Wikipedia‐ノート:オフラインミーティング/執筆ワークショップ (案)

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素朴な疑問[編集]

問い[編集]

たった15分で書いて、その後30分で内容/構成確認・拡充までできる記事って何ですか? ...と言うか、そんな大学入試の小論文試験にも満たない時間でまともな記事が書けるなどと本気で思っているのなら、自分ではロクに記事を書かない主催者が記事執筆をナメてるとしか思えないのですが。 Yassie 2010年1月14日 (木) 09:38 (UTC)[返信]

当日必要なものに「約3000字程度の執筆内容」がありますから、記事の内容はあらかじめ用意してもらって、本番はそれをウィキペディア向けに改稿していただくという趣旨ではないでしょうか。Yukichi99さんが絡んでるからと言って、なんでも文句をつければいいというものでもないでしょう。最低5名を上回る需要があるのかどうかは謎ですが、試み自体は面白いと思います。--Noche de la pena 2010年1月14日 (木) 10:06 (UTC)[返信]
>当日必要なものに「約3000字程度の執筆内容」がありますから
そこについては、単純に私が見落としておりました。Noche de la pena様にはお手数をおかけしました。しかしながら、内容/構成確認だけならまだしも、内容の拡充まで含めて30分というのは、いくら3000字程度の短い記事と言えども、やはりどう考えても足りませんね。Yassie 2010年1月14日 (木) 10:19 (UTC)[返信]
主催者側が「補充するべき内容」をどの程度のものと考えているのかわかりませんが、研究者ではなく一般の利用者によるサポートですから、カテゴリであったり言語間リンクであったり出典であったり、そういう形式的なものにとどまるんじゃないですか。というか、本格的に内容の拡充なんかやりだしたら、時間がいくらあっても足りないと思います。とりあえず、この辺で引いていただけたらとても助かります。GLOCOMが関わっている時点で先日のWCJの延長にあるものでしょう。Yukichi99さんの独断で開催されるものとは考えづらいです。下のお二方の質問もややわざとらしく感じますしね。--Noche de la pena 2010年1月14日 (木) 10:50 (UTC)[返信]
うん。昨年末のWCJ2009のまとめのミーティングで、Yukichi99さんが出していたアイディア (WCJそのものとは無関係) です。そこでも下の発言と同じ危惧が複数のひとからでていたんですが、提案を見るとまったく考慮してくれなかったようで、残念におもっています。とはいえこの場ではそんな経過を知らないひとばかりなんですから、もう一度同じことを書くしかないじゃないですか……わざとらしいと言われても……。 --Hatukanezumi 2010年1月14日 (木) 10:56 (UTC) 補足しますが、この提案に「GLOCOMが関わっている」というのはあまり正確ではありません。GLOCOMにつてがあって会場が借りられる見込みがある、というだけです。Yukichi99さんの提案の有効性を保証するものではまったくありません。別のことです。 --Hatukanezumi 2010年1月14日 (木) 10:59 (UTC) sf --Hatukanezumi 2010年1月14日 (木) 11:04 (UTC)[返信]
ご説明ありがとうございます。しかし、Hatukanezumiさんは「Yukichi99さんの提案」と仰られますが、Wikipedia:お知らせにおいて具体性のある告知がなされ、そこには「GLOCOMの協力を得て」と書かれています。Yukichi99さんが独断で突っ走ったとは考えづらい状況なんですけど。試み自体は面白いと思いますけど、こういう話が前触れもなくいきなりポンと出てくるのはちょっと違和感がありますよ。--Noche de la pena 2010年1月14日 (木) 11:31 (UTC)[返信]
ども。ややわざとらしく感じるのは自由ですが、Hatukanezumi さんが書いている通りで、相当当惑しているのが正直なところです。WCJの延長といえば延長でしょうけれど、WCJ2009のMLなどで他のスタッフが了解しているものではありません。WCJ2009のスタッフと関連付けて受け取られるのは困ります。どこまで事情を明かしていいのかはかりかねるのですが、GLOCOMの協力と言うのも、団体としての協力ではないと思う。--Ks aka 98 2010年1月14日 (木) 11:46 (UTC)[返信]
件のミーティングでも「Yukichi99さんがやりたいのならやればいいとおもうよ。でもこんな問題もあるんじゃないかな……」というニュアンスでみんな話していました。その意見交換への配慮が見られないんで、客観的には「Yukichi99さんが独断で突っ走った」と形容できるとおもいます。
ついでに、「執筆ワークショップ」という名称はもともと、WCJ2009の準備の過程でほかのかたが提案した別の試みに関するものです。「現役のウィキペディアンで記事執筆について考えたり実際に執筆したりするために定期的に集まってみよう」というアイディアでした。Yukichi99さんが突然この名前で別のアイディアをだしてきたときはいささか驚きましたが、名前は重要ではないのでそのうち同種のことをやってみたいとはおもっています。 --Hatukanezumi 2010年1月14日 (木) 11:57 (UTC)[返信]
ごめんなさい。WCJ2009のスタッフが把握していないはずがないと思い込んで、お二方はなにか別の意図があるのではないかと、少し邪推していました。本当に失礼いたしました。私はYassieさんを制止しにきただけで、イベントの趣旨自体に反対するものではなかったのですが、ご説明を伺ってかなり不安になりました。とりあえずKs aka 98さんとHatukanezumiさんの疑念へのYukichi99さんのご回答を見守ろうと思います。--Noche de la pena 2010年1月14日 (木) 13:03 (UTC)[返信]
はい。ぼくも主旨自体に反対するものではなく、時間の都合が合えば参加してお手伝いしたいと考えています。Yassieさんのコメントについては、誤認もあったようですが、ゆきちさんの答えはいただきたいと思っています。研究者なり学識者なりの記述が、書いてきていただいた時点で、どの程度ウィキペディアの方針や慣習に合致するか、あるいは論文や講義資料と異なる百科事典らしい記事にとして成立しているか、というところで、時間がかかることもありえますし、場合によっては提供を控えると考え直すことも考えられます。今の時間割などから考えると、あらかじめ注意すべき事項をゆきちさんのほうでまとめておいていただけるのではないかと期待しますが、解説するウィキペディアンとここででも時間の使い方などを含めてディスカッションしたほうがいいのかもしれませんし、まあ、当日でもなんとかなるといえばなんとかなるのでしょう。そこらへんの見込みを聞いておきたいなと。--Ks aka 98 2010年1月14日 (木) 13:33 (UTC)[返信]

疑問です。解説などは誰がするのでしょうか。研究者の立場に沿って、ウィキペディアの方針や慣習の解説、対応ができる方でないと、混乱を招くと思います。「訓練」などの言葉の使い方からも、かなりの不安を感じます。また、どのへんに告知をしている/するつもりなのでしょうか。--Ks aka 98 2010年1月14日 (木) 09:53 (UTC)[返信]

コメント まず、主唱者のYukichi99さんには、ノートに寄せられるコメントに反射的に反応せず、文意を汲み取るため十分に時間を置くようお願いします。で、わたしもコメントします。
率直に言って、大層不安を感じます。対象は本職の研究者とのことですが、研究者のコミュニティとウィキペディアのコミュニティはかなり違った原理で動いているので、単に技術面で記事の書きかたがわかれば書けるというものではないようにおもいます。たとえば、自分が作った記事が修正されてしまうといったことにはかなり困惑するんじゃないでしょうか。また、専門家が「こんなことは常識だ」とおもって書いた記述に{{要出典}}タグが貼られ、最終的には記述が除去される、などということも起こり得ます (これ自体はウィキペディアの方針上、まったく問題ないことなんです)。が、そういった文化の違いによる軋轢などへのフォローを考えておられるように見えません。 --Hatukanezumi 2010年1月14日 (木) 10:05 (UTC)[返信]

コメント ただのいちゃもんつけだとおもわれるとしゃくなので補足しておきますが、上に書いたことはほぼ実話です。
ある分野でそれなりに名のある研究者が、とあるブログでこぼしていたんです ---「僕が本当のことを書いて訂正しても、よってたかって嘘で上書きして戻してしまう。もうウィキペディアで書くのはやめた。」(大意) と。そのかたはその後もときどきログインしているみたいですが、記事執筆はほとんどしてくれなくなりました。この話、Yukichi99さんにもしなかったっけ。
ウィキペディアの原理は研究者コミュニティの原理とは異なり、そのことが専門家にとっては大きなストレスになり得ると考えます。
  • 研究者のコミュニティでは、他人の書いたことを訂正するには、まず相手の仕事をよくしらべて、そのうえで自分の知見を積み重ね、たしかに間違いだと言えるようになってはじめて指摘するでしょう。ウィキペディアはそうではなく、(実証主義的な楽観主義とでもいうのか)「WP:Vなどいくつかの原則さえ守れば、だれでも直していい。そのうちより正しい内容に落ち着くだろうから。」という考えかたです。
  • WP:Vなどでの情報源の扱いは、研究者が行う論文引用と同じではない。専門家が出典提示要求に対して説明しても、納得しない利用者はいるでしょう。自身の論文を出典とすれば、WP:SELFWP:AUTOを強調する利用者から非難されることだってある。ここ、あまりうまく説明できてないので、だれか補足お願いします。
  • ウィキペディアでは専門家であろうとなかろうと、みんな一ボランティアです。専門家の見地からは暴論と思われる主張にも対話をつくさなければ、コミュニティにとって有益でない利用者とみなされる可能性があります。ウィキペディアでは、専門家が専門家として行動することが方針に反することだってありうるのです。しかも、そんな苦労をして記事を書いても、自分の業績になるわけでもない。
「専門家の知見を百科事典に役立ててください」と言うのは、結構なことです。しかし、参加してくれるひとびとをきちんとフォローできなければ、専門家とウィキペディアの間にさらに溝を作ることにだってなりかねないとおもうんです。
これについては、「ひとを募集するのではなく、自分のほうから研究者のコミュニティへでかけていく『出前講座』にしたらどうか」とも考えています。研究者と連携したいのなら、まずはわれわれが、研究者のコミュニティへの理解を深める必要があるとおもうから。このアイディアも、Yukichi99さんには話したはずだよね。 --Hatukanezumi 2010年1月26日 (火) 04:55 (UTC) 訂正、リンク付加。--Hatukanezumi 2010年1月27日 (水) 12:20 (UTC)[返信]

コメント現状、受講者の参加希望はどのくらい来ているのでしょうか。あるいは既に予め用意した「仕込み」の参加者が確保されているのでしょうか。大過なく開催されることをお祈りします。--Himetv 2010年1月15日 (金) 05:17 (UTC)[返信]

応答について[編集]

いくつか回答します。

> 「約3000字程度の執筆内容」

強調しないといけないと思っていた所なので、案の定先に問題になりましたね。あとで手を入れます。「内容の拡充」云々は今は手をつけていません。それは記事を書いてからの話です。目的、目標にあるとおり、まずは書いてもらうことが先決と判断し、この企画を立てました。

「GLOCOMの協力」というのは少し書きすぎた告知ではありました。もちろん、GLOCOMの方を通じて、会場利用などの許可は得ています。

> 「どの程度ウィキペディアの方針や慣習に合致するか、」

これをサポートするのがこの企画です。開催後のアンケートくらいまでは考えています。ただ、今後数回はテストケースになるものと考えています。正直、やってみないとわかりませんし、それを表に出すのが意図の一つでもあります。

> 「あらかじめ注意すべき事項」

それこそ、今書いてあるとおりです。これ以上のことを教えたとしても、時間も含めて、恐らく参加者の頭はパンクするでしょう。もちろん、こういうことを入れた方が良い、という意見はありがたいと思います。

この話をすると、やはりみなさん「コミュニティまわり」が気になるようですが、その点は最低限にするつもりです。そこでいちいち神経を使わせていたら、たぶんモチベーションは減るでしょう。サポート先(?)として、MLや井戸端を紹介するのはありだと思っています。

> 「解説などは誰がするのでしょうか。」

まだ明確に決めてはいません。自分でやるつもりではありますが、他にやれる人がいれば、その人でも構いません。スケジュールをそれなり細かく組んだので、まっとうな人なら、誰がやってもあまりブレないでしょう。

> 「どのへんに告知をしている/するつもり」

基本的には先日のカンファレンスで知遇を得た研究者の方々(具体的には知の構造化センターの関係者など)に告知するつもりです。二ヶ月かけて集めるという感じです。

> 「受講者の参加希望」

まだウィキペディア上でしか告知をしていないので、参加希望者いませんが、サポーターとして参加してくれる方は出てきています。最低開催人数5名と言うのは、そういう意味でもあります。

> 「研究者のコミュニティとウィキペディアのコミュニティはかなり違った原理で動いている」

もちろんそうです。だからこそ、その間を埋める作業が必要と考え、この企画を立てました。

> 「自分が作った記事が修正されてしまうといったことにはかなり困惑するんじゃないでしょうか。」

だから、参加条件として、自分の記事を編集されても良い人というものをあげています。

> 「専門家が「こんなことは常識だ」とおもって書いた記述に{{要出典}}タグが貼られ、最終的には記述が除去される」

そうですね、出典の解説の際に注意として組み込もうと思います。

> 「WCJの延長といえば延長でしょうけれど」

延長のつもりはないです。だから、カンファレンス関係のことは触れていません。

> 「WCJ2009の準備の過程でほかのかたが提案した別の試みに関するものです。」

でも、まったく動きは無かったので。結局執筆に関するワークショップ自体、僕が担当しましたし。

順序がバラバラになりましたが、以上です。--ゆきち 2010年1月15日 (金) 22:57 (UTC)[返信]

コメント まとめレスのようなことはやめてください。あなたはウィキペディア上での議論のしかたの慣習を知らないんですか。そもそも、他人の発言から恣意的に抜き出した箇所だけに答えるというのは、礼儀に欠け、他者を尊重しないふるまいであるとおもいます。申し訳ないが、今回のあなたの回答そのものへのコメントは控えさせてください。
ところで、またお知らせにGLOCOM云々を付け加えているようですが、リンク先のページに行っても「協力」についての詳細な説明がありません。一種の大言壮語でひとを誘導しようとする行為であり、情報源の信頼性や中立性を考えて活動するウィキペディアンの方法とはまったく異なるものです (読み進めていくとより詳しいことが書いてある、というのがウィキペディア的なありかたですよね)。説明を書けと言っているのではありません。単なる惹句として他人や他団体を持ち出す行為はおかしいと言っているのです。
それと、ひとつ提案します。参加申し込みフォームはいったん閉鎖すべきだとおもいます。理由を述べます。
  • 現状は、Yukichi99さんの提案自体に疑問や質問や提言がでている段階であり、ウィキペディア上での活動として合意されたものではない。活動内容自体が今後変化しうる。
  • 申し込みフォームに送られた情報がだれに知らされ、どのように扱われるのかについて合意がないままフォームが開設されている。
  • 以上のような状況にもかかわらず、ウィキペディアのプロジェクト名前空間で応募を行うことは、ウィキペディアの目的外利用である。
つまり、ウィキペディア外でYukichi99さんが同様のことをやるのはかまわないです。ウィキペディア上でやりたいのなら、こんなやりかたではだめですし、応募してきてくれるひとにも迷惑がかかります。 --Hatukanezumi 2010年1月16日 (土) 01:55 (UTC)[返信]
利用者:Tomosさんに、GLOCOMの件は、そう書いてた方が良いと言われました。なので、そう書いています。
では、合意をとる順序を教えてください。そもそも、活動の自由度を高めるためにも、そういうことはすべきじゃないと思っていますが。--ゆきち 2010年1月16日 (土) 04:10 (UTC)[返信]

回答としての体をなしているかどうかは別として、回答らしきものが来ているのでいくつか。

  • まず、あとで手を入れますだの、やってみないとわかりませんだの、まだ明確に決めてはいませんだのと、やたらと先送り的な、無責任な言葉が目立つ。そのくせ、場所と日時はもう発表してしまっている(しかもたった2ヶ月先)。企画に協力しようとする人にデスマーチでも強いるつもりなのでしょうか。常識的に考えれば、こういうものはまず企画を詰めてから、場所と時間を確保するというのが筋ではないでしょうかね。
  • 解説について。自分でやるつもりではありますが、他にやれる人がいれば、その人でも構いませんとのことですが、私見では、自分ではWikipediaでまともな記事を執筆したことの無いYukichi99氏が、まともに記事の書き方を解説することなど、到底無理だと思っています。まともに記事を書いたことの無い人が、まともに記事の書き方を説明できる道理がありません。小学生対象でも無理でしょう。ましてや、対象がプロの研究者となれば尚更です。Yukichi99氏にはやるとしても企画と司会・進行に徹していただいて(もっとも、この企画書や回答を見る限りでは、それすら他の人にやっていただいたほうが宜しいのではないかと思うが)、解説は絶対に他の、Wikipediaでまともな記事を執筆した経験があり、かつ他者にもきちんと教授できる方にやっていただくべきであると考えます。
  • テストケースとか仰っていますが、「テストケース」をプロの研究者でやろうと考えること自体が、プロの研究者に対してあまりにも失礼ではないでしょうか。Wikipediaの根本理念たる百科事典の構築、知の集積のためにプロの研究者のお知恵をお借りしたいというのなら話は別ですが、そうでもないようですし。「テストケース」にするなら1回目はせいぜい、大学の学部生対象くらいが関の山でしょう。それから一般社会人、中学校・高等学校の教員、そしてプロの研究者へと段階を踏んでいくのなら理解できますがね。

他にも色々とありますが、この企画書や回答を見る限り、ハッキリ言って、このYukichi99氏という人は、記事執筆やプロの研究者をナメているとしか思えません。「執筆ワークショップ」という企画自体は大変意義のあるものと思われたのですが、ありていに言えば、Yukichi99氏にはやってもらいたくない。もっとも、Wikipedia外でやる分には、私も一向に関知しませんがね。いずれにせよ、参加申し込みフォームはいったん閉鎖すべきというHatukanezumi氏の提案には、私は賛成します。Yassie 2010年1月16日 (土) 02:58 (UTC)[返信]

僕は、今まで企画の内容を必要以上には詰めないようにしてきました。その場の雰囲気を重視したいからです。あまり貼り付けた空気もおもしろくないですからね。これにしたって、わずか数時間の企画なので、詰めるための時間にかければ、コストパフォーマンスが悪くなりますし、詰めたところで、それほど大きな成果が出るわけでもありません。「どういうことが必要なのか」を知るためにも、まずは開催する必要があると考えています。
また、この内容は、既に研究者の方の目を通してもらっています。その上で公開しています。
「テストケース」と言っているのは、「これが完璧だ」と行っているわけではないということです。自分たちのことならまだしも、自分たちとは異なる人たちとやりあうのだから、頭を使って考えたところで漏れるものはたくさん出てきます。それを知るための「テスト」だということです。--ゆきち 2010年1月16日 (土) 04:10 (UTC)[返信]
コメント 率直な言いかたをしますが、「またYukichi99さんのいつものパターンが始まった」とおもっています。
  • 自分の意見に批判や疑問がよせられると、はぐらかすような言い訳するような返答しかせず、文意を汲み取ってまじめに考えてくれる様子がみえない。
  • 一方で、あらかじめ時限を設定したり、外部のひとに話をもちかけておいたりして、既成事実を作ってから話を公にしている。
  • 有力な人や著名な人の名前を持ち出して、「○○さんがやれと言ったからやっている」と言う。
そりゃ、「もう外部のひとに頼んじゃったんだ」と言われれば、「いったんやめてくれ」とは言いにくいですよ。でも、あえて言う。開催をいったん白紙に戻せ。だって、そんなやりかたは不誠実だろう? 卑怯だろう? 他人の尊厳をないがしろにしているだろう? そんなものにわたしは協力できないし、ウィキペディアの上で実施することなんか絶対に認めない。
ともあれ、申し込みフォームの閉鎖には特に反対されていないようですから、いますぐ閉鎖してください。ウィキペディアのページからリンクを消すだけじゃだめだよ。フォームにアクセスできないようにしてください。 --Hatukanezumi 2010年1月16日 (土) 04:29 (UTC)[返信]
>「○○さんがやれと言ったからやっている」と言う。
そんなことは言っていません。主催に自分の名前を書いたのだから。
他人の尊厳ってなんですか。誰がこの件で傷ついているのでしょうか。そうやって大言壮語でことを複雑にするのはやめてください。--ゆきち 2010年1月19日 (火) 04:34 (UTC)[返信]
(コメント)「その場の雰囲気」って何でしょうか? 雑談会ならばともかく、「ワークショップ」と銘打っている以上、「完璧」には行かないのは当たり前のこととしても、「その場の雰囲気」なんていう訳の解らないもので動かされては困るのですが。ましてや対象は、プロの研究者の方々なのですからね。
と言うか、わずか数時間の企画なので、詰めるための時間にかければ、コストパフォーマンスが悪くなりますし、詰めたところで、それほど大きな成果が出るわけでもありませんって...アナタ、やっぱり物事全般をナメてませんか?
...あ、予め言っておきますが、「捨てる」なんてのは無しにしてくださいね。何か事を起こす以上、Wikipedia内外に関わらず、自分でやること、やってきたことの責任は自分できっちりと取ってください。Yassie 2010年1月16日 (土) 04:30 (UTC)[返信]
舐めてません。そこまでおっしゃるのなら、Yassieさんがぜひとも素晴らしい企画を実行してください。期待しています。--ゆきち 2010年1月19日 (火) 04:34 (UTC)[返信]
下のほうでTomos様が対案を出してくださっています。誰かさんと違って信頼できる方ですので、Tomos様にお任せしようと思っております。Yassie 2010年1月19日 (火) 07:46 (UTC)[返信]
報告 とりあえず、表ページの参加申し込みフォームへのリンクはコメントアウトしました。フォームそのものはまだ使えるようです。 --Hatukanezumi 2010年1月17日 (日) 04:43 (UTC)[返信]
さすがに勝手に閉じないでくださいな。カンファレンスの準備の時もそうやって問題起こしましたよね。--ゆきち 2010年1月19日 (火) 04:34 (UTC)[返信]
カンファレンス準備のときについては私は存じ上げませんが、本企画に関して言えば、問題を起こしているのは明らかにHatukanezumi様ではなく、アナタですね。アナタには他者の意見を真摯に受け止め、反省して行動を改善し、結果を出すということは無いのでしょうか。逆ギレも大概にしていただきたい。Yassie 2010年1月19日 (火) 07:46 (UTC)[返信]
コメントお前だって論法」に応じる気はありません。ていうかそれ、反論になってないだろ。
それはそうと、わたしは今回、手順を踏んで怒ったつもりなのね。
  1. まず最初に、「〔寄せられる意見の〕文意を汲み取るため十分に時間を置くようお願いします」と言ったはずだ。なのにあなたは、逆ギレかなにかしらないが、すぐまとめレスして議論を終わらせようとした。
  2. しかたがないんで、もう一度考え直して議論に復帰するようにと「コメントを控え」ると表明した。しかし、あなたは逆ギレの効果があったと見たのか、それまでの意見はなかったことにして、「いつものパターン」の言い訳・はぐらかしモードに入った。
  3. なので、怒った。同時に、どこに送られてどう扱われるのかもわからない参加申し込みフォームへのリンクは消すことに決めた。そして実行した。
  4. それに対するあなたの「いくらなんでも、これはないでしょう」という発言は言葉遣いとしておかしい。これまでの経緯にもとづいて解釈すれば、この言葉は「いろんな意見は無視しておけば実害はないが、申し込みフォームがないと自分のやりたいようにできない。いくらなんでもこれはないでしょう」という意味になる。いくらなんでも、こういう態度はないでしょう。
……なんか説明してて徒労感が先立つので、ここでいったん投稿してしまいます。ただ言っておく。Yukichi99さんがいまやるべきことは、上に寄せられている意見にひとつひとつ丁寧に答えることによって、他人と協調する意志があると示すことだとおもいます。寄せられた意見のなかには、Yukichi99さんを援護する (とわたしには見える) ものもあったのに。これはないでしょう
ただこのことは書いておかないといけないな。--- すでにサポーターに応募してくれたかたがたには、こんなことになって申し訳なくおもっています。でも、ウィキペディアは普段、だれでも自分の意志で参加して、自分の考えで活動をつくっていけるところなんです。本来、そうなんです。意見があったらどんどんこの場で言ってください。「Hatukanezumiは偉そうでけしからん」とかいう意見だっていっこうにかまわない。お待ちしています。本当に申し訳ないけど、ちゃんと意見交換してみんなでつくっていけるよう、ご協力お願いします。 --Hatukanezumi 2010年1月22日 (金) 16:32 (UTC)[返信]
「お前だって」論法じゃないですよ。実際にyassieさんにはやってほしいし。これと別にやったっていいでしょう。まずは、そこまで。--ゆきち 2010年1月25日 (月) 06:23 (UTC)[返信]

コメントと提案[編集]

節分けさせていただきました。--Hatukanezumi 2010年1月17日 (日) 04:43 (UTC)[返信]

こんにちは。GLOCOM(という研究所)関連の事情を知っているので、その点を中心にいくつか考えたことを書かせてください。

  • (既成事実の件)会場とかGLOCOM研究員の協力とかについては既成事実扱いする必要はないと思います。別の日に再設定するのは手続き的にも簡単で、週末であれば会場を確保するのが難しいということもあまりないです。研究者への広報というか、参加呼びかけもしていないということのようなので、その点でも既成事実はなく、企画を考え直すのはもう間に合わないとか、締め切りが迫っているというようなことはなさそう、と思いました。
  • (「誇大広告」の件)「誇大広告」とHatukanezumiさんがおっしゃったですが、GLOCOMの(組織として、研究所としての)協力はないです。協力があるとすればGLOCOM研究員の協力なので書くならそう書くのが適切だと思います。ただGLOCOMって何?という人もたくさんいますし、それを持ち出すほど大げさな協力をしているわけではないので、書かなくても何も問題はないです。(つまり、一部のイベントの後援みたいに協力していることを明示する義務がつきまとっているとかいう事情は何もありません。)
  • (「研究者のレビュー」の件)内容については、「研究者のレビューを受けた」と書いてあるのは僕がこの企画内容を見せてもらったことでしょうかね。。だとすると、僕はしっかり注意を払っていませんでした。済みませんでした。いろいろな理由で「それなりにしっかりしたものになるのではないか」(ゆきちさんはワークショップを開催した経験もあること、ウィキペディア上で解説・案内資料の準備などをしてその過程で修正が入るだろうこと、講師役やアドバイスをくれる人も現れるかも知れないこと、などなど)と思っていましたが、そうとも限らないようにも読めるので、僕が時間をかけてこれをまともなクオリティのものにするという保証はできないので、代案を出してみたいと思います。
    • (懇談会・準備会化)「第1回目なのでやってみないとどうなるかわからない」、「準備に時間をかけるつもりはないし、そうしたところでよいワークショップにできる見通しもないから準備には時間をかけない」というような事情があるのなら、執筆ワークショップとは違う形で、ウィキペディアに関わったことがある人とか、関わろうと思っている人たちとのQ&Aセッションみたいにするのもいいと思いました。その場でどういう質問が出てくるのかはわかりませんし。
    • (失敗のリスクの明示)失敗するリスクを案じていると新しいことはなかなかできなくなってしまうので挑戦してみるのはいいことだと思います。ただ、失敗するかも知れないところを放置して実施してしまうのはまずいと思いますし、リスクの高い企画ならそういうものとして告知するべきだと思いますが、どうでしょうか。(つまり、参加者やサポーターの人にも、失敗のリスクが高いものとしてお知らせして、覚悟の上で来てもらうようにするべきだと思います。また、「具体的にこういう点を扱いきれないので出席したからウィキペディアの参加者として最低限の知識を身につけられるというわけではない」ということがわかるなら、それを述べておくとか。事前には特定できないところもあるでしょうから、事前にチェックリストのようなものを作っておいて、事後に「今日のワークショップでは結局こういうところがカバーできなかったので、参加される時は気をつけてください」みたいに最後に解説するようにするといった工夫もあっていいと思います。。)
    • (開催時間の変更)そもそもこの企画は、(僕がお話を聞いた当初は)平日夕方開催のためのものだったように思います。休日にやるならもう少し長い時間をかけて、上で指摘されている幾つかの問題点を解消するというのもありでは、と思います。ただ、そもそも準備をしないのであれば、開催時間を長くしてもあまり問題は解決しないと思いますが。。
    • (広報の協力者への配慮)知の構造化センターの方々はちょっとびっくりするぐらいいい人(人格的に)なので、頼めば広報面の協力はしてくれるかも知れませんが、広報で協力したイベントが失敗するとセンターの方も当然迷惑を被ったり評判が悪くなったりする可能性はあるので、このワークショップが準備不足で失敗しそうなら、それを明示することは彼らのためにもとても重要だと思います。
    • (企画内容の暫定性の明示)ただ、準備に数時間以上の時間をかけないというのは、案内・解説資料の準備に時間をかけないということではないのだと思います。企画をあれこれ考える時間はとらないけど、当日の説明のための資料を準備する時間は使うのだとすると、今あるプログラム内容については(予定)とかつけておいて準備する過程で洗練させていくというのも小さなことですがよいと思います。まあ、それでも「ゆきちさん一人に準備を任せるのでは不安が大きすぎる」という意見もありそうですが。。イベントの主旨自体には賛成して下さっている人もいるので、そういう人の協力を得ながら作りこんでいけるといいのでは、と思いますがどうでしょうかね。別にゆきちさんも独力で企画・準備したいと思っているわけではないでしょうし。

Tomos 2010年1月16日 (土) 06:18 (UTC)[返信]

コメント これでしばらくコメントをひかえます。
  • 「既成事実」の件については了解しました。どうもYukichi99さんは、アイディアをおもいつくとそれが実現することしか念頭になくなり、実現に直接結びつかない (と自分が考える) 意見交換を無視あるいは軽視する傾向があるようです。それが「既成事実つくりをしている」という印象をより強めるのかもしれません。
    とはいえ、GLOCOMは貸し会議室ではないので、日を変えたりキャンセルしたりするのがあまり直前だと迷惑になるとおもいます。タイムリミットがどのへんなのかは、確認したほうがいいですね。
  • 「誇大広告」については、GLOCOMのひとが「書いてくれ」と言っているのなら書いたらいい。「書いてもいい」と言っているのなら必須ではない。いずれにしても、今回のような名前の使いかたはすべきではない (既述)。
  • Tomosさんの対案について、気づいた点のみコメントします。
    • (東京大学)「知の構造化センター」の名前を出していいものかどうか迷っていたのですが、明示されてしまったので意見を言うと、やることが実際にかたまってからあらためてお声掛けすればよいのかとおもいます。
    • 懇談会化については、ちょっとなんとも言えません。Yukichi99さんの提案を発端として、さらにこのノートでの議論もふまえて、今後どのようなことをしていくかを考える、といったことなら賛成です。QAみたいなものをやるにしても、やはりそういう助走期間が必要でしょう。ともかく、せっかくGLOCOMのかたからも会場の面で協力できるとの申し出をいただいているんですから、なにかこの機会を生かせるようであったほうがいいとおもいます。
    • ゆきちさんに企画をまかせるというのは、率直に言って不安です (Yassieさんの一連の発言はやや個人攻撃のきらいはあるものの、Yukichi99さんの記事執筆での実績・実力への疑問や、提案内容に対する懸念〔記事の執筆やチェックがそんなに簡単にいくのかとか〕は、わたしも共有するところです)。とりわけ研究者対象となると、予見できるだけでもすでにいくつか課題が挙がってます。研究者との連携については、Tomosさんが別のアプローチでより慎重にすすめようとされているので、個人的にはそっちの推移を見守りたいとおもいます。
ついでに、ちょっと話が発散するかもしれませんが、上のほうでわたしが書いた「同種のこと」については、そのうち準備の相談会でももとうと考えています。が、今回のこととかぶる面もあるので、混乱しないよう1-2箇月ほど時間を置いてから再度どこかで提案します。最初はあまり高度なことは考えていません。図書館見学でもして、そのあと今後の相談、とかいうイメージ。
では。 --Hatukanezumi 2010年1月17日 (日) 04:43 (UTC)[返信]
(コメント)Tomosさんに質問です。GLOCOM研究員の方の個人的な協力とのことですが、会場を貸していただける以外に、どの程度の協力を考えていらっしゃるのでしょうか。状況をご存知でしたら教えてください。Yassieさんや私のような部外者はともかく、発端となったWCJ2009のミーティングに同席していらっしゃったHatukanezumiさんやKs aka 98さんとさえ意見の調整が上手くいっていないようで、Yukichi99さんの仕切りに不安を感じています。そもそもこういう企画は一利用者の独断で勝手に物事を進めずに、コミュニティを代表して行うのですから、提案を経て賛同者を募ってコミュニティの了解を得た後に、具体的な場所や日時を調整して告知を行うのが筋だと思うんですが。--Noche de la pena 2010年1月19日 (火) 08:27 (UTC)[返信]
ミーティングは発端ではないです。その時点で、今掲げている文書のほとんどは作成していましたし、その場でも告知くらいのことしかしていません。正直のこの手の企画は、無線LANと机と電源があれば出来ます。だから、その対象として、Tomosさんに会場のお願いをしたまでです。あとは、文書について多少の手入れをTomosさんにお願いしていました。--ゆきち 2010年1月25日 (月) 06:34 (UTC)[返信]

有志企画であるということ[編集]

やりとりを拝見させていただいて少し疑問に思ったのですが、これは「有志企画」という性格のものなのではないのでしょうか? で、そういう有志企画なら「やりたい奴がやればよい。賛同できないなら放っておけ。人様のやることの足は引っ張るな」で宜しいような気がするのですけれども。まあ、「Wikipedia」の名前をどこまで使えるかって問題はあるのでしょうけれども、みーんなボランティアで(最低限のルールを守りながら)好き勝手やっているようなコミュニティで、誰それの仕切りはけしからんだの言っていても仕方ないような気がするのです。駄目な企画は、駄目になるだけの話ですし、駄目と思うならマシな企画を立てればよろしいかと。--おーた 2010年1月19日 (火) 15:14 (UTC)[返信]

まあ飲み会とか、参加者が対等な集まりとかなら、それはそれでいいんですが、ウィキペディアという名前を出した、解説者というような役回りを作り、ウィキペディア外の人に参加を呼びかけるワークショップという形のものを、ウィキペディア上で募集する、と。そういう場合は、ダメだったときに、ダメになったと言って済ますわけにもいかないと思うんですね。任せられると思って黙っていてもいいけど、大丈夫かと思うところがあるなら確認して、無理っぽいならやめとけというのも「好き勝手」の一つだし、「コミュニティ」の自浄機能というべきことだと思うんです。コミュニティのなかから疑問が呈されていて、有志も現れないまま、たまたまウィキペディアに参加している個人が、ウィキペディアの名前でウィキペディア上で募集する、というところまで、「好き勝手」が許容されるかどうかも、コミュニティが考えること。--Ks aka 98 2010年1月19日 (火) 15:46 (UTC)[返信]
私は今回の企画を、「専門知識のある人をwikipedia編集へお誘いする入門編的イベント」として割に軽く見ましたので、「ダメだったときに、ダメになったと言って済ますわけにもいかない」というほどにシビアなものと見ませんでした。ですので、感想はずれるのでありましょうが、一連のやりとりを見ていると企画自体へのご意見というよりは、提案者個人への不満をぶつけておられるようなところが多々あって、第三者としてはあまり気分の宜しいものではなかったということは指摘させてください。
ここから先は一般論ですが、こういう篤志からなるグループでは、「賛同できて、手を貸せるなら手を貸して、助言ができるなら助言をしてください。ダメだと思うなら口は出さずに放っておきましょう」が原則だろうと思います。企画自体に批判をぶつけるは避けたほうが良い。だから縛っておくにしても「やっても良いけど、コミュニティからオーソライズされていない「有志企画」という一線は守れ」程度なのではないでしょうか。そこから更に踏み込んで、「○○と××に関わることは事前にコミュニティの合意を取れ」などと縛りをきつくするのもアリかもしれませんが、あんまりWikiっぽくないような気がします。(以上のコメントは2010年1月20日(水)14:29(UTC)に、おーたが行いました。--おーた 2010年1月23日 (土) 02:44 (UTC) )[返信]
言葉が激しいと思うところは、ぼくにもありますが、上で触れられているような事情も知っているので、まあしょうがないかとも思うところもあって。おーたさんという第三者からの「指摘」には同意しますし、感謝します。また、ぼくの発言について、気を悪くされたところがあったらすみませんでした。
一般論についても、基本的には同意します。ただ、企画をよりよいものとするためには批判的な意見も出るでしょうし、その企画を実行するにあたって最低限のラインをクリアできないものまで口を出してはいけないと言うものではないでしょう。
誰でも記事を書くことができますが、間違っていれば修正されますし、執筆意図を確認される場合もあります。そうした指摘にいちいち怒りをぶちまけていたらやがてブロックされることもあります。間違いを指摘する側も、じゅうぶんな根拠が必要だし、穏当な表現が求められる。大胆な編集が記事の速やかな改善に繋がることもあるし、大規模な編集や論争を招きそうな記述をするなら、あらかじめノートで提案するほうがいい場合もある。というのが、wikiっぽいのだと思うのです。--Ks aka 98 2010年1月20日 (水) 17:14 (UTC)[返信]
おーたさんのご意見に賛成です。私が次節の「改名と提案者明記を」で言いたかったのもまさに「有志企画」ということは明示してほしいということでした。残念ながら他の方の手で「主催」がコメントアウトされてしまったので、「有志企画」であることがまた不明瞭になってしまいました。これはせめて「提案者 福澤」として頂きたかったです。
個人主催のオフラインミーティングであることが明白になれば、たとえテーマが「執筆ワークショップ」と銘打ってあっても、これまで幾度も開かれたオフラインミーティングと同じ扱い、同じ進行(つまり主催者の企画に任せる方式)で問題ないでしょう>オフラインミーティングは、ジンボインタビューやウィキマニア報告会なども含めて、主催者が細部を詰めて告知するという形でしたし、ウィキペディアンだけでなく外部の研究者やメディア関係者も参加していました。今回も「有志企画」であることを明示しておけば、Yukichi99さんの企画に賛成できる人が協力する形で進めて不都合はないと思います(残念ながら私はその週は家族の用事で手が離せないためご協力できません)。「GLOCOMの研究員の協力を得て」と言及されているGLOCOMの方は、ゆきちさんに企画の練り直しを求める権利があると思います。Ks aka 98さんが「WCJ2009のスタッフと関連付けて受け取られるのは困ります」とおっしゃるのはたしかにそのとおりでしょうから、「WCJ2009スタッフとは無関係です」と明示的に断りを入れてくれと、Yukichi99さんに対して求める権利はあると思います。
WCJ2009の企画開催までには、Yukichi99さんがゼロから個人で企画したジンボインタビューやウィキマニア報告会、人的ネットワークの積み重ねがありました。今回の企画も成功すれば将来的には日本語版の公式イベントに昇格するかもしれません。ただ、この段階では徒に議論を広げて公式っぽいものにしてしまわないで、非公式でいいから臨機応変に練っていけるような身軽な体制にしておく方が実現にこぎつけやすいと考えます。
なおHatukanezumiさんは考え方や物事の進め方がYukichi99さんと相いれないようなので、一緒に企画を立てないほうがいいと思います。Hatukanezumiさんが同じような企画をお考えの場合は、全く別個に実行されたらよろしいでしょう。企画の名前さえ別にしておけば、ワークショップ形式の「有志企画」が複数・並立しても問題はないと思います。といっても、外部の人に参加を呼び掛けるなら、顕名でないと色々難しいかもしれませんが。--miya 2010年1月23日 (土) 19:08 (UTC) Hatukanezumiさんから「同様のこと」とは「ゆきちさんの企画と同様のこと」ではなく別のことだとご連絡をいただいきましたーたしかに紛らわしい書き方でした。すみません。オフトピでもあるので打ち消し線を入れます。--miya 2010年1月24日 (日) 16:21 (UTC)[返信]
コメント なぜか特に名指しされているので。
「主催」者をはっきりさせるのはいいとおもいますよ (ちなみに消したのはわたしではないからね)。複数のにたような企画がうごくのもかまわない。そういう例はウィキペディア上でこれまでいくらでもありますね。
ただ、有志企画だと宣言されていても、だれだって意見をいう権利はある、というのが、ウィキペディアでとられてきた方法ですよね。でてくる意見にきちんと答えないでしゃにむに強行しようとするのは、ウィキペディア的にはおかしいことです。
余談。これまでもわたしは、Yukichi99さんが、自分の提案に意見がでるとえらく立腹して、やろうとしたことそのものを台なしにするのを、何度も見てきました (これを読んでいるかたの多くがあちこちで目撃しているでしょう)。そしてそういうときに、常にまわりの人間を巻き込むのですよね (Miyaさんはじめ多くのひとにおぼえがあるでしょう、「○○さんがやれと言ったからやった」と突然名前をだされて「へ? わたしのこと?」と、きょとんとした経験が。わたしもあります)。そういうことを繰り返されるのは、迷惑なんだわ。
有志企画としてやるのはかまわないです。というか、ウィキペディアの活動ってみんな有志によるものです。だったら、ひとりの有志として立つべきだし、自分の立場について問いかけられたら答えるべきです。ひとりひとりが自立していることが、「有志企画でいいじゃないか」という意見の大前提にあるはずだよね。もちろん、ひとりでできることには限りがあるので、フォローしてあげるのはいいことです。しかし、Miyaさんは今回、そうする気はないのですよね。
あと、「顕名」の意味がわからなかった。ウィキペディア上の活動である程度形になったものは、みんなログインユーザがやっているわけだし、アカウント名にせよその他の名前にせよ、提案、実行しているひとは常に明示されますよね。外部のひとがかかわるときでも同じです (行政上の氏名などを使ったほうがよい場面では使えばいいけど、その名前がそのひとを最も代表しているかどうかとは別の話)。 --Hatukanezumi 2010年1月24日 (日) 01:13 (UTC)[返信]
「余談」について。あなたが何を言いたいかは何となく察しますが、「自分の提案に意見がでるとえらく立腹して、やろうとしたことそのものを台なしにする」なんてことはしていません。--ゆきち 2010年1月25日 (月) 06:26 (UTC)[返信]
(コメント)自分の提案に意見がでるとえらく立腹して、やろうとしたことそのものを台なしにするということを、アナタは今、このページで現にしているじゃないですか。Yassie 2010年1月25日 (月) 07:44 (UTC)[返信]
コメントMiyaさんへのコメントです。オフラインミーティングと同じ扱いというのは違うと思います。ジンボインタビューやウィキマニア報告会には、誰も反対していませんでしたよね。ウィキペディアンの集まりならば、ある程度馴れ合いで許されるところはありますが、外部の人を募集するということならば、最低限守らなければならないところもあると思いますし、いまここでやろうとしているのは、企画運営とは別物のところがあって、それは簡単なことではない。
あるウィキペディアンが、ウィキペディアン以外に向けて、何かをするのも自由です。しかし、ウィキペディア上で募集をするなら、その企画や提案者の能力、提案のやりかたを見て、当然他のウィキペディアンから肯定的なもの、批判的なもの、双方の意見が出てくるでしょう。批判的であっても部分的な改善を求める建設的なものもある。万人の支持は得られなくとも、一定の数の有志が集まるなら、共感はしないけどやれるひとでやればいいということになるでしょう。外部の方々に向けてやる以上、ウィキペディアにとっていい結果を生まないと予想され、他のウィキペディアンからの意見やアドバイスが受け入れられないなら、やめとけと言わざるを得ないこともあります。しかし、コミュニティがいくらやめとけと言っても、どうしてもやるというなら、やめさせる手立てはありません。ここでいう「何かをするのも自由」とは、そういうことです。
ゆきちさんに対しては、オフ会を企画し実現させる行動力は認めますし、司会進行役ならそれでよいです。ただ、有識者への説明という部分では、お会いして話したことやウィキペディアの執筆実績なども含めて、ゆきちさんが説明することには、ぼくにはかなりの危惧があります。これは、Yassieさん、Hatukanezumiさんの意見や指摘も、共通するものです。学識者と呼べる立場にいるか、学術の世界にある程度は通じていて、各種の方針やコミュニティの現状を理解しているウィキペディアンは、ぼくも何人かは存じ上げていますし、ゆきちさんもご存知でしょう。誰かに声を掛けるか、誰かの参加を待ってから開催するのがよいと思いました。ぼくが知らないだけで、誰かに声をかけているのかもしれませんから、上記で質問しているのは、そのあたりの確認です。
たとえば、Tomosさんはぼくが適任だと思うウィキペディアンのひとりですが、「ウィキペディア上で解説・案内資料の準備などをしてその過程で修正が入るだろうこと」「講師役やアドバイスをくれる人も現れるかも知れないこと」などが想定されているのであって、「僕が時間をかけてこれをまともなクオリティのものにするという保証はできない」ということでした。
ぼくやHatukanezumi さんの疑問、コメントというのは、「ウィキペディア上で解説・案内資料の準備などをしてその過程で修正が入るだろうこと」「講師役やアドバイスをくれる人も現れるかも知れないこと」に相当します。ところが、2010年1月15日 (金) 22:57 (UTC)や2010年1月16日 (土) 04:10 (UTC)の回答では、不安を払底するだけの材料はなく、また「まずは開催する」以外のことは、提案内容以外は受け入れてもらえないのではないかという不安があります。そもそも「お知らせ」の告知[1]を見ても、サポートは求めていても、意見は求めていないようでした。。
おーたさんやMiyaさんが書かれている一般論は理解しますが――ついさっき新しい節ができたみたいですが、それまでは、有志企画ですらなく、ゆきちさんの企画を全面的に受け入れた上でサポートするかどうかしか選択肢がない。「臨機応変に練っていけるような身軽な体制」ではないんです。それでは名乗りを上げることは、できませんし、大きな不安を抱えた現状では賛同することもできません。コミュニティの一員として、それでは困る、というしかない。当日は参加出来ないとしても、企画を練ることはできるでしょうから、おーたさんやMiyaさん、企画に賛成できる有志の方々は、ゆきちさんに協力して「やればいいんじゃないすか」くらいのコメントを付けられるようなクオリティにして欲しい。そうなったときに、説明役がいないなら、ぼくでよければ、有志のひとりとして、お手伝いを引き受けてもいい。それでぼくにとって最大の不安は消えますし、自分が現場にいれば、なんとかはできるだろうとも思います。実際のところ、学術の現場にいるウィキペディアンは、かえってやりにくいところもあるでしょう。--Ks aka 98 2010年1月25日 (月) 14:03 (UTC)[返信]
なんていいますかね、、、Wikipediaは「誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます」ということを標榜して(メインページの冒頭に書いてありますよね)、広く執筆を呼びかけています。で、不特定多数の人間に自由に書き込ませて、問題があればその都度、コミュニティの中で先達が「そりゃ違うんです」などと指摘しながら修正していくというスタイルをとっています。「何にも分からん奴は、迂闊に書くんじゃない。怪我するぞ」などという防御線を張っておいて、一定スキルに到達した人間のみを選別して書き込みを許可している訳じゃないです。私も時折、編集のライセンス制を導入したほうが良いんじゃないかと思うこともあるんですが(無茶苦茶な議論を吹っかけられると殊にそう思いますが)、それはさておきましょう。ともかくも、建前としてのWikipediaの間口はやたらに広いのです。そういう建前から見ると、今回の議論は個人的な好悪感情に恣意的に連動させて反対論をぶつけていらっしゃるように見えるのですよ。「そりゃ、Wikipediaの建前から乖離したダブルスタンダードじゃありませんか」というか。
で、一般論で言うと「より良くするためのアドバイス」はじゃかじゃかすりゃいいんですが、「ダメだから止めとけ」という制止は余程の不利益発生が見込めない限り禁じ手なんです。「誰でも書いてください」みたいなことを建前にしているWikipediaで(すなわち、誰が書き込んでも良いというリスクを織り込み済み筈のWikipediaで)、今回の「有志企画」が制止される理由がよく分からんというのが正直なところです。正直言えば「誰もが書き込める」というリスクには管理者も一般ユーザーも辟易しているんじゃないかとは思います。私も、ときどきウンザリしますし。でも、今回みたいな広報啓蒙活動については、前向きな改善意見か、代替企画は出すべきだろうけれど、建前上「止めろ」は言っちゃいけないんじゃないでしょうか。--おーた 2010年1月25日 (月) 15:15 (UTC)[返信]
コメント じゃかすかアドバイスしてください。すりゃいいし、それでよくなるんなら (なるとおもうけど) 御の字です。わたしはもうした。 --Hatukanezumi 2010年1月25日 (月) 15:28 (UTC)[返信]

Wikipediaの間口はやたらに広いですが、Wikipediaの各種方針は意外と厳しいものがありますよね。自制と協調が求められる。間口が広いのは、それを修正することが容易だからという面もあります。ウィキペディアにはそういう二面性はあります。

ウィキペディアで我が社の商品の記事をばんばん作成したいと思います!と利用者ページに書いた新規利用者がいれば、先達として、ちょっと待てと言います。「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」や「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:中立的な観点」を示しても、ウィキペディアは誰にでも開かれている、と返されたら、やがてコメント依頼を出すことになるでしょう。ただ、そういう方針類の説明などは「誰もが書き込める」ということで多くの執筆者を得ているのですから、コミュニティが引き受けるべき労力です。それこそ辟易していたとしても、口にだすべきではありません。誰もが最初はウィキペディアには不慣れなのですし、百科事典の執筆や編集をしたことがある人なんて一握りです。方針などを受け入れてくれれば、優秀な執筆者に育つかもしれません。むしろ、広報啓蒙活動のほうは、外部に不利益を生じさせるのですから、一定スキルは必要です。一般的な広報啓蒙やオフ会なら、ゆきちさんに一定スキルはあると思いますよ。

最初の頃に、ぼくやHatukanezumiさんが書いた[2][3]は、不安を表明しているけれど、それがどういうところから来るのかを明らかにしているのですから、提案者として考慮済であってなんらかの対策をとっているとか、こういうふうにすればどうだろうと考えてくれれば、それで前向きに進むことだと思います。「そりゃ違うんです」などと指摘しながら修正されていくなら、危惧は払拭されるでしょう。修正されないのなら、いよいよ「止めとけ」と言わないといけなくなる。現状では、ぼくは「余程の不利益発生」への危惧がありますが、「止めとけ」とは言っていませんよ。--Ks aka 98 2010年1月25日 (月) 20:14 (UTC)[返信]

改名と提案者明記を[編集]

上の議論とは別に、少なくとも、Wikipedia:オフラインミーティングのサブページに移動し、募集しているのがYukichi99さん個人であることは、今すぐにも明確にすべきだと思います。

「ワークショップ」とはいうものの、実質的にはWikipedia:オフラインミーティングの一種ですし、多数の人の議論と賛同を得て開催されたWCJ2009もWikipedia:オフラインミーティングのサブページです>Wikipedia:オフラインミーティング/東京/Wikimedia Conference Japan 2009。--miya 2010年1月16日 (土) 03:03 (UTC)[返信]

了解です。作業します。--ゆきち 2010年1月16日 (土) 03:45 (UTC)[返信]

コメント依頼提出のお知らせ[編集]

本ノートページにおける「ゆきち」ことYukichi99氏の議論姿勢に大きな問題があると感じられましたので、広く意見を求めるべく、Wikipedia:コメント依頼/Yukichi99 01192010を提出いたしました。

なお、当該コメント依頼においては、「執筆ワークショップ」の開催の是非、日時、内容、主催を誰にするか等、企画そのものについてのコメントは求めておりません。当該コメント依頼にコメントをお寄せになる際には十分ご留意のほど、お願い申し上げます。Yassie 2010年1月19日 (火) 09:34 (UTC)[返信]

企画への改良提案[編集]

節を設けました。以下、コメントをどうぞ。--ゆきち 2010年1月25日 (月) 07:32 (UTC)[返信]

ども。WCJは本当は非力ながらもお手伝いしたかったのですが、どうしても実生活から捻出できる時間が無くて聴講のみとなりました。あのWCJで「日本語版は他国語版に比べてポップカルチャー系の記事に偏っている」という話を聴いて、専門家への執筆を呼びかける企画は必要だなと思いました。ですので、今回みたいな企画は試行錯誤でもやった方が良いと考えます。ただ、ルールや記事のフォーマットに関するノウハウの伝授以外にも、幾つかのお話はやっておいた方がよかろうかと思いました。以下に思いつくままに書き記しておきますので(不穏当な表現を含みますが)ご参考にどうぞ。

専門家の皆様にお願いしたいこと
  • Wikipedia日本語版には書かれていない項目がまだまだ沢山あります。是非、執筆ください。
Wikipedia日本語版は現時点で60万項目以上の記事があり、他国語版と比較しても上位(第6位)に位置していますが、かなりの割合がPop Culture関連の記事とされていて他国語版と異なります。百科事典として足りない項目はまだまだ一杯ありますので、専門家の方々の執筆をお願いします。
  • Wikipedia日本語版には不十分な項目がまだまだ沢山あります。是非、加筆・編集してください。
すでに立項された記事にしても、内容的に不十分なものが沢山あります。書きかけのもの、素人の思いつきで書かれたもの、偏った内容のものなど、加筆・編集を要する記事はまだまだ一杯ありますので、専門家の方々の参加をお願いします。
  • Wikipedia日本語版には百科辞典編集の文化がまだまだ未成熟です。健全な執筆文化の育成に寄与ください。
大勢の人間が日々、Wikipediaの編集に参加していますが、論文などの文書作成の訓練を受けたことが無い人間も大勢います。彼らはWikipedia固有のルールを習得していくと同時に、百科事典に相応しい文書作成の方法も学びながら、記事の執筆・加筆・編集を行っていくのですが、勝手な思い込みで奇妙な記事を作ってしまう例もまだまだ多いのが実情です。資料の調査と吟味、記事の構成、執筆、校正、新資料の出現に伴う加筆修正など、百科事典を作っていく上であるべき手本を示すことで彼らを導いてください。
専門家の皆さんに、知っておいて欲しいこと
  • Wikipediaの記事は他人が勝手に書き換える権利があります。あなたの書いた記事も遠慮なく書き換えられてしまうかもしれません。
専門家の皆さんにとってはショックなことかもしれませんが、どんなに正確に書いた記事でもWikipediaでは他人が簡単に書き換えることができます。しかも、Wikipediaのコミュニティの中では、専門家と非専門家の区別を保証するものは何も無いので専門家のあなたが書いた記事を素人が書き換えることも起こりえます。書いた記事に自信があれば有るほど、怒りたくもなることもあるでしょう。あなたが書いた記事と、書き換えられた記事を比較して、より良い記事を選ぶのはコミュニティの判断に委ねられますから、あなたはあなたの記事がより妥当であるということを示す必要があります。そのとき、あなたが実社会でもっている肩書きはそこで何の効力も持ちません。あなたが書いた記述をコミュニティで選んでもらうためには、Wikipedia固有のルールに沿った手続きがありますので、まずはそれを習得ください。なお、専門家によって最初にかっちり作られた記事は、素人にとって手を出しにくい記事となりますので、結果として理不尽な書き換えは起こりにくくなりますし、書き換えられても元に戻すことは容易となります。
  • Wikipediaの記事は学術論文と性格を異にします。
Wikipediaの記事は、文献を示しながら正確で分かりやすく書くことが求められますから、学術論文や解説論文の執筆と共通するところは多々あります。しかし、Wikipediaの性格上、学術論文とは大きく異なるところもあります。例えば、学術論文では執筆者のオリジナリティが強く求められますが、Wikipediaの記事ではオリジナリティを出すことは強く禁じられていますし、研究者たちの支持を未だ得ていない仮説を展開することも戒められています。むしろ、誰にでも検証できる、専門家にとっては当たり前のことだけを書いていただくことになります。そうした違いについては、意識して執筆されるようお願いします。
  • Wikipediaには多くの固有のルールがあります。
Wikipediaは不特定多数の人が自由に書き換えられるシステムを採用しているために、様々なトラブルが起こりえます。そういったトラブルを回避したり、解決したりするためのルールが定められており、執筆・編集作業はそれに則って運用されています。そのルールの中には「記述の是非は真実かどうかで判断せず、検証可能かどうかで判断する」など、一見して奇妙なものも含まれているので注意ください。重要なルールはこのワークショップでお伝えしますが、この他にもルールは沢山ありますし、記事の分野によってはローカル・ルールと称するものもありますので、コミュニティの中での対話を通じて習得していってください。
  • Wikipediaのコミュニティでは上下関係がありません。
Wikipediaに参加する編集者はすべて対等であり、各自の発言の重みはどれだけWikipediaに貢献したか(貢献できるか)というところにかかっています。ときには、専門家の目から見て馬鹿げた発言を繰り返してあなたの編集を妨害しているとしか思えない編集者と出会うこともあるでしょうけれど、あなたとその馬鹿としか思えない編集者とは、コミュニティの中では完全に対等です。理不尽と感じられるかもしれませんが、そこはご理解ください。ただし、専門家に相応しく理にかなった発言を心がけ、粗野な発言を控え、あなたがWikipediaにとって有用な人物であることを示せば、コミュニティはあなたの発言をより重く見ることでしょう。それを心がけていただければと思います。

--おーた 2010年1月26日 (火) 14:38 (UTC)[返信]

この辺については、「目的」に含めたつもりです。参加された学者さんをできる限り特別扱いしないという方針をどう伝えようかは悩んでいます。できるだけノートやMLへの参加を勧めて、衝突しやすい部分の緩衝材を作っていく必要があると思っています。--ゆきち 2010年2月6日 (土) 01:23 (UTC)[返信]


ぼく自身としても、ウィキペディアがどういうものかということを学術の人たちに説明する機会を持ちたいと考えていましたし、Tomosさんが書いている学会との協力体制の方にも参加することになりそうなので、いろいろ考えていたことを、ざっとまとめてみました。専門家が専門的な項目を書くことを前提とすると、

執筆、あるいはウィキペディアへの寄与のメリットとして挙げられるものは

  • 社会貢献
  • 学問への貢献:データマイニング
  • 異なる分野との交流、土台となる知識・情報の共有
  • レファレンス・ガイドとして
  • 記録が残る:データベースダンプ、ミラーサイト
  • 分野そのものの知名度、イメージ
  • 正確な知識の普及
  • 自身の論文の背景となる情報の提供、理解促進
  • (学会での取り組みとなれば業績にもなりうる)
  • 学生/院生への教育
    • 執筆による基本的な知識の取得
    • リテラシーの取得
  • 執筆以外の貢献方法
  • 査読など学会やプロジェクトとして関わる場合の可能性

事前に、または当日説明する際に必要なポイントとしては

  • どれだけ書くか
    • 新規記事か、一部か。全部書く/書けるのか。
    • 自らに課す記事の水準
    • どんな関心にも対応できることが必要
    • 資料の選別:どの資料で足りるとするか
    • 分野間の書式、出典の扱いの違いなど
  • コミュニティとの協調
    • 書き換えられる可能性
    • 既存の記事の内容への配慮
    • ごく基本的な/ベタな事柄の説明
  • 貢献に対する評価軸の違い
    • 出典を細かく、情報源の提供
    • オリジナルリサーチの排除
    • 中立性
  • 書式、記事名、カテゴリ構造
  • ライセンスの意味、運用
  • 本人保証:騙りの危険性
  • 自分の記事への対応、自分の論文の扱い

注意すべき点については、適宜追加すべきことがあればご指摘ください。

説明しないといけない方針やガイドラインとしては、検証可能性、独自研究、中立的観点、存命人物、自分自身の記事くらいですから、それほど時間がかかるものにはならないと思います。論文などを書く能力・経験がある方々で、そこには既に様々な慣習が成立しています。大事なのはそっち側に立って、ウィキペディアの方針類を理由と共に説明することにあると思います。

ただ、これらを説明しないままで執筆されたものは、投稿しづらいことにもなると思いますから、本文の執筆・投稿をこの日にやることは考えないほうがいいかもしれません。出典を付ける上で、どのくらいウィキペディア寄りに手間をかけてくれるか、どのくらいの分量、どのくらい総合的な視点での記述が想定されるか、といったところが、学会とウィキペディアとのすり合わせで必要なポイントになりそうです。項目のなかに長大な一節が加えられるような形になるかもしれないし、複数の項目に分けて掲載するようなことも考えられるので、それはそれでよしとするか、項目選定で多少方向づけをするか、といったところに関わります。最初にウィキペディアンがカテゴリやポータル、プロジェクトなども案内しつつ、専門分野の記事をうろうろしてみてもらうような時間を作るとか。一番最初に、誰でも編集できるということを示すために、簡単な誤字の修正などの編集をデモンストレーションするとか(設備的に可能なのかな)、そういうことは必要だとしても。

ゆきちさんの文書では、wiki記法やカテゴリ、テンプレートなどを教えるという部分が多いですが、専門家の専門的な知識をウィキペディアに持ち込んでもらうという観点からは、やや派生的、副次的なものになると思います。記事の質が高ければプレーンなテキストで書いてもらったものを整形することを厭うウィキペディアンはそれほどいないだろうとも思いますし、おいおい文書を読めばわかるという方も多いでしょう。専門家を対象とするワークショップでは、初回にやる必要性はそれほど高くないと思います。オプション的な位置づけとなりそう。

ウィキ記法全般、テンプレート、カテゴリ、コモンズでの写真の探し方などは、知りたい人はいるだろうけれど、専門家かそうでないかはあまり関係ないようなことだと思います。多少なれたウィキペディアンでも、そこらへんは知りたいという人も多いのではないかと。

当日は、ぼくが参加することになるのかどうか、参加できるかどうかはまだわかりませんが、おそらくTomosさんは手伝ってくれると期待しています。どの程度時間をとって、どういう風に説明するのがいいかという部分は別にすると、

  • ウィキ記法全般、テンプレート、カテゴリやコモンズでの写真の探し方などの基本的な説明は、多少あったほうがいいと思いますが、これらは普段作業している方が手伝ってくれると助かります。参加者の投稿のヘルプという形がいいか、講義のような形がいいか、デモを見せるのがいいか、というのは、ちょっとわかりません。
  • メディアウィキ関連やbot、英語版ほか他言語版の事情についての質問があるかもしれないとも思います。そのへんに詳しい人がいてくれると助かります。
  • その他、何か参加者から疑問が出たときに、ウィキペディアンとして素朴な答え、たとえば一日にどれくらい費やしているかとか、こういう編集があったらどう思うかといったことが求められることもあると思います。いくらか手が足りなくなることもあるでしょうから、このイベントに興味を持ったウィキペディアンであれば、会場が許す限り誰でも参加して手伝ってもらえると助かります。

叩き台として、こんなところでどうでしょう。--Ks aka 98 2010年1月29日 (金) 17:46 (UTC)[返信]

まず、コミュニティ周りについてなのですが、意識的に今回内容に含めていません。それをすると、書くだけの敷居があがるだけでしょう。とりあえずは、「消されない書き方」を学んでほしいと思っています。コミュニティへの参加が無ければ買い手はいけない、というわけでもないし。もしそうするなら、例えば、ワークショップを複数回に分けるという方をとって、「書き方」「コミュニティへの参加」というスタイルをとってみるといいんではないかと考えています。現在の構成で言えば、第二部みたいな部分で、「コミュニティとは何か」みたいな解説を含めてもいいでしょう。
それから、「ウィキペディアがどういう価値を持つか」は、できるだけ相手に任せるつもりです。これも口上の域を出ないでしょうから。
一方で、テンプレートの解説などを含んでいるのは、「決まった構成、テンプレートを使って記事を量産して欲しい」と考えるからです。
たぶん、こうしたワークショップに参加する人は、「まず書いてみたい」と考えると思うし、僕も体験することを主体に考え、「前口上はともかくまずは書いてほしい」と想定しています。はっきりいえば、できる限り小理屈を減らしたいのです。この手のことを熱心に解説しようと思ったら、それこそ本一冊になります。こちらのいいたいことは抑えて、相手にとって咀嚼しやすいところだけを教えることで、まずは形だけの参加が出きるようになってほしいと考えています。--ゆきち 2010年2月6日 (土) 01:23 (UTC)[返信]
学識者であり、なおかつ積極的にウィキペディアに参加する意思を持っているが、方針文書などを読んでみたり試しに書いてみたりせず、またはしてみても理解できずに、悶々と「まず書いてみたい」とか「消されない書き方を覚えたい」とか「テンプレートを使って記事を量産したい」とかと考えている人を集めるということですね。ぼくにはあまり想像できませんが、そういう方もいらっしゃるのかもしれません。
おそらく、「学識者に対しての執筆ワークショップ」から受け取られる内容とは大きなギャップがありますから、ページ名を含めてタイトルの再考と、上記目的の明示をお願いできますか。特に、参加者募集の際には、単に学識者ではなく、まず書いてみたいと考えているが自分では最初の一歩を踏み出せない学識者を対象とするものだという企画意図がきちんと通じるようにお願いします。
ただ、ゆきちさんがやろうとしていることは、学識者を相手と限定する意味はあまりないですし、学識者の意識や慣習にあわせようという意思もあまりないようですから、広く一般に参加者を募ればよいのではないかと思いました。そのほうが、人も集まるでしょう。--Ks aka 98 2010年2月6日 (土) 07:44 (UTC)[返信]
うーん、なんでそんな極端な誤解をするのかな...。なんども説明しているように、この企画は、「記事の書き方を体験するため」のものです。ここでいっている「書き方」というのは、内容に踏み込まない、あくまで形式的なものです。ここでふたつの作業成果を期待しています。ひとつは「*執筆者が書き始めから投稿までの一通りの流れを体験すること*」と、「*その作業を通じて、ウィキペディア上に学者の書いた記事を増やし、今後の呼び水にすること*」です。単にワークショップで終わりなのではなくて、その成果をがseedsとして機能することを狙っています。
「学識経験者」を対象としたのは、コンテンツ的なものを期待できるからです。大学生でも良かったけど、そうなると、入学前のドタバタを考えて、だいぶ先になると想定したからです(別にいやなわけじゃないけど)。もちろん、単なる執筆ワークショップであれば、一般人相手でもよいというのは事実ですが、それがseedsとして期待できる記事になるかといわれたら、学者相手より低いでしょう。そういう意味では、ある種の執筆依頼でもあるのです。
「そういう人がいるかどうかわからない」ではなくて、「そういう人を募集する」んです。
たとえば、コミュニティ周りの解説をしたところで、そこでどんな手作業をしてもらうのでしょうか? そこから、どんな成果を汲み取るのでしょうか? まさか全員で井戸端に書いてもらうわけにもいかないでしょう。
もうひとつだけお話ししておきます。実は、とある大学の方から、「投稿する前の記事を見てくれ」と言われて、その記事をみたところ、いろいろとウィキペディア上では足りない記事だったのをサポートしたことがあります。今でもその記事は消されずに残っています。内容的に問題の無かったこともありますが、下手すればスタブ扱いで消されていたかもしれません。今回の企画は、その経験を元にしています。--ゆきち 2010年2月7日 (日) 23:15 (UTC)[返信]
(コメント)やはり、この「ゆきち」ことYukichi99氏という人は、記事執筆の何たるかが全く解っていない、としか言いようが無いですね。上でKs aka 98様が仰っていることの1段落目が正鵠を射ていますよ。
まず、「決まった構成、テンプレートを使って記事を量産して欲しい」と考えるからとのことですが、専門家なら某国のコムーネ記事みたいにテンプレートを用いて内容的にはスタブやそれ以下の記事を量産(ないし粗製乱造)するよりは、1本の記事にじっくりと時間をかけて、練りに練ってから投稿するのではないでしょうかね。ご自身でも1度、翻訳でも書き下ろしでもいいから、50KB超級の記事を1本書いてみなさい、あと執筆コンテストや加筆コンクールにも主執筆者/加筆者として参加してみなさい、そうすれば私が今ここで言っていることが少しは解るでしょうから、と言いたくなりますよ。ほんとに。
対象となるのは基本的に「執筆者」となっていただく方々であって、運営周りを担ってもらう方ではないので、コミュニティ周りは含めないほうがいいとは思いますが、それならばMLの紹介も不要では? と言うか、事実上無期限被ブロックユーザ(特に荒らし)が好き勝手な主張をする場と化しているMLに専門家を引っ張ってきてどうするのでしょうか。むしろ、MLはもはや、そういう輩がソックパペットを作って表に出てこないようにするための掃き溜めと割り切って、記事に関することであればノートを活用してもらう、ということを説明したほうがよっぽど実効的かと思いますが。
上記と関連するのですが、建前や綺麗事を並べ立てたセールストークには全く意味は無いと考えます。むしろ、現状をズバリ、ハッキリ説明し、ありのまま知ってもらった上で、「Wikipediaをまず『百科事典』を名乗るにあたって恥ずかしく無いものにするために、専門家のお力が必要です。どうか私たちにお力を貸してください」というスタンスにでもしないと、専門家は寄ってこないと思いますよ。彼らはそれぞれの分野で食べていけるプロですから、よほどのことでも無い限り、無償で自分の書いた文章を提供しようとは思わないでしょうね。一方、アナタときたら形だけの参加が出きるようになってほしいって...やはりこの期に及んでもまだ、専門家をナメているとしか思えませんね。
そう考えていくと、やはり「執筆ワークショップ」という企画は、1から練り直すべきと考えます。そして、この期に及んでもまだお解りいただけないYukichi99氏にはやってほしくない。Yukichi99氏が全責任を負うのなら話は別ですが、実際には企画を行えば協力者や参加者も巻き込まれるのだし、ましてやYukichi99氏の場合は、もじら組での過去を考えれば、とても自分できっちり責任を取る人であるとは考えづらいし。これがまだ、もじら組での失敗を糧にしてWikipediaでの活動に活かしているのなら、Wikipedia外での活動についてまでとやかく言うつもりはないけど、Wikipediaでの活動を見る限り、とてもそうは見えませんからね。Yassie 2010年2月6日 (土) 10:14 (UTC)[返信]
部分的には同意しますが、スタブにならない程度の書き方を経験してもらうのが今回の目的です。MLの紹介は、あくまで「駆け込み寺として」です。ワークショップ終了後の相談先は必要でしょう。「MLは機能していない」とおっしゃるなら、発言のとおり、井戸端でもノートでもいいでしょう。
「ありのまま」まで知ることもないでしょう。ぶっちゃけすぎても大して意味は無いです。この企画は「ウィキペディア自体を知ってもらう」企画ではないからです。--ゆきち 2010年2月7日 (日) 23:15 (UTC)[返信]
既に書きましたが、制止するような危険な企画とも思えませんし、有用な企画だと思いますから賛同します。(付け加えれば、有志企画ですから制止する権利はそもそも誰にもありません。)で、Yukichiさんの言う「スタブにならない記事の書き方を教えるだけ」という基本線も理解した上で意見させていただくと、専門家が書いた記事をいきなり削除されるというのもご本人にはショックでしょうけれども、素人が無神経に阿呆な書き込みをしてくるというのも、それに劣らず結構ショックな事態じゃないかなと思いますよ。私はたまたま自分の専門領域じゃないところからWikipedia編集を始めてアマチュアの意識のままやっていますけど、Wikipediaの予備知識をあまり持たずに専門領域から執筆を始めていたらどうなったんだろうかと時々想像します。『**工学ハンドブック』だとか『**工学事典』みたいな書籍の執筆には参加したことがありますもので、その感覚のまんまWikiで執筆して、○×△■関連で知ったようなことを書き込まれたら、、、、ブチ切れたんじゃないだろうか。
まあ、実際のところ阿呆な素人書き込みは時事問題やポップカルチャーなどの領域に限られているので(アマチュア愛好家の多い歴史学とか宗教関係も酷いかな)、専門性の濃い領域ではさほど心配する必要は無いのかもしれません。ただ、その可能性は常にあるのですから、そういうWikipediaの基本的な考え方や実際に起きている軋轢は、簡単にでもお伝えしておいた方が宜しかろうと思いますよ。Ks aka98さんが提案するみたいに体系的にやる必要も無いと思いますけど、必要最低限なところだけは。
以上、編集でトラブルに巻き込まれた研究者の方々に、後日「詐欺にあった気分だ」と言われないためにも、そこらあたりは考慮しといたほうが良いという意見です。--おーた 2010年2月8日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
いや、誤解じゃないと思いますよ。
この企画は、内容に踏み込まない、あくまで形式的なものとしての「記事の書き方を体験するため」のものですよね。そのようなものとして理解しています。「*執筆者が書き始めから投稿までの一通りの流れを体験すること*」は、大事でしょう。そして、「*その作業を通じて、ウィキペディア上に学者の書いた記事を増やし、今後の呼び水にすること*」も大事だと思います。
ある種の執筆依頼として学識経験者に絞り込むなら、説明は学識経験者に合わせたほうがいい。それで叩き台を作りました。形式的なものを満たしてもらう、それをできるだけ学識経験者が納得しやすいような説明をしましょう、だとすると、こういう形になりますね、と書いた。内容には踏み込んでいないし、井戸端がどうこうというようなコミュニティ周りの解説や内容についてどうこうという説明をするとも書いていませんよ。コミュニティ周りの解説ってのは、何かをして欲しいから説明するんじゃない。「コミュニティとの協調」のところは、何かに巻き込まれたときに、必要以上に不合理に受け取られたり、ウィキペディアでは認められない反論をして追い込まれたりしないために事前に知ってもらうべきことを知ってもらうんです。ちゃんと書き始めたら一冊の本になるかもしれませんが、話すだけならたいして時間はかからないとも申し上げています。そのように受け取られているのだとすれば、それが誤解ではないかと。
ゆきちさんの企画は、ウィキペディアに投稿する意思がある人を対象にして、アカウントの取り方やウィキペディアの方針を学んでもらい、「書き始めから投稿までの一通りの流れ」を体験してもらおう、というものですよね。それはそれでいいと思います。
「ウィキペディアに投稿してみよう!」という一般向けの企画なら、そういうふうに学んでもらえばいいですよね。それぞれ、何かに詳しいかもしれないけど、百科事典は書いたことがないでしょうし、いわゆる論文作法のようなものを習得している人は少ないでしょう。
ただ、学識経験者者向けの執筆ワークショップということになると、彼らは論文作法には慣れていますし、彼らの世界の慣習もあります。依頼原稿なら利益が得られるし、学会誌に投稿すれば業績になる。それでもウィキペディアの意義を感じて知識や原稿を「必要とされるなら提供してもいい」と考えてくれる人、どうするか考えるために、ウィキペディアがどういうものかワークショップで確認してみようと考える人だっているわけです。ワークショップの段階で説明できてなければ参加できないな、と思われるでしょうし、おーたさんいうところの「ブチ切れたんじゃないだろうか。」という結末を迎えるかもしれない。ゆきちさんの企画は、そういう人に向けての配慮がみられないし、修正しようという素振りもみせない。ぼくはそこに「危険」を感じているんですね。
「ウィキペディアに書いてみたい!」という人ならば、ゆきちさんの企画で満足すると思います。しかし、「学識経験者向けの執筆ワークショップ」ということなら、そうでない学識経験者が来ることもある。うっかり来てしまわないように、「ウィキペディアに書いてみたい!」という人限定ですと明記するか、いろんな考えでやってくる学識経験者がそれなりに満足できるものにするか、どちらかにしてほしい。そして、「ウィキペディアに書いてみたい!」という人ということなら、学識経験者という縛りはなくてもいいんじゃないか、ということを、繰り返し申し上げています。--Ks aka 98 2010年2月11日 (木) 08:18 (UTC)[返信]
「来ることもある」ではありません。対象者、ワークショップの内容も既に書き出しています。その上で、参加を選んでもらえば良いのです。余談としていくらでも語るのは構いませんが、ワークショップの目的と合致しない内容に時間を費やしても成果はでません。いいところ、「注意事項」をプレゼン一枚分くらい書き出すくらいでしょう。--ゆきち 2010年2月11日 (木) 13:26 (UTC)[返信]

参加する専門家にとってのメリット[編集]

節が長くなりがちなので、小節を立てます。

Ks aka 98さんの挙げた「執筆、あるいはウィキペディアへの寄与のメリットとして挙げられるもの」を読んで、原提案に対するわたしの疑念はいくらか解けました。わたしの疑念というのは、「ウィキペディアにとって専門家の寄与はメリットがあるにきまっているが、当の専門家にとってウィキペディアに寄与することになにかメリットがあるのだろうか」ということでした。

専門家が一般向けに、ある専門分野の「正しい」知識を啓蒙したり、学説や論点の見取り図を提示したりする仕事は、学術的な業績には直結しないものの、その専門家にとってはひとつの業績となりえます。原提案にはそういった点への言及がまったく見られないため、「専門家が対象の企画に見えない」「専門家の事情を考慮していない」といった批判を生んでいるとおもいます。

説明文案の修正はもちろんですが、それにとどまらず、「参加する専門家自身のメリット」について考えられることを、ちょっと議論してみませんか。 --Hatukanezumi 2010年2月12日 (金) 15:44 (UTC)[返信]

報告[編集]

2度の緊急特定版削除を要する荒らしが本文とノートに立て続けに行われたため、いずれも長期の半保護としました。ノートの保護期間としては長いかも知れませんが、長期にわたって常習化している荒らし行為なのでご容赦ください。今のところ議論参加者は全員autoconfirmedなのでとりあえず不便はないと思います。--cpro 2010年2月2日 (火) 09:21 (UTC)[返信]

遅くなりました。どうもお手間お掛けしました。--ゆきち 2010年2月6日 (土) 01:07 (UTC)[返信]

とりあえず見送りの提案[編集]

若干の意見交換がなされていますが、発案者の提案どおりの内容・方法での実施については異論がでていますので、じゅうぶん練り直してから日程の確定や参加者の募集に進んだほうがよいと考えます。

現在提示されている日取りについてはいったんキャンセルとし (GLOCOMのかたにはわたしからもお詫びしておきます。わたしのお詫びじゃ大して重みがないでしょうけど)、ページ名は「第一回執筆ワークショップ」ではなく開催の現時点での確定を表さない「執筆ワークショップ (案)」といったものにあらためてはどうかとおもいます。いかがでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年2月5日 (金) 13:29 (UTC)[返信]

提案に賛成します。ハッキリ言って、これから1ヶ月強での開催はあまりにも無理がありすぎますし、デスマーチを誘発するおそれが高いです。Ks aka 98様が上のほうで叩き台を用意してくださっていますので、それをベースに話を進めたらよろしいのではないかと思います。「内容・方法・日程について議論する場所」という意味合いをハッキリさせるため、ページ名の変更にも賛成します。Yassie 2010年2月5日 (金) 13:56 (UTC)[返信]

初期に提示された日程の1箇月前となりましたが、とりあえずの見送りとそれに伴うページ改名に特に異論はでていませんので、改名を実施します。--Hatukanezumi 2010年2月12日 (金) 15:03 (UTC)[返信]

報告 改名を実施しました (前のページ名はRFDに出しました)。表ページから日程の表示を除去し、関係者にお知らせしておきます。 --Hatukanezumi 2010年2月12日 (金) 15:23 (UTC)[返信]

開催期日[編集]

とりあえず、予約していた期日を5月ころに変更してもらうことにしました。--ゆきち 2010年3月6日 (土) 11:28 (UTC)[返信]

実施内容・方法についてじゅうぶん練り直してから日程の確定するという提案がすぐ上の節であり、合意されたものと思っていましたが。「5月ころに変更してもらうことにしました」って、それでいいんですか?--Caserio 2010年3月11日 (木) 07:35 (UTC)[返信]
反対 --Hatukanezumi 2010年3月16日 (火) 12:51 (UTC)[返信]
反対 Caserio様の仰る通り、実施内容・方法についてじゅうぶん練り直してから日程を確定する話になっているはずです。これを「5月ころに変更してもらうことにしました」では、結局「3月半ば」が「5月ころ」に変わっただけであって、堂々巡りにしかなっていません。Yassie 2010年3月17日 (水) 13:23 (UTC)[返信]