Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない/過去ログ1

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Wikipedia:No original research(独自の調査)を導入[編集]

英語版のコンテンツに関する主要方針の一つであるen:Wikipedia:No original researchを導入しました。まだ下書きですので、加筆・修正・アドバイスなどしていただければ幸いです。Hermeneus (user / talk) 2006年4月15日 (土) 10:57 (UTC)

まだ細部を見ておりませんが、百科事典編纂の方針にふさわしい文章だと感じました。Hermeneusさんには感謝致します。---Redattore 2006年4月15日 (土) 11:52 (UTC)

2006年4月20日 (木) 10:13の編集[編集]

加筆修正するのは構わないんですけども、この文書はもともと英語版のWikipedia:No original researchを逐語訳しているわけではないので、英語版の逐語訳的編集をいきなり組み込むのは少し勘弁してください。これまで書いてきた分は、Wikipedia:No original researchの主旨を私が再構成して文章化しているので、セクションごとに原文と対応しているわけではなく、オリジナルの文書を直接組み込むと重複したりおかしなことになります。Wikipedia:No original researchという方針自体は無論結構なものなのですが、英語版の文書はこれに限らず長い年月を経て様々な編集者が加筆・修正を加えてきており、暫しまとまりの無い悪文になっていますので、あまり正確に訳しすぎるのは賢明ではないと私は考えます。無論、日本語版の当分書も将来的にはそうなるのでしょうが、最初からまとまりが無くなってる英語版現行版を逐語訳することもないでしょう。Hermeneus (user / talk) 2006年4月20日 (木) 10:04 (UTC)

Hermeneusさん、ご趣旨了解しました。確かに私の編集は乱暴すぎました。すみませんでした。せっかくHermeneusさんが提示してくれたこの方針について、据わりのよくない英語版の訳を大量に組み込みすぎたと思います。今後は、方針全体の読みやすさを損なわないように注意しつつ、編集に参加させていただきます。--Sloop25 2006年4月20日 (木) 10:54 (UTC)
私一人で横暴に仕切ってるようになってしまうのは私の望むところではありませんので、大胆に加筆修正してくださるのは全く結構なことなのですが、ただ内容に大きな改変を加える際にはその具体的な理由も書いておいてくださるとありがたいです。(Sloop25さんが加筆してくださった分はできるかぎり既存の文章に組み込んでみました。)
オリジナルの英語版文書では幾つか強調されていてしかるべき点が十分に強調されていないと思われるため、当草案ではそうした点を明記するようにしています。主に以下のような点です:
  1. ウィキペディアに独自調査を掲載すべきでない本質的な理由:英語版文書では、「ウィキペディアは独自調査を掲載するのに適切な場所ではない」と言うだけで何故ウィキペディアがそういう場所なのかの本質的な理由が明記されていないように思います。WP:NOTにもあるように、ウィキペディアは第一に百科事典であり、百科事典という書物が独自調査を発表するような媒体ではないからこそ駄目なわけですから、この点は冒頭でしっかりと書いておくべきだと私は思います。現草案で「ウィキペディアは長い年月を経て培われてきた人類の英知を概括・分類して記録する百科事典であり」と最初に書いたのはそのためです。
  2. 社会的に広く認知された媒体、定評のある出版物、他:独自調査を禁じる規定はja.wpでも昔からWP:NOTにもあるのですが、このルールを独自調査を掲載しようとしている人に指摘して暫し返される言葉に「それでは一般社会ではあまり知られていないマイナーな科学分野の情報も駄目なのか?」というものがあります。この場合、その媒体や情報自体は一般社会においてマイナーであっても、その情報・媒体が属する学術分野自体が一般社会において広く認知されていれば独自調査に当たらない、つまり間接的に「定評がある」から大丈夫である、ということになる。これは暫し勘違いされる点であるので、明記しておく必要があると私は考えました。これについては現草案では「独自調査の定義」で4つ列挙した例で書いています。
  3. 一次資料と二次資料:これも勘違いする人が多いので強調する必要があると思います。電突のような独自取材は一次資料を形成するので明白ですが、問題なのは既に発表済みの一次資料を解釈・批判するような記述です。信頼のおける一次資料を参照しているから、その解釈・批判も独自調査ではないと勘違いする。これは解釈・批判のレベルで、つまり二次資料となったレベルで独自調査になるわけですから、アウトです。これも具体的に解説する必要があると考え、来日外国人の犯罪率を例にして解説を書いています。
無論、私の強調点が絶対に正しいというわけではありませんので、上記該当部分を削除・修正するのは構いません。ただ、その際にはその理由を是非ノートに書いておいてください。Hermeneus (user / talk) 2006年4月20日 (木) 11:40 (UTC)

確かに、英語版は、複数の注意深い編集者や注意深くない編集者、はたまた、英語を母国語としない編集者も加わっての編集になっていますので、文調が突然変化したり、人称が合致していなかったり、と翻訳上の問題がありますね。私の場合は、意味不明な場合には、可能ならば、その履歴を見て編集者を特定しその編集者へ直接問い合わせることにしています。もしくは、可能な場合には、自分で英文の方を編集します。日本語ウィキペディアと云えども、日本人だけが参加しているとは限りません由、英語版も日本語版も同じ意味とその雰囲気が伝わる様にと、個人的には、心掛けています。--一般人 2006年5月12日 (金) 08:26 (UTC)

大胆な再構成[編集]

せっかく翻訳してくださっているHermeneusさんに申し上げにくいのですが、大切な基本方針の翻訳を初稿から大胆に再構成なさっているのは、いささか無謀ではないかと感じております。英文とどこが一致してどこがHermeneusさんのオリジナルか、わかりにくいからです。・・・と、ここまで書いたところで、気づきましたが、Hermeneusさんはこのノート冒頭でも「翻訳」とは書かずに「導入しました」とのみおっしゃっておられましたね。私はてっきり英文に沿って「翻訳」されたのだと思い込んでおりました。

たとえ後から再構成するにしても、一旦原文に沿って英・日対照できる形で「翻訳」(逐語和訳でなく)してから、改変が他の人にも追えるような形で行うべきだと思います。--miya 2006年4月20日 (木) 15:18 (UTC)

やり直したほうがいいでしょう。miyaさんの案に賛成します。方針文章ではなく、独自の新たな草案ということで{{方針}}とショートカットをはずしました。残すのであれば名前を変えるなどの対処がいると思います。--Suisui 2006年4月20日 (木) 15:28 (UTC)

新言語版ウィキペディアを開設する際に最初に整備しておかなければならない文書であるGFDL、NPOV、WP:NOTの3つ(meta:Help:How to start a new Wikipedia参照)に関しては忠実に訳したものを最初に用意しておく必要があるとは思います。しかしWP:NORに関してはWP:NOTにある規定の一つが英語版ウィキペディアで後から独立・拡張して生まれた方針だと思われますので、必ずしも逐語訳の形で日本語版に導入する必要はないのではないでしょうか? 仮に日本語版ローカルでWP:NOTにある独自調査に関する規定を独自に拡張して方針化したのだとしても、同じ経緯を経て生まれた英語版のWP:NORへinterlangリンクを貼っても大きな問題は無いと思うのですが。(英語版ウィキペディアではoriginal researchに関する記述はWP:NOTで2003年1月26日に登場し、WP:NORとして独立した文書になるのは2003年12月22日です。日本語版では2003年2月13日にのWP:NOTの初稿にoriginal researchに関する記述があります。)

私的には英語版WP:NORの現在の文面は煩雑かつ冗長な要点をえないものなのでそのまま訳す気にはなれないのですが、とりあえずWikipedia‐ノート:独自の調査/NOR原文の訳に原文をできるかぎり忠実に翻訳したものを用意いたしました。無論、私自身は自分が書いたドラフトがベターであると考えますので、直訳版に一旦戻すにしても自分の版への改訂を提案いたします。私の書いたドラフトは基本的にオリジナルの英語版方針文書を再構成しているだけものなので、内容的に大きく外れるものではないと思います。Hermeneus (user / talk) 2006年4月20日 (木) 23:32 (UTC)

残念ながらこの文章をそのまま使うつもりはないのでコメントはあまりありません、しかしせっかく訳してくださったのにこのまま無言ではあんまりだと思ったので少し関係のない事を書きます。成立順序の話をするのであればmetaのHow to start a new Wikipediaのほうがずっと後になります。履歴を見れば明らかですし、またその大部分はそれまでおよびこれまでにwikipedia-lや英語版、#wikimediaなどのあちこちで断片的に語られてきたことのまとめです。2003年末から現在まで、ルールの作成はmetaと英語版の両方で行われ、相互に取り込み合ってきました。現在では、wikimediafaundation寄りのルールはmetaで作られることが多いですが、依然としてWikipediaのルールは英語版で作られ、英語版で最も頻繁に改定されていっています。私はそれをそのままもってくるのがいい、と思うほど英語版至上主義者ではありません。しかし、英語版でまとまっているものはどんなにひどくても日本語版よりはるかに多くの人の目に晒され、少しずつ良いほうへと改定を加えられてきたものです。それをHenrmeneusさんがこの訳がいい、と個人の視点でまとめられたそのローカライズあるいはカルチャライズも入っているかもしれませんが、その作業を一人で行われたことが良くない、と申し上げるまでです。日本語版にも生きたユーザーの方がそれなりにいらっしゃいますので、一人でやらずに皆で翻訳し、日本語版話者に受け入れやすい形にするのがよいと思いますし、wikiらしいやり方であると考えています。もちろん下訳の段階では一人での作業が必要と考えていることを付け加えておきます。HenrmeneusさんはNPOVをよく理解している方だとどこかで思った記憶があるので、これだけ書けば十分かと思います。「自分の書いたものが最も良い、と思いこむことはNPOVの視点から最も外れたことである」そしてそれをコラボレーションで解決することができるツールの一つがWikiであり、それを実践している場のひとつがWikipediaです。もちろんこれも私が私なりに理解したWikiとWikipediaの姿の一つに過ぎませんが。何らかのヒントになれば幸いです。--Suisui 2006年4月21日 (金) 19:47 (UTC)

私は別にこの方針の文面を一人で作成するとは言っておりませんし、大きな加筆修正を加えることにも反対しないと明言しております。そもそもこの草案は未だ完成しておりません。現在の版は未だ英語版で言及している全ての点を網羅してはいませんので加筆が必要です。また、私の書いたドラフトは英語版同方針の現行版を再構成したものであり、逐語訳にはなっていないというだけで内容的に大きく異なるものではありません。直訳であろうと意訳であろうと翻訳であることに変わりはありません。
もし私の書いたドラフトがオリジナルと比較して本質的に異なる致命的な欠陥があるのであれば、その点をノートで指摘した上で修正するなり、その是非を議論すれば済むことでしょう。直訳であれ意訳であれ、この方針の草案は英語版のオリジナルを参考にして作成されることに変わりはないわけで、であれば草案作成に参加できる人は必然英語力のある人、そして英語で書かれたオリジナルの方針文書を読んで十分理解している人に限られてきます。であれば、私の書いたドラフトがオリジナルと比較してどこの文面がどう変更されているのか、どの部分が未だ欠けていて加筆する必要があるのかなども、分かるはずです。今では英語版の直訳も用意してありますので、英語力が無い人でもそうした批判・検証は可能なはずです。
オリジナルの英文方針文書を理解した上で私の行った構成の変更等がおかしいと判断したのであれば、修正したり、あるいは根本的に一から書き直すことにも、私は反対しません。私が書いたドラフトよりも英語版のオリジナルの方が構成の面でも文面においても優れている、だから直訳版にしたいというのであれば、それでも構いません。ただ、そうする際には、英語版の現在の構成・文面が私のドラフトと比較して具体的にどう優れているのか、私のドラフトがどう問題なのかを、ノートで説明してからにしてくれと言っているだけです。私は別に自分が再構成したバージョンをベースに草案を作成すると宣言しているわけではありません。変更するのであればそうするでその理由を説明して欲しいと言っているだけです。Hermeneus (user / talk) 2006年4月21日 (金) 20:53 (UTC)
まず、翻訳と善意の案の構想、大変お疲れ様です。さて、自分は、今の Wikipedia:独自の調査 と Wikipedia‐ノート:独自の調査/NOR原文の訳 を入れ替え、これを下訳とした状態でまずスタートし、訳についての鳩首議論と、このような改訂案が(サブページ)にあるけれどどうだろうか?という方向で議論・加筆・修正をしていくのがいい、と考える者の一人、と表明します。たとえば、NOR原文の訳 にある『一次資料をなすような独自調査は禁止されています。しかし、一次資料や二次資料から情報を集めて整理したような調査であれば、もちろん奨励されています。ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。そうした記述は「独自調査」には当たりません;それは「ソースに基づいた調査」になり、百科事典の執筆には基本的なことです。』が欠けるのは反対です。 イグアナを観察しにガラパゴスに出向いて行ってその調査結果を報告することは百科事典の執筆者の仕事ではありませんが(科学者の仕事ですが)、ガラパゴスの生物についてどんな研究成果があるのかを調査して探し出してこれを百科事典の記事として記述することは、まさに百科事典の執筆者の仕事だと考えます。strongly encouraged で it is fundamental to writing an encyclopedia であると考えます。Uryah 2006年4月22日 (土) 08:12 (UTC)、Uryah 2006年4月22日 (土) 11:00 (UTC)(、M Uryah 2006年4月22日 (土) 11:12 (UTC)
オリジナルの方針文書はen:WP:NORにあります。現在、私はこのオリジナルの方針文書を意訳・再構成したものを草案として提案しています。問題点を指摘するのであれ、部分的あるいは全体的に書き直すのであれ、その確認のために参照できるオリジナルはen:WP:NORにあるのですから、直訳版を入れる必要は無いと考えます。無論、直訳版が構成・文面共に素晴らしく、基本的にこれをベースに大きな改変を加えず草案を作成すべきであるという意見であるのなら話は別ですが。
導入の提案をしているのは小説の類いではなくて方針です。小説の類いであれば正確に訳すことが肝要ですが、方針のような文書は方針としての精神とポイントをしっかり押さえている限りは構成や文面上の改変はかまわないと私は考えます。言論の自由を保証する条項の文面が日本国憲法と他の自由主義国の憲法とで異なろうと同じ言論の自由について規定する条項であることに変わりはないのと同じです。
現在の英語版の文書は後から様々な人が規定を加えていった結果、まとまりに欠けるものになっています。ですので、「original research」と呼ばれる編集の定義、これが禁じられている理由、その他方針文書としてのキーポイントを中心に整理しつつ翻訳するほうが、そのまんま直訳するよりも賢明であると考える次第です。現在の日本語版ドラフトは定義、適用例、理由など、至極無難なポイント毎に整理・翻訳しているつもりですので、他の人が欠けている情報を加筆するのも難しくないと考えます。例えば「ソースに基づいた調査」であれば、定義のセクションに加筆すれば済むと思われます。Hermeneus (user / talk) 2006年4月22日 (土) 12:23 (UTC)
精神とポイントをしっかり押さえ」るのに、「Original research that creates primary sources is not allowed. However, research that consists of collecting and organizing information from existing primary and/or secondary sources is, of course, strongly encouraged. All articles on Wikipedia should be based on information collected from published primary and secondary sources. This is not "original research"; it is "source-based research", and it is fundamental to writing an encyclopedia.」が欠けるのはありえないと、私個人は思います(つまり、この点について、はたとえばHermeneusさんとUryahはPOVが違うことが明らか、ということだと思います)。よって、NPOVの観点から、私個人は、直訳版をまず置くことを主張します。Uryah 2006年4月22日 (土) 13:23 (UTC)
別に現行の版で草案が完成しているわけではありませんので、抜けている情報は抜けている情報でしかなく、POVは関係ありません。また、「ソースに基づいた調査」に関する記述は、そういうものまで排除するわけではないという断り書きであって、別に独自調査禁止方針の要諦ではありません。Hermeneus (user / talk) 2006年4月22日 (土) 13:30 (UTC)
「ソースに基づいた調査」に関する記述は、百科事典の本質について記した記述で、独自調査禁止の方針を表明するにあたって百科事典の在り方について誤解を受けないよう、という危機感に基づいた(?)断り書きであって、独自調査禁止方針の要諦である、と私個人は読みます(Uryah's Point Of View)。独自調査禁止方針の要諦ではありません、というのは HermeneusさんのPOV(Hermeneus's Point Of View)だと私は読みます。どうしましょう?Uryah 2006年4月22日 (土) 14:40 (UTC)
その文章が必要だと思うのであれば加筆すれば良いだけのことだと思いますが。私は別にその文章を加筆することに反対はしていません。ソースに基づいた調査一般についての重要性はen:Wikipedia:Verifiability(検証可能性)およびen:Wikipedia:Citing sources(出典明記)で記されていることであり、独自調査禁止方針は特に独自調査について規定するものである以上、この文章が独自調査禁止方針において抜けていたからといって致命的な欠陥になるとは私は思いません。いずれにしろ、この一文が抜けているというだけの理由で本草案全体が偏向したものであるとダメ出しするのは少々乱暴であると思います。Hermeneus (user / talk) 2006年4月22日 (土) 14:52 (UTC)
深くなりすぎていたのでインデントを戻しました。--miya 2006年4月26日 (水) 01:44 (UTC)
なるほど。では直訳版をまず置くかどうかについて、私としては、広く判断を待ちます。
Suisuiさんに質問なのですが、「残念ながらこの文章をそのまま使うつもりはない」とおっしゃられているということは(という言い方をされているということは)、方針文章の採用にあたっては、叩き台や草案の作成の段階は別にして、その採否にあたっては、何らかの権限を持つ人々が決めることになっている、という意味でしょうか?
Uryah 2006年4月22日 (土) 15:16 (UTC)、Uryah ::2006年4月23日 (日) 05:50 (UTC)
(Suisuiさんがウィキブレイク気味なので横から失礼)方針の採否を決めるのはコミュニティの総意だと思います。だから、むしろ「(コミュニティとして)使うことはできないし、(自分個人としても)使うつもりは無い」と言うべきだったのではないでしょうか。仕切りなおしについては、下であらためてセクション#仕切りなおしについて」を立てました。--miya 2006年4月26日 (水) 01:44 (UTC)
了解しました、ありがとうございます。いままでこの議論に居る全ての方に、ありがとうございます、と言わせていただきます。Uryah 2006年4月26日 (水) 16:59 (UTC)

仕切りなおしについて[編集]

「原文転記」→「日英対訳」→「直訳版」→再構成議論→「再構成」

Hermeneus さんは以下のように書いておられます:

>必ずしも逐語訳の形で日本語版に導入する必要はないのではないでしょうか?Hermeneus さん 2006年4月20日 (木) 23:32 (UTC)
>英語版の現在の構成・文面が私のドラフトと比較して具体的にどう優れているのか、私のドラフトがどう問題なのかを、ノートで説明してからにしてくれと言っているだけです。Hermeneusさん 2006年4月21日 (金) 20:53 (UTC)

が、「比較」できるようにするためにも、一から仕切り直しをさせてくださいとお願いしたいのです。日本語版はHermeneusさんのように英語に堪能な方ばかりではありません。私など、日英対訳を見ないと、「比較」できそうにありません。上のセクションでご親切にも解説してくださっていますが、ここと原文と和訳とHermeneusさんの再構成草案とを見比べながら検討するのは困難です。

ですから、Hermeneusさんの「再構成」したものは「Wikipedia‐ノート:独自の調査/Hermeneus草案」に移動し、そのあとにまず「英文」のみを転記し、その次に段落ごとの「日英対訳」を提示してみなで比較検討し、日本語への「翻訳」をまとめ、その上で「再構成」をノートで提案し、合意の上で本文に反映させていく、と手順を踏んでいただきたいと思います。まどろっこしいようですがこれが、ウィキペディアとして一般に受け入れられる方針の改訂方法ではないでしょうか。

>方針のような文書は方針としての精神とポイントをしっかり押さえている限りは構成や文面上の改変はかまわないと私は考えます。。Hermeneusさん 2006年4月22日 (土) 12:23 (UTC)
ですから、「しっかり押さえ」られているかどうか、他の人が目で見て確認できるように、きちんと順を追って進めるべきです。現に、上で疑問も出ています。結果的に、現在のHermeneusさんの草案がそのまま復活することになるかもしれませんが、まずは他の人も参加しての日英比較検討を経るべきでしょう。--miya 2006年4月26日 (水) 01:44 (UTC)

Wikipedia‐ノート:独自の調査/NOR原文の訳がありますので今のままでも比較参照はできると思うのですが、miyaさんや他の方がどうしても日英対訳版を望まれるのであれば、これ以上私の書いた草案維持を強弁しても無駄でしょうし、またこの方針の作成が滞るのは私の望むところでもありませんので、現在の記事は私の利用者ページ下にでも移動します。みなさんの共同作業で日英対訳版が完成されてから、あらためて再構成や文面変更を提案することにします。Hermeneus (user / talk) 2006年4月26日 (水) 02:09 (UTC)

いいえ。できません。なぜなら、あなた一人の翻訳では、やはりあなたの個人的見解が含まれている可能性が否定できないからです。必ず何人かが訳文と原文を対比し、訳文に手を加えるべきです。具体的には、Wikipedia:荒らし の初版のようにすべきだということです。この文章にさえ、最終的に7人の手が入っています。Tietew 2006年4月26日 (水) 04:20 (UTC)

とりあえずWikipedia:独自の調査は私自身の利用者ページ下に移動し、元の場所には英語の原文を入れておきます。Wikipedia‐ノート:独自の調査/NOR原文の訳は私のみが書いているので即時削除に出しておきます。Hermeneus (user / talk) 2006年4月26日 (水) 05:00 (UTC)

ええと、なぜそうなってしまうのか理解できないのですが。折角翻訳したのならそれを捨てる必要はないでしょうに。Tietew 2006年4月26日 (水) 05:23 (UTC)
共同で翻訳していくわけですから、皆さんがそれぞれ訳文を出していく毎に私の方でも自分で訳した文案を出して、一緒に検討していくということではないのでしょうか? 私が書いた分は全て手元に下書きがありますので、別に捨てたわけではありません。Hermeneus (user / talk) 2006年4月26日 (水) 05:52 (UTC)
もう少し他の人の意見をちゃんと読みませんか。Suisuiさんはこう仰っています:
もちろん下訳の段階では一人での作業が必要と考えていることを付け加えておきます。
私の示したWikipedia:荒らし の初版も、下訳は一人で作り、その後何人かに読んでもらい、修正をお願いしました。ですからそのようにされてはどうですか、と書いたのです。Tietew 2006年4月27日 (木) 03:36 (UTC)
日英対訳版から作業を始めることを望んでいるのは私ではありません。私は、原文を直接読んで方針の骨子を理解し、そこから要点だけをとらえて効率的に草案を作成していけば良い、検討・加筆・修正も参加者がそれぞれ原文を直接参照して行えば良いと考えていますので、日英対訳版作成のステップを必要とはしていません。ただ、どうしても日英対訳版を必要とする方々がいて、是非作成したいとおっしゃられたから、私はそれに賛同しただけです。日英対訳版はそれを必要とする人が作成しなければ意味がないでしょう。無論、そのお手伝いはいたします。Hermeneus (user / talk) 2006年4月27日 (木) 04:38 (UTC)
……。ではとりあえず即時削除は取らせて頂きました。Tietew 2006年4月27日 (木) 05:10 (UTC)

色々と混乱しているようなので問題点を整理します。まず問題となっている私が最初に書いた草案(現・利用者:Hermeneus/Wikipedia:独自の調査)は:

  1. 英語版ウィキペディアにあるオリジナルの方針文書を要点・精神をおさえつつ意訳・再構成したものです。つまり、これは逐語訳ではありませんが、翻訳であることには変わりありません。
  2. 私一人で全てを書くと宣言したものでもありません。他の方がこの草案とオリジナルの方針文書とを比較検証して、何らかの問題を見つけたのであれば大きな加筆修正を加えてくださっても結構だと私は言っています。また、完成したものでもありません。未だ加筆が必要な箇所が幾つかあります。

Miyaさんが反対されているのは、私がいきなり再構成済みの意訳から始めたことです。まずは日英対訳版から始めないと問題点の判別もつきにくいから、原文を直接参照して検討するのは困難な人もいるから、まずは仕切り直して日英対訳版から始めて、その後で改めて文面の修正なり再構成の提案をしてくださいと言われた。私はこの提案に賛同して、私の書いた草案はいったん取り下げ、対訳版を望まれる方々に便利なように英語原文を元の場所に入れておきました。

Suisuiさんは、この草案を私が一人で書いたから中立的観点に反し却下だとおっしゃられているように見受けられます(Miyaさんの指摘されている問題点とは少し異なるように思われます)。しかし、この草案は未だ完成したものではありませんし、また、この先私一人で全部書いていくと宣言したわけでもありません。他の方による加筆・修正も歓迎すると言っています。ですので、「一人で書いた」という批判は当たらないと思われます。

意訳版の利用者:Hermeneus/Wikipedia:独自の調査とは別に直訳版のWikipedia‐ノート:独自の調査/NOR原文の訳もありますが、これについては上の書き込みを参照ください。Hermeneus (user / talk) 2006年4月27日 (木) 05:48 (UTC)

せっかく草案を作られているのに、Hermeneusさんは意地になってませんか?とにかく現状の本解説ページは日本語版にはありえない形になっています(日本語がありません)。ここまましばらく放置されるのはいい形ではないと思います。ある程度下地が出来てからこのページは存在すべきと思いますので、削除依頼に出そうかと思うのですが。よろしいでしょうか?--Trilingual 2006年4月27日 (木) 09:34 (UTC)
Trilingualさんから現状の本解説ページの削除依頼に出そうとお考えとのことですが、私は、削除依頼には出さず、Hermeneusさんが作成された原文の訳(Wikipedia‐ノート:独自の調査/NOR原文の訳)を英語の原文に組み込むのがよいと考えます。つまり、現在翻訳中のWikipedia:Verifiabilityと同じスタイルにするということです。これにより英日の比較・検討を容易とし、本方針の検討を促進していくことができると思うからです。Hermeneusさんが同意して頂ければ、英語原文へのHermeneus作成の訳の組み込み作業を実施したいと考えておりますが、いかがでしょうか。--Sloop25 2006年4月27日 (木) 17:41 (UTC)
私が書いた文章に関しては何であれ好きに利用してくださって結構です。Hermeneus (user / talk) 2006年4月27日 (木) 17:58 (UTC)
Hermeneusさん、同意頂きありがとうございます。早速、Hermeneusさんの作成した訳を英語原文に組み込ませていただきました。--Sloop25 2006年4月27日 (木) 20:28 (UTC)


学者、機関、メディアの“立場”[編集]

Wikipedia:出典を明記するとも関連して、2点、広く知りたいことがあるので、提示してお伺いします。文言として引かせていただきまして、たとえばノート:日本の民族問題にて、Hermeneusさんが「社会的に定評のある学者や機関、メディアの発表している解釈や意見を引きつつ解説を書くのが基本」とおっしゃられております(2006年5月20日 (土) 23:34 (UTC))。まったくそのとおり、と私Uryahは思います。そのうえで、2点、広く意見を知りたいので、以下を掲示させていただきます。

  1. 引いてくる原典が、“学会の論文” と “たとえばブルーバックス講談社現代新書岩波新書” では、意味・価値に違いはありますか?
  2. 学会論文” または “たとえばブルー・バックスや講談社現代新書や岩波新書” を引いてきた場合、wikipediaの執筆者がその単論文・単本についてのみ知っていた場合には、「誰々によるとこれこれということになっている」「誰々はこう言っている」と引くことになると思いますが、wikipediaの執筆者が“学会の全体像”または“市販の自然科学書・社会科学書の全体像”を知っている場合には、その姿を掲示して引く必要があるでしょうか?

Uryah 2006年5月23日 (火) 14:09 (UTC)

前者はものによると思います。価値は読者が判断するのだと思います。後者は中立的な観点との兼ね合いからもその方が有難いです。ただその評価が編集者の意図で変わったりそれが元で編集合戦になったりする現状もありますが。johncapistrano 2006年5月23日 (火) 14:19 (UTC)
コメントをありがとうございます。単論文・単本についてのみ執筆者たちが知っていて引いてきた場合には、その価値・優劣をwikipediaの執筆者が判定するのではなく、「○○はこう言っている」「××はこう言っている」と併記して引くのが百科事典ですよね?論文や本の引き方という意味では、たとえば引きこもり 2006年5月21日 (日) 12:32 の版が良い例だと私は考えます。全体像を示す(示せる)場合には、その出典が必要ですよね。特定の大学・研究機関の紀要が全体像の根拠になり得るのか、あるいは学会には、その役割を果たせる全体を俯瞰する何か目録のようなものが在るのか(定期的に発行されて用意されているのか)私は判りませんが、出典として根拠を示すことが必要です。引いてきたwikipediaの執筆者が「私は知っている。それによれば~」では、全体像の根拠にはなりません。Uryah 2006年5月24日 (水) 11:18 (UTC)

広くと言うことですので、私も一言。つまり、誰が言っているのか、明示することが必要だ、と言うことに尽きると思います。johncapistranoさんのおっしゃるとおり、そこが明示されていれば、読者が判断できます。その判断は、執筆者がするのではなく、ということです。だから、「何年何月何日に○○学会で某はこう発表した。しかし、何年何月何日に何社が発行した誰々著の「○○」にはこう書いてある。一方、....」というようになっていくのではないでしょうか。学会の全体像の件も同じで、全体像というものが唯一の国際学会で満場一致で可決されたとでも言うのならともかく、そうでもない限りは、誰々の説ではこう[1]、誰々の説はこう[2]、それを誰が支持していて[3]、.....となっていくのではないでしょうか。([1]などからは、その論拠にリンクされていくわけです。)-- [Cafe'] [Album] 2006年5月29日 (月) 09:34 (UTC)

コメントをありがとうございます。「誰が言っているのか、明示することが必要だ、と言うことに尽きる」「判断は、執筆者がするのではなく」「読者が判断」「誰々の説ではこう[1]、誰々の説はこう[2]、それを誰が支持していて[3]、.....となっていくのではないでしょうか」、まったく同感します。johncapistranoさん、っさん、ありがとうございます。Uryah 2006年5月29日 (月) 12:52 (UTC)