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Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Nekosuki600 20090725

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海獺氏の長くまとまりのないコメントの是非[編集]

海獺氏の文章が長いから読まないのではなく、海獺氏は常に管理者権限を散ら付かせて無言の圧力を加えるタイプの管理者であるにも関わらず、その文章能力やコミュニケーション能力に問題があり、正常な意志伝達能力に欠けているのが問題なのです。
あなた御自身だって、高圧的な態度を取る管理者に長ったらしい悪文で注文を付けられ、忍耐強く対応した挙句に「私は管理者としてものを言っているのではなく、あなたが他の利用者に注意を受けないよう忠告してあげているだけです」などと訳のわからない事を言われたら対応に困るでしょう。海獺氏の本質的問題はそこにあります。--118.6.117.58 2009年8月17日 (月) 03:41 (UTC)[返信]
IP氏のコメント内容は、さすがにこのコメント依頼には直接関連がないため、後はノートなどでお願いします。また、単発の書き込み[1][2]になっていますが、出来ましたら説明責任を果たして下されば幸いです。--山本山815 2009年8月17日 (月) 04:09 (UTC)[返信]
説明責任】のリクエストにお応えします。
海獺氏に一度関わると、即座に海獺氏のウォッチリストに入り、その後長期間に渡り執拗な追跡作業を受けるという話を方々でお聞きしているので、自己防衛のためにアカウントは取得していません。仕事もせず一年中利用者行動を監視している方とは、係わり合いになりたくありませんしね。
いずれ海獺氏が解任なり引退なりされたら、その時にあらためてアカウント取得を検討します。以上 --118.6.117.58 2009年8月17日 (月) 04:23 (UTC)[返信]
"海獺氏は常に管理者権限を散ら付かせて無言の圧力を加えるタイプの管理者である"が気になりますね。できれば一例を挙げていただけませんか?
また、新たにコメント依頼を立てることをお勧めします。--nyaku 2009年8月17日 (月) 07:00 (UTC)[返信]

(インデントを戻します)

日本語版管理者に呆れて外国語版に移ったユーザ相手に、あえて日本語版に引き戻しプレッシャーを加えようとしている海獺氏に注目。
[補足] もし管理者として正常な判断力があるなら、jawp外部で発生した問題はまず外部で解決を図るべきです。外部の問題を安易にjawp内部に持ち込むべきではありません。興奮するとすぐに冷静な判断力を失い、慇懃無礼な言葉遣いで煽りを連発するのが彼の特徴であり、また管理者としては重大な欠点と言えるかもしれません。 --118.6.157.124 2009年8月17日 (月) 10:38 (UTC)[返信]
どういう風に見ればいいのかもわからないのですが、スラッシュドットにraccoという人がいて、それは私、つまりウィキペディアでの利用者:海獺と同じ人物であるというお話をされているのでしょうか? 私はスラッシュドットにアカウントを持っていないですし、コメントしたこともないです。スラッシュドット自体ほとんど見ないので、そういったアカウントの方がいらっしゃることも初耳です。スラッシュドットのraccoという方と私は何も関係がないと明確に否定しておきます。--海獺 2009年8月17日 (月) 10:53 (UTC)本件に関しては、あなたがそのような主張をした以外に客観的な証拠がありません。例えばその時間帯に別の作業を行っていた等、客観的に判断できる証拠の提出をお願いします。[要出典][返信]
よくわからない内容の「要出典」がつけられておりますが、否定する以外の客観的証明は当然のことながら私には不可能です。勝手に同じ人物だと思い込んで、ここまでお話をなさっている人たちがいらっしゃるのなら、とてもお気の毒だと思います。また、ウィキペディアで不正に使用されるソックパペットのお話と同じように考えていらっしゃるとしたら、非常に無益で大きな勘違いをしてらっしゃると思います。あまりに本来のコメント依頼の目的と離れている話題ですので、以降は返信を割愛させていただきます。--海獺 2009年8月17日 (月) 11:48 (UTC)[返信]

このコメント依頼のクローズの方法について[編集]

最初の依頼からあと一週間で一ヶ月が経とうとしています。以下の理由からこのコメント依頼をクローズすべきだと思います。

  1. 猫さん本人のコメントも頂けました。
  2. 依頼者の方も即時終了を求めています。
  3. 普通、管理者が自主的に出すコメント依頼でも2週間くらいで本人がクローズします。
  4. あまりにも期間の長いコメント依頼は、コメント依頼を「悪口コンテスト」のように解釈しているようなユーザーによって荒らされやすいと自分は思います。

以上のことから考えても早めにクローズしたほうがいいと思うのですが・・・。--Kingofclub13 2009年8月18日 (火) 05:20 (UTC)--Kingofclub13 2009年8月18日 (火) 05:21 (UTC)[返信]

同感ですね。正直、そろそろ終了してもよろしいかと思います。過去に多くのコメント、ブロック依頼が出されている以上、Nekosuki600氏側にも問題があることは海獺氏も指摘してますし、私もそう思います(私は[3]で同じ趣旨のコメントをしてます)。それに対してNekosuki600氏本人は「今後とも改善の余地はあろうかと存じますし、改善していく所存でございます。」とコメントしてますので、これ以上の依頼継続は無意味でしょう。また、依頼者自身も終了を望んでおり、すでに同依頼を放置している状態です。「暴言の定義」や「海獺氏に対するコメント」など、依頼自体の趣旨もズレはじめていますしね。--Mkhcan487(talk.contributions) 2009年8月18日 (火) 07:40 (UTC)[返信]
「あまりにも期間の長いコメント依頼は、コメント依頼を「悪口コンテスト」のように解釈しているようなユーザーによって荒らされやすい」というのは何かこれまでの経験則のようなものがあるのでしょうか?それとも印象論でしょうか?こういう主張をされる場合は根拠を挙げたほうがより説得力がますでしょう。そもそも「コメント依頼を「悪口コンテスト」のように解釈しているようなユーザー」などというのは目的外利用者なのですから、もしそんな輩が本当に存在するなら即座にブロック依頼を提出していただきたいものです。また、海獺さんに対する程度の低い煽りは論外ですが、「暴言の定義」はこのコメント依頼の根幹だと思います。--122.29.83.144 2009年8月18日 (火) 09:17 (UTC)[返信]
◆122.29.83.144さんとおれが同じポジションに立っているか違うポジションに立っているかをおれは知りませんが、こと「暴言の定義は、このコメント依頼の根幹ではないか」という点については、おれも「そりゃその通りだぁ」とか思いますね。
まあ確かにこのコメント依頼はおれに対して出されたものだけどさ、最近でも「暴言」だったか「個人攻撃」だったかでの裁量ブロックとか乱発されていていったいそれは何なんだって話題が続出しているんで。おれ的には、まあ確かにコメント依頼を出されるなんてのは愉快なことではありませんが、それをきっかけとして「暴言の定義」あたりをめぐる議論が深化してくれるなら、不快感を補って余りある有益な成果と言えるようになるんじゃないかと思ってますよ。
当初、「このコメント依頼は即時終了すべき」と主張していた方々の多くは、どちらかというとおれにシンパシーを抱いてくださっている方々であるように感じていました。それについて、おれは「別に許容限度を超えた迷惑とは思っていないし、いいんじゃないの」といった見解をにちゃんねるあたりで表明しつつ静観していました(冷たいと感じた方、どうも申し訳ない)。その後即時終了という主張が、どちらかというとおれに対してアンティパシーを抱いている方々に移行していったことを、おれは興味深く眺めております。「思ったような展開にならないから終了すべき」って思っているひとがいるのならば、あんたそれってなんぼなんでも卑怯というものではないか(思っていないひとは、自らが卑怯だと言われたわけじゃないんで、あんまし気にしないよーにね)。
でだ。「猫が好き♪はけしからん」で話がまとまってもまとまんなくても、そんなことはどうでもいいのよ。「果たして暴言とは何なのか」「個人攻撃ってのはどういうもののことを言うのか」といったあたりについて深く考えるきっかけとしてこのコメント依頼を使うくらいの視野があってもいいのじゃないか。いいサンプルもいて、そのサンプルは同意しているんだし。もしそういう方向で議論が深まるのであれば、被依頼者としては名誉なことだと思うし、望外の幸せと感じますです、はい。--Nekosuki600 2009年8月18日 (火) 14:58 (UTC)[返信]
利用者の態度やらに関連するブロックが多発しているのは知ってますし、議論は必要になってくるだろうと思います。ですが、何も本コメント依頼で「暴言の定義」を議論する必要はないでしょう。一利用者に対するコメント依頼で話し合ったとしても、多くの人の目に留まるとは考えられませんし、Wikipedia全体の問題となってくるわけですから、然る場所で話し合うべき思いますが。--Mkhcan487(talk.contributions) 2009年8月18日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
それは違うと思うなあ。
本来議論というものは一般的・普遍的な結論を導くためにあまり属性を帯びないように注意して抽象的に行うべきものだと思うんだが、そういう議論って視聴率が稼げないんだよ(=多くの人の目に留まるということはない、という意味)。厳密に抽象的にやるよりは、まだしもこのコメント依頼の方が、知恵を集めやすいのではないか。まあ、それにしてもネタがコモノだからたいした視聴率にはならんだろうという点には同意するのですが(=^_^;=)。
ここを「しかるべき場所」にしちゃえばいいのさ。少なくともネタにされた被害者は、それに同意してますってことで。このあとどうするかは、好きにしてくださいって思ってますけど。--Nekosuki600 2009年8月18日 (火) 16:48 (UTC)[返信]
「ここを『しかるべき場所』にしちゃえばいいのさ」そう言われると、返答に困りますね……確かにそうすれば問題ないですけど…。どこでやろうとこのような議論、参加する人は限られてくるでしょう。それならば、多くの注目を浴びているこのコメント依頼を使おうっていうのは分りました。被依頼者であるあなたがそこまで言うのなら、今後私は本依頼について意見することはありません。まぁ議論に参加するかどうかは別の話ですが。--Mkhcan487(talk.contributions) 2009年8月19日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
誤解を招いていたらいやんなんで追記。
いくらなんでもここを「Wikipediaにおける暴言とはなにか」についての権威ある(=^_^;=)テキストに育てるのは無理だと思います。ただま、将来そういう議論をどっかWikipedia名前空間のページあたりでやるとして(あ、ここもWikipedia名前空間ではあるのだが)、そのときに使える材料をかき集めておくページとしては十分に使えるだろうと。いつかWikipedia名前空間の直下で、たとえば「Wikipedia:暴言と個人攻撃の定義」なんていうガイダンスを作ることになったとして(=^_^;=)、そのときリンク先として使える程度の資料的価値のあるテキストに育てることは可能でしょうと。現段階でもそれなりに使えるとは思っているんだけど。
こういうネタってさ、なにかというと印象論が横行するんですよ。「とりあえずここを見ろ、それなりに実例も集められている」というページがあれば、印象論の横行を抑制することはできる可能性があります。少なくともこう、「暴言だ!」という言辞は非難のレトリックとしてあんまし有効ではない、という証左くらいにはなってるし、なにを暴言だと理解し何を個人攻撃だと理解するかというあたりがけっこうな分水嶺になるという実例にもなってると思うし。
少なくとも、ネタにされてるっていうか被対象者であるところのおれはいやがってはいないので、せっかくはじまったコメント依頼なんだし、うまく使いましょうよ。--Nekosuki600 2009年8月19日 (水) 16:26 (UTC)[返信]
了解です。--Kingofclub13 2009年8月20日 (木) 02:27 (UTC)[返信]
コメントまずは依頼者が総括をすることを放棄していますのでクローズが妥当だと思います。それに被依頼者への同様のコメント依頼は何度も出されており今更こまごまとした議論をする親切は不要だと思います。またこのような発言をする利用者にあたった場合どう対応すべきかを読者が考えれることも重要ですがその時間も十分に取れたと思います。--みや1229 2009年8月20日 (木) 15:03 (UTC)[返信]
表現論的暴言がどーたらというひとたちに迎合(=^_^;=)して丁寧な言葉遣いで書くけどさ。おれはすでに「当初、『このコメント依頼は即時終了すべき』と主張していた方々の多くは、どちらかというとおれにシンパシーを抱いてくださっている方々であるように感じていました。それについて、おれは『別に許容限度を超えた迷惑とは思っていないし、いいんじゃないの』といった見解をにちゃんねるあたりで表明しつつ静観していました(冷たいと感じた方、どうも申し訳ない)。その後即時終了という主張が、どちらかというとおれに対してアンティパシーを抱いている方々に移行していったことを、おれは興味深く眺めております」と書いているんですよね。タイムスタンプは2009年8月18日 (火) 14:58 (UTC)でした。
にもかかわらず、みや1229さんから「クローズが妥当」という見解が表明されたことを、とても面白い(funny じゃなくて interesting の方。「興味深い」というべきかも知れない)現象だと思っています。
親切だと? ここでクローズしたとして、それは誰に対する親切になり得るのだろうか。少なくとも、おれに対する親切になることは絶対にありません。--Nekosuki600 2009年8月20日 (木) 15:17 (UTC)[返信]
この依頼者のコメントを総括の代わりという事にして本依頼をクローズしていいんじゃないか、と思いますが、どうでしょうか。--203.165.28.104 2009年8月28日 (金) 16:57 (UTC)[返信]
それは「もうだいぶ前に出されたけど同意を得られなかった提案」と同主旨ではないのだろうかと思います。--Nekosuki600 2009年8月28日 (金) 17:05 (UTC)[返信]
依頼者は、あの発言で終了させたつもりなんだろうね。でも、まだ依頼自体は閉じられていないから、依頼者に終了を宣言するか、まとめをしてもらうか、お願いしてみるというのはどうでしょう。応じて頂けるかどうか分かりませんけど。--203.165.28.104 2009年9月5日 (土) 14:47 (UTC)[返信]

暴言だという論難と議論の中身[編集]

似たような議論は他所にも在るようです。近年「上から目線だ」という論難・非難の仕方が見受けられるようになった、これはいったいなんだ?というテーマで、2009年7月12日の朝日新聞に、“「上から目線」で何が悪い(オピニオン 耕論)”という議論がありました。

呉智英:(「バカヤロー」は議論相手への罵倒語なんかではなくて)「『バカだ』は、議論の中身の至らなさ、能力の無さを、指摘してやってるんだよ。言われた方も次は議論に勝つべく努力しようとするかもしれない。『上から目線だ』という反発は『あなたの主張はともかく、社会は平準化されることを要求してますよ』と言ってるだけ。何も生まない」
宇野常寛:「現代は常識や世間を背景にした普遍的な『正しさ』が主張しづらい時代です。社会が平準化、フラット化してるからこそ、みんな、その場その場の関係性の中で、ほんのちょっとでも上に立つことにこだわる。『上から目線だ』と言いさえすれば、発言の中身ではなく、態度の面で相手に勝ったという幻想が持てますから。そして一瞬だけ癒される」

この議論の「上から目線だ」を「暴言だ」に置き換えたら、ここでの議論をそっくりそのまま表しているように読めます。この議論では、呉智英さんは近代社会の平準化圧力が「上から目線だ」という論難を蔓延させると言い、宇野常寛さんは「こうしたひがみの言葉が世界を覆うのは避けられない」と言います。ここでは、「バカヤロー」という字面イコール相手を罵倒する言葉ではないという認識は共有しているようです。
現在が、社会が平準化・フラット化していて「常識や世間を背景にした普遍的な『正しさ』が主張しづらい時代」であっても、それは「しづらい」困難な時代になったという状況を認識しているだけであって、たとえば百科事典を作るに際して、「普遍的な『正しさ』」を、方向としては、求めていかなければならないのではないでしょうか。Uryah 2009年8月20日 (木) 10:24 (UTC)[返信]

多分、猫好きさんはウィキペディアやネット掲示板のベテランユーザーであり、そういったやり取りに慣れているので、彼が思った事をそのまま会話ページや井戸端などで書いてしまっているのでしょう(ときにウィキペディアのベテランユーザーで新規参加者にアドバイスをくれるという良い意味でも、ときには新規参加者や児童、学生さんのやっていることに言い過ぎてしまうという悪い意味でも)。だから今回のようにウィキペディアに新規参加された方や繊細な方ががそれをデリカシーがないとか、「暴言」とか感じてしまうこともあると思います。事実、最初は私もウィキペディアに参加したての頃は猫好きさんの会話ページを読んでビックリしてしまい、彼に対してあまり良い印象を抱いていませんでした。しかし今では印象が変わり、シンパシー(?)のようなものを抱いている部分もあるように感じております。--Kingofclub13 2009年8月20日 (木) 13:01 (UTC)--Kingofclub13 2009年8月20日 (木) 13:07 (UTC)[返信]
Kingofclub13さんどーも(この「どーも」でコメントを始めることすら「暴言」「フォーマルではない」とかいう非難を浴びそうで憂鬱な今日このごろ。やめないけどね(=^_^;=))。
いやあえーとなんだ。おれ、ネットの前に実社会で揉まれてきてて、そっちでもスタイルは同じだし、ネットのヴェテランユーザだからとかいう話じゃないような気がするんですよね。そうじゃなくて、「思想的対立や価値観の対立があるところである程度不愉快な思いをするのは当然だ」と思っているせいじゃないだろうかという気がする。たとえばの話が、フォーマルであるはずの国際会議の場でとある極東の国の政府代表団の一員(!)に殴りかかられたことがありましたし、だからってそいつが次年の代表からはずされるということはありませんでしたし、世の中そんなもんだろうと。
まあなんだ。おれの言辞に不快感を抱くやつがいるだろうことはわかっているんですよ。しかし、おれもいろんなやつの思慮に欠ける編集やお馬鹿な主張にかなりの不快感を抱いているわけだし、そのあたりは「おあいこ」だろうという気がする。表現の是非なんて、「おまえが言うな」かもしれないけれどちっちゃな問題なんじゃないんだろうか。「思慮に欠けていること」「馬鹿であること」「無知であること」なんかも十分に暴力的であり他者に甚大な不快感を与えるものなのであるということについて無自覚なやつがいるとして、そいつに不快感を抱かせないようにしてやるために(←上から目線です)なんでおれが一定方向のレトリックを駆使してやらねばならんのだろうか。お互いに存在自体が不愉快なんだとしてそんなもんは珍しいことじゃないだろう、そこで抑制的レトリックを使うか直截なレトリックを使うかくらいはおれの自由にさせてくれ、みたいな感じ。「暴言」なんていうキーワードで思考停止をして上に立てると思うな、そこで思考停止をするような情けないやつが多数派を占めてるなんて思うな、とか言ってみたりするわけです。おお、これってけっこうな暴言かもしらんなー(=^_^;=)。
でだ。
別にこう、理解を求めるわけでも同意を求めるわけでもありませんが、ちょっと愚痴をこぼしてみようとか思ったんです。ここからは「ときには新規参加者や児童、学生さんのやっていることに言い過ぎてしまうという悪い意味でも」へのレスポンスだ。そして、ここからがこのレスポンスの主軸だ。
若年者が無造作にWikipediaに参加してぼろかすに貶され最終的には無期限ブロックをくらって追い出される、という風景はけっこう続いていたんですよ。「今現在、そいつにいついてもらっては困る」ということと「しかしそこまで言うことはないじゃないか(ストレス解消目的の弱いものいじめみたいなことをしてもしょうがないじゃん)」ということと、両方いろいろ考えまして、おれはWikipedia:児童・生徒の方々へを起草し、ややこしい議論をまとめたんですよね(念のためだが、正式文書化したのは、おれではありません。評価してくれた他の方です)。あれは、多くの方々の助力などもいただいたおかげで、それなりにいい文書になってると、おれは思うんだ。それすら読まずに特攻してくるお子様(年齢制限なし)って「問題外」じゃないんだろうかと、おれは思ってます。そういうお子様が、不愉快に感じるであろうきつい評価を受けたときに「暴言だ」とか「おれは傷ついたんだぞぉ」とか金切り声を上げたとしても、おれは「そんなもん知るか」と思ってます。「それは自業自得であり、自分で引き受けるしかないだろう」とも思ってます。
表現問題とかに矮小化された部分についてはあんまし真面目に対応する気がないのだけれども、そういう価値観対立みたいな部分は面白いし、おれはもっといろいろな話を聞いてみたいなあと思っています。ただ、なんかこう、どうせ火に油を注ぐ結果になるんだろうけれども面白がりつつ率直に言うと、「『猫が好き♪は暴言者でけしからん』というひとたちはどうして『表現の是非』に集中し『価値観対立』とかを丁寧に避けて通るんだろうか」みたいな方向に現時点でのウォッチングの比重が移りつつあることは否定できません(←えーと、念のために言うのだが、表現は丁寧だけれどもこのあたりってこの一連で最大級の「暴言」かもしれない表明なのであり、そのつもりで読んでいただけると幸いですぅ(=^_^;=))。--Nekosuki600 2009年8月20日 (木) 14:59 (UTC)[返信]
Uryahさんどーも。
えー、名言なのか暴言なのかよくわかりませんが「馬鹿に馬鹿と言ってやるのは親切だ」ってのも呉智英の言葉でしたっけ?(=^_^;=) 思想的にも生活哲学的にも呉智英には全然シンパシーを抱いていませんが、そのあたりでシンパシーを抱いていないおれあたりにも「むむむ・・・呉智英が言うことは、そうなのだよなあ」と思わせてしまうような呉智英の思想的パワーには、素直に「すげえな」という評価を表明するにやぶさかではありません(何回オブラートかけているんだか(=^_^;=)>おれ)。
まあこのあたりの「説得力」みたいなやつってけっこう人生かかっちゃうところで、しんどいんだけどね。でもまあ、「智の前線」でなんかやろうと思ったら絶対に避けて通れないところでもあるわけで。そこをしんどいと思うようではまだまだであり、そこを楽しいと思えるくらいの余力がないと人間として情けないのではないだろうかなんて思ったりするんですよねえ(←さらにすさまじい暴言を吐いたような気がしなくもない。表現は、とても丁寧だと思うんですが(ふっ))。--Nekosuki600 2009年8月20日 (木) 14:59 (UTC)[返信]
「社会が平準化・フラット化」しているというのは個人的には興味深い(なにせ吉本隆明にどっぷりつかったもので…)のですが、あんまりWikipediaのガイドライン(例えば中立的な観点など)に関係する話とは思えませんでした。 ところで、皆さんはナルシシズムについてどう思われますか? 少しは「暴言だという論難」に関係するとは思うのですが…。 --山本山815 2009年8月20日 (木) 16:29 (UTC)[返信]
ナルシズムですか・・・?うーん、自分に自信があるならたっぷり自分に酔ってみるのも悪くはないと僕は思っています。--Kingofclub13 2009年8月21日 (金) 10:15 (UTC)[返信]
「Wikipediaにおける暴言とはなにか」「Wikipedia:暴言と個人攻撃の定義」といったものが将来書かれることになった場合の資料・材料に資する情報として、「朝日新聞 2009年7月12日 “「上から目線」で何が悪い(オピニオン 耕論)”」をここに挙げさせてもらいました。Uryah 2009年8月27日 (木) 15:39 (UTC)[返信]