの書き込みまでに3人しかいませんが)が用語集の掲載について知っていたか否かについて第三者が判断はできないと思いますが…。ただあまり知られていないのでは、という実感は共有します。また、もし用語集が言葉の用法を厳密に制限してしまうのであれば、それは本末転倒だと思っています(そうはなっていないと思っていますけれど)。--Penn Station 2010年3月11日 (木) 09:03 (UTC)[返信]
逆に「用語集が言葉の用法を厳密に制限してしまう」可能性を考えるPenn Station氏が「気にしすぎ」なのではないかと思いますよ。
死んだ木にインクを乗せたものだか電線を流れる電気の波だか知りませんが、そんなものに人間の行動を縛ることは出来ません。「そんなもの」が縛ることが出来るのは、「そんなものに縛られたがる人間」の行動だけです。
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんも参照して下さい。大切なのは目的です。規則でも規範でもありません。それらは真摯に受け止められ充分に考慮されるべきものですが、縛るものではないのですから。
アルビレオ氏>是非積極的に「用語集」の存在をPRしてください
機会があればそうしましょう。共通見解が多ければ多いほど議論の軋轢は起こり難くなり、相互理解が深まり易くなり中立的な観点を得易くなりますからね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月11日 (木) 09:57 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキペディア用語集に「除去」が掲載されたのは、履歴を見ると2007年12月なので、ベテランの方は掲載を知らないでいたのかも知れませんね。とはいえ「ウィキペディア用語集」はWikipedia:ウィキペディアへようこそにもWikipedia:ガイドブックにも先頭にリンクがあるので、用語集にある程度長い期間載っていて議論になっていない用語はコンセンサスを得ていると私は判断しますし、同じように考えている方も多いのではないかと思います。この用語集を金科玉条とすべきとは言えないでしょうが、用語や用法に異議があれば先ずは用語集の改訂を目指すべきだと思います。(実際私も最初は「除去」に違和感がありました)--アルビレオ 2010年3月11日 (木) 23:12 (UTC)[返信]
議論などで、ウィキペディア特有の表現を説明するためにウィキペディア用語集へのリンクを簡単に張りたいときに使える利用者:Widehawk/Template:用語集を作ってみました。詳しい説明はテンプレートページにあります。よろしければTemplate名前空間に移動して使ってください。--Widehawk 2010年3月12日 (金) 09:03 (UTC)[返信]

過去に削除の意味について誤解しかけたこと( Wikipedia‐ノート:追放の方針#「生まれ変わり」の節での「削除」とは)があり、それ以来、意識して「削除」と「除去」を使い分けるようになりました。方針類の表現もおそらくはこのころから便宜的に使い分けされるようになってきたのではないでしょうか。方針上でこの二つが混同されると混乱を招くため、少なくとも、そういう「決め」の場ではなるべく曖昧さを残さない用語がよいと思います。 ただ、言葉のニュアンスとして、Penn Stationさんのいわれることはわかる気がします。ワープロや表計算などのソフトでテキストやデータを削るときは「削除」でしょうし、「添削」といったりするように、作文や文章を扱う言葉としては「削除」あるいは略号的に「トル」がふつうで「除去」(どけるという意味にも取れる)という言い方はあまりしません。この点では、除去がふつうに使われ、削除がある意味特殊な位置づけにあるウィキペディアは独特といえるでしょう。 もし私が最初に用語を選べたとしたら、管理者の特定版削除はT.Kimuraさんのいわれる「版削除」がふさわしいと感じます。とはいえ、これでも通常の文章削除との曖昧さが残ることからすると、現状の使い分けの方が勝っているのかなあと思います。--みっち 2010年3月12日 (金) 10:21 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。「除去」に関してアルビレオさんも含め同じような感じ方や違和感を持っている(いた)方がいらっしゃることが分かり、本件投稿してよかったです。また使い分けを優先する考え方やそのような考えを持つ方が多くいらっしゃることは理解できます。
個人的には、「削除」はPC等でファイル等(デスクトップ・メタファにおけるオブジェクト)を削除する用語として一般に広く受け入れられていますので、記事に対して同じように使用してもそう違和感はないのかなと思います(復活できることを含めて)。「除去」については、もし別の用語を使うのであれば、「消去」あたりが妥当かなという感覚です。「除去」について同じような感覚をお持ちの方が一定数いらっしゃれば代替用語を提案すべきかなと思いますが、今さら変えることに抵抗感を持たれる方もいらっしゃるでしょうし、様子を見たいと思っています。
p.s.「特定版削除」は何故「特定版」なのか不思議ですね。「版削除」で十分と思うのですが、また別の話ですね…。--Penn Station 2010年3月14日 (日) 04:03 (UTC)[返信]
私も違和感を持っていました。「除去」は節冒頭で挙げられているように、悪いものを取り除くという語感を含有していますから、他の語で代替できるのであれば、代替した方がよいと思います。現行「除去」となっているremoveは「削除」、「削除」となっているdeleteは「抹消」にすると良いのではないでしょうか。Removeは履歴に旧版が送信可能化状態で残りますが、管理権限によるdeleteは履歴から抹消されます。これを考えれば、管理権限によるdeleteは抹消と呼ぶにふさわしいと思います。復帰がありえるので適切でないということですが、復帰時は相応の理由が付記されるのでしょうから、問題ないように思います。--Akaniji 2010年3月14日 (日) 09:54 (UTC)[返信]

えーと。二つに話が別れちゃってるように思いました。

  • 使い分ける必要があるので、それを周知しようという話
  • 「除去」への違和感をどうするか、という話

で、前者は、後者の結論まちということになると思います。

使い分けについて、ネガティブな語感と、実際の作業と言葉との関連についての違和感を持つ人がいるということになりそうです。

ネガティブさについては、本来的に記述を取り除くという行為は、その記述が不要であるということを示すのですから、ネガティブなニュアンスを伴うのは避けられないと思います。「除去」には不要のものをというニュアンスがありますが[1]、これは「除く」に由来するものだと思われます[2]。あるいは「足場を除去する」という表現には、それほどネガティブなニュアンスは含まれないと思います。他方、「消去」にも「不必要なものを」のニュアンスはありますし(『類語新辞典』角川)、『削除』の例示にある「不当発言」「不穏当な発言」も邪魔なもの、不要なものと言えるでしょう。受け取り手として、

  • 個人的なエッセイを除去
  • 個人的なエッセイを削除
  • 個人的なエッセイを消去

あるいは

  • 百科事典的な項目ではないということで削除を依頼します
  • 百科事典的な項目ではないということで抹消を依頼します

で、相手を硬化・反発させる可能性が違うかどうか、検討してみてください。個人的には、前三者は特に違いを感じません。後者については、「抹消」は強すぎる表現で、反発させる可能性があると思います。また、「除去」は慣習を改めるだけで済みますけれど、「削除」を他の表現に変える場合は、かなり大きな変更になるということも考慮した上で意見をお願いします。

ワープロでデータを「削除」したりゴミ箱に入れたファイルを「削除」すると普通は復帰できない状態になると思います。これは、ウィキペディアでは、管理者しかできない「削除」と同じじゃないでしょうか。ぼくは「除去」に相当する、誰でも閲覧可能だが、最新版には表示されない記述というもののほうが、ウィキペディア独特のものだと感じます。
編集の除去は、最新版の記述からは消去されますが、以前の版に残されています。店頭からディスプレイを除去して、ニュースサイトのトップにあった記事が、アーカイブ化されるのを「削除」や「消去」とは言わないのではないかと思う。倉庫にしまうようなイメージで「除去」が適切ではないかと思います。必要ないものだけれど「除けて」いるだけですから、たとえば出典が示されたりすれば、再度戻すこともできます。「削っ」たり「消し」たりするよりは、語感として近いのではないかと思うのです。

慣れない利用者との削除に関係するやりとりで、しばしば話がすれ違うのは、「編集で取り除く行為」は、容易に書き戻すことができるし、その他の記述は残すことができるということを理解されていないということです。
また、通常のウェブページで「削除」というと、閲覧できない状態になることを指すと思います。特に権利侵害削除しなければならないものを、編集除去し、履歴から過去の版を閲覧できることを知らずに、削除されたからそれでよしというようなやりとりが生じることは避けたいと思います。

「記事削除」というのは、白紙化との混乱の可能性があります。「版削除」は、一般的な操作を指す場合には(全削除に対して)「版削除」でもいいかもしれませんが、実際の作業としては版を特定して削除するということで「特定版削除」でいいんじゃないかと思います。--Ks aka 98 2010年3月15日 (月) 16:07 (UTC)[返信]

郷に入りては郷に従え、ローマではローマ人のようにせよ、というところですかね。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月15日 (月) 18:31 (UTC)[返信]

「消す」だけじゃなく「作る」だとか「書く」だとかにも色々な二字熟語があるでしょう。それが日本語なんですから。それら各熟語への個人の主観の感じ方を言い合って何になるんですか?まさか今から全部「抹消依頼」とかに変えろとでも?ウィキペディアにおいての「消す」は、履歴に残る「除去」と残らない「削除」の2つに分かれる。この2語を使い分け、この2語以外の語は使わない事が求められる。ヘビーユーザーなのにそれを知らないほうが問題ってだけの事。--Khhy 2010年3月16日 (火) 01:23 (UTC)[返信]

用語として定着していると思って、使ったのですが。術語として定義づければいいだけの話ではないでしょうか。違和感うんぬんは、別の話題でしょう。 --ねこぱんだ 2010年3月16日 (火) 01:29 (UTC)[返信]

「違和感」については、「除去」が「削除」や「消去」に比べて使われることが少ないため、やむを得ないと思います。私の場合は、

  1. ウィキペディアで「除去」が使われていることに違和感を感じる。
  2. Wikipedia:ウィキペディア用語集に「除去」や「削除」が載っているのを知り、「ウィキペディアではそういう使い方をするもの」と考え、以降はそのように使い分ける。

という流れだったので、使い分けを周知すれば良いだけの話と考えています。(「最初は違和感があった」であり、「違和感を持ち続けている」ではありません。)--アルビレオ 2010年3月17日 (水) 10:38 (UTC)[返信]