ノート:藤子・F・不二雄
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特許
[編集]>ドラえもんの道具を将来誰かが発明しても、その発明した人物には特許は得られない。その理由は原作者の『藤子・F・不二雄』がアイデアとされているため。現在、ドラえもんの道具について知的財産権で大きく取り入れている。しかしそれに伴う新技術の特許などは得られると思われる。
この記述は、おかしいと思います。ドラえもんの道具はあくまで架空のもので、漫画で出てきても、発明にはならないからです。男の教室 2007年7月2日 (月) 21:22 (UTC)
特許法における発明とは「技術的思想の創作」ですので、技術というからにはある課題について具体的な解決手段を示していなければなりません。漫画の中に出て来る秘密道具については、最終的に発揮される効果だけが示されているか、または現実的に実現不可能な構造が描かれているだけですから発明とは言えず、今後その秘密道具について具体的な解決手段を考えた人には特許を受ける権利が発生し得ると思います。--220.215.176.158 2007年12月7日 (金) 09:34 (UTC)
- 私もその記述の信憑性に疑いを持っています。特許は、出願して審査を受け登録しないと得られません。藤子不二雄は特許審査を受けて登録を果たしているのですか?色は匂えど 2008年2月22日 (金) 23:06 (UTC)
略称
[編集]「藤子・F・不二雄」と書くべきところを「藤子F」と書いている記事をしばしば見かけますが、これは公式な略称なのでしょうか。検証可能な出典はあるのでしょうか。一般的に姓名で構成する人名は名を略して呼ぶことがありますが、「・不二雄」を省くなら「藤子・F」になるべきであって、「藤子F」は独自研究になる可能性があります。ウェブサイト『藤子・F・不二雄ワールド』では「F先生」としていますし、『Fの森の歩き方』の書名でも「F」としていることから、略称は「F」で統一するのが著作権者の意向だと思うのですが、いかがでしょうか。異論がなければ、「藤子・F・不二雄」と書くべきところを「藤本」「藤子F」と書いている箇所はすべて「F」へ修正します。--三畔 2011年2月27日 (日) 05:46 (UTC)
- コメント 「未読の読者が読み易い文章としてどのような形が良いか」という話であり、藤子Fが「正式な略称かどうか?」「独自研究じゃないか?」と考えるのははっきり申し上げましてナンセンスだと思います。
- 文中で同じ人物が何度も登場する場合、毎度フルネームでは文章がくどく読みにくくなるため通常は名字のみを記載します。しかし、「藤子」ではF先生のことかⒶ先生のどちらであるかが文脈でも判断ができない場合もあって非常に分かりにくいため、Fを補足的に足し、「藤子F」と記載しているだけのことです。これは藤子(F)でも同じことです。通常、ミドルネーム1文字だけで人物を略すことはしませんし、また「F先生」ならそれが「藤子・F・不二雄先生」を示すと分かり易いですが「F」1文字というのは非常に多義なものであり、文中にFだけを人名として使うのは読みにくいと考えますので私は否定的です。--マクガイア 2011年2月28日 (月) 12:15 (UTC)
- その読みやすさの基準も執筆者の主観によるものではありませんか。私個人としては、独自研究的な略称を用いるよりも、だれもが一見してわかる正式名称を用いているほうが読みやすいですし、一般読者もそうであるはずです。やはり独自研究的な略称をやめて一律「藤子・F・不二雄」と表記するか、あるいはすべての記事で「藤子・F・不二雄(以下、藤子Fと略す[1])」と利用例の出典を付けて表記していただきたいです。--三畔 2011年2月28日 (月) 13:57 (UTC)
- いやですから、独自研究ではなく一般的な日本語の用法です。公式と同じでなければ独自研究というわけではありません。手塚治虫の記事で「手塚」と書いても独自研究じゃないですよね。
- そして主観ですが、その理由を述べています。「公式であれば読み易い」というのは「読者が公式を知っているはず」という予断に基づかなければ成り立たない考え方であり、読み易さの根拠とはなっていません。百科事典である以上は「読者が公式を知っているはずはない」くらいの前提で考えなければなりません。
- あと前回言おうかどうか悩んで辞めたのですが、基本としてWikiにおいて「統一しよう」というのは不毛な作業だと思います。--マクガイア 2011年2月28日 (月) 22:04 (UTC)
- 「手塚治虫の記事で『手塚』と書いても独自研究じゃないですよね」とおっしゃいますが、その藤子にFを足してどうのこうのという面倒な考え方は独自研究ですよね。私のコメントをお読みになっていないようですので再度書かせていただきます。一般的に姓名で構成する人名は名を略して呼ぶことがありますが、「・不二雄」を省くなら「藤子・F」になるべきであって、「藤子F」は独自研究になる可能性があります。それほど「藤子F」が読みやすく便利だとおっしゃるのでしたら、一般書籍のいずれかに使用例があるべきです。読みやすく便利であるはずなのに、一般書籍での使用例が1件も確認されていないということは、読みやすく便利だという考えが執筆者の主観にすぎないということが示されているといえます。私の第1希望は、独自研究的な略称を廃してフルネームに置き換えることです。第2希望は「藤子・F・不二雄(以下、藤子Fと略す[1])」のように、便宜のために執筆者が定義した略称を用いることを書いておくべきです。現状では一般読者に優しい記事になっているとはいえません。
- 統一することに関しては、私が気づいた範囲で作業するだけですので、ご心配なさらずとも結構です。お心遣いありがとうございます。--三畔 2011年3月1日 (火) 09:43 (UTC)
- うーん、どこが面倒で独自研究なんだか私にさっぱりです。
- 名字だけで人物をよぶのは普通である
- しかし名字だけでは区別がつかない
- 区別のつく部分を補足的に足す
- ものすごく分かり易いと思いますけど。クラスメートに佐藤一郎さんと佐藤次郎さんがいたら佐藤(一)と書くのと全く同じことなのですが。ごく日常に使う日本語ですよね。
- また「藤子・F・不二雄」から「・不二雄」を省いて「藤子・F」ならよくて、「藤子・F・不二雄」から「・」と「F・不二雄」を省いて「藤子F」では駄目だというのもよくわかりません。--マクガイア 2011年3月1日 (火) 22:10 (UTC)
- 何度も書きましたが当然です。姓名で構成される人名が一般に姓で略される常識と異なり、藤子・F・不二雄を藤子Fと略す例が、たったの1件も存在しないのですから。たいして重要ではないことなので、いまのところ、私からこれ以上コメントすることはありません。
- 私が言いたいことは、現状では一般読者に優しい記事になっているといえない状態にあり、それを読者視点から改善したいということです。便宜のために執筆者が定義した略称を用いるならそうと必ず明記するようにせよ、ということです。--三畔 2011年3月2日 (水) 09:34 (UTC)
- もう一度言いますが一般的な日本語の用法です。文中初出時には必ず「藤子・F・不二雄」で記載していますし(なければそれはミスです)、この程度で読者に優しくないというのは読者の基本的な日本語能力の想定が低すぎると考えます。ご希望の方法はむしろ無駄な説明が増えて可読性を落とすかと。読者として想定すべきは「百科事典を読める程度の日本語力を持つ人」だと思いますので、現状で全く問題がないと考えます。--マクガイア 2011年3月5日 (土) 13:01 (UTC)
- 重要でない話をこれ以上続けないでほしいのですが、コメントがあったので返答します。大いに問題があります。一般的に「山田太郎」など姓名のみで構成された人名を略すときは、「山田」と姓で呼称するか、あるいは「太郎」と名で呼ぶ用法しか存じ上げません。ほかに存在するのでしたらぜひとも教えていただきたいです。藤子・F・不二雄について語る文書が数多くあるにもかかわらず、なんの断りもなく藤子・F・不二雄を藤子Fと略すことが、Wikipedia、それでなければファンサイトにしかにしか存在しない時点で、Wikipedia執筆者の主観であることに変わりありません。そもそも検証可能な書籍における用法では藤子・F・不二雄の名前を略さずに書くか、藤子と略すかF先生と呼ぶ用法しか存じ上げません。一般的な日本語の用法についてこれ以上意見を交わす意味はありません。一般的な日本語の用法のことは今回は重要でないので横に置きます。この話はここまでにしていただきたく思います。
- Wikipeiaにおいて別に便宜上、藤子Fと略そうがなんと略そうが一切構いません。作品一覧や大全集で使っているようなTableの小さなセルでは、略称を使うことの必要性は高いでしょう。そういう場所において必要に駆られて略称を用いることには大いに賛成します。言い換えればそれ以外の場所では意味もなく略称を用いることは控えていただきたいのですが、それについては今回は置いておきます。ですから最低限の礼儀として、略称を用いることに意味のある場所で略称を用いる(そういう場所ではどんどん略称を使ってください)際に、略称を用いることを明示していただきたいのです。「フルネーム(以下○と略す)」の丸括弧書きを付け加えるだけです。その程度の礼儀のために可読性が損なわれるとは思えません。むしろ礼儀を怠ることこそ可読性を損なうことになっているでしょう。ご理解いただけましたら、
- 一般読者への礼儀として丸括弧書きを付け加え、一般読者の可読性に貢献する
- この一点の編集のみを行って議論を閉めようと思います。--三畔 2011年3月5日 (土) 15:10 (UTC)
- 安藤健司『封印作品の謎2』75頁に置きまして、「藤子F」の使用例がありましたのでご報告致します。当然(以下○と略す)などという記述はありません。--マクガイア 2011年3月8日 (火) 13:26 (UTC)
- もう一度言いますが一般的な日本語の用法です。文中初出時には必ず「藤子・F・不二雄」で記載していますし(なければそれはミスです)、この程度で読者に優しくないというのは読者の基本的な日本語能力の想定が低すぎると考えます。ご希望の方法はむしろ無駄な説明が増えて可読性を落とすかと。読者として想定すべきは「百科事典を読める程度の日本語力を持つ人」だと思いますので、現状で全く問題がないと考えます。--マクガイア 2011年3月5日 (土) 13:01 (UTC)
- うーん、どこが面倒で独自研究なんだか私にさっぱりです。
- その読みやすさの基準も執筆者の主観によるものではありませんか。私個人としては、独自研究的な略称を用いるよりも、だれもが一見してわかる正式名称を用いているほうが読みやすいですし、一般読者もそうであるはずです。やはり独自研究的な略称をやめて一律「藤子・F・不二雄」と表記するか、あるいはすべての記事で「藤子・F・不二雄(以下、藤子Fと略す[1])」と利用例の出典を付けて表記していただきたいです。--三畔 2011年2月28日 (月) 13:57 (UTC)
- (インデント戻す)ご報告ありがとうございます。やはりファン視点で、かつ正式に藤子プロがかかわっていない書籍では、ファン的な略称が用いられるようですね。本当のところは、正式に藤子プロがかかわっている資料での使用例を希望したいところです。--三畔 2011年3月8日 (火) 14:40 (UTC)
- 返答が遅くなってしまい申し訳ございません。安藤氏はファンではないことを公言していたはずですし、実際ファンの立場からすればちょっと不愉快な行動もされています。挙げた本はファンではない第三者視点で執筆されたルポ作品であり、百科事典を執筆する上での視点としては、第一者である公式の視点よりも近いものであると考えます。--マクガイア 2011年3月16日 (水) 11:54 (UTC)
- 『封印作品の闇』(『封印作品の謎2』の新編集および文庫化作品)の前書き「文庫化に寄せて」によれば、「私はファンだからという理由で、封印作品を取材したわけではない。中には個人的に好きだった作品も混じっているが、得にファンの立場では書かれていない」とのことです。本文を読んだ限り、ファンかアンチかの二択なら(軽度だとしても)ファンの部類に入るように思えました。文中では藤子・F・不二雄を略す際、藤子Fと略すのは2、3回で、むしろ藤本(次点で藤子)と略すほうが圧倒的に多いと感じました。略すならできるだけ藤本と略すように心がけているように見えます。藤子・F・不二雄の略称を『封印作品の闇』に求めるなら、藤子Fを改めて藤本と略すことになるでしょう。
- やはりWikipediaにおいて何も説明することなく、通称を藤子Fに統一してしまうことは危険だと思います。不必要な箇所で用いている略称はフルネームへと改め、必要不可欠な箇所で用いる前にはカッコ書きを加える……というのは利用者に対する配慮として欠かせないことですが、略称を藤本とすることも考えなければなりません。--三畔 2011年3月16日 (水) 13:34 (UTC)
- ファンかアンチかの二択はナンセンスです。「ファンの立場からすればちょっと不愉快な行動もされています」とは言いましたが、アンチであるとは一言も言っておりません。ファン視点でもアンチ視点でもなく、ルポライターとして第三者視点で書かれています。
- すごい根本的なことですが、別に統一する必要はありません。私としても統一するつもりは全くありません。例えば藤子両先生の本名が必要でかつ両先生が頻繁に登場してくるような記事(例えば藤子不二雄・藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)であれば、「藤本」の方が分かり易いでしょう。同じ記事内であっても家族の話が中心となっている段落であれば「弘」とした方が分かり易くなるかもしれません。が、F先生の本名が特に必要なく、Ⓐ先生があまり関わられていない記事で「藤本」は分かり難く、冒頭で出てくる「藤子」が入りかつ曖昧さのない「藤子F」が適当な場合が多いと考えます。
- 再度繰り返しますが、ごく普通な日本語の用法です。普通に書店で売られている書籍で用いられているんですから。この程度で読者に優しくないというのは読者の基本的な日本語能力の想定が低すぎます。過度の配慮は可読性を落とすだけです。--マクガイア 2011年3月17日 (木) 11:56 (UTC)
- 返答が遅くなってしまい申し訳ございません。安藤氏はファンではないことを公言していたはずですし、実際ファンの立場からすればちょっと不愉快な行動もされています。挙げた本はファンではない第三者視点で執筆されたルポ作品であり、百科事典を執筆する上での視点としては、第一者である公式の視点よりも近いものであると考えます。--マクガイア 2011年3月16日 (水) 11:54 (UTC)
- コメント お二人の議論をずっと読んでいますが、個人的には三畔さんよりもマクガイアさんのご意見の方がわかりやすいと考えます。“藤子F”と記載することが「危険」とか「独自研究」とは全く思えませんし、可読性が損なわれるわけでもないため、マクガイアさんの「ナンセンス」という発言はもっともだと思います。ただし、藤子・F全集や小学館の伝記などでは「藤子・F先生」「F先生」という表記がされている(A先生が絡まないときは藤子先生と記載されている)わけですから、正式な見解は出ていないものの、「藤子・F」という表記の方が公式の扱いなのかなと考えます。公式でないとはいえ、藤子スタジオや藤子プロとも良好な関係にあると思えるファンクラブ誌「ネオ・ユートピア」では近年、「藤子・F」という表記の方が増えてきています。そういう現状も考えると、「藤子・F」と表記した方がベターではないかと考えます。なお、「藤本」表記は分かりにくいという点については、マクガイアさんを支持します。--Floter 2011年3月17日 (木) 13:12 (UTC)
- NU発行の『Neo Utopia別冊 129.3』(1999年2月20日第2版発行)が手元にあるのですが、略称は一貫して「藤本」(両氏を区別しない場合は「藤子」)としています。Floter氏のご指摘は興味深いですね。F全集で「藤子・F先生」と表記しているとのことですが、該当箇所を具体的に教えていただけますでしょうか。--三畔 2011年3月17日 (木) 13:27 (UTC)
- 一例ですが、『Uボー』における解説です。これは談話をまとめたものですが、話の内容によって「藤子先生」「藤子・F先生」と分けています。他には『てぶくろてっちゃん』第1巻における丸山昭の解説もそうなっています。この全集における今までの解説は、人によって「藤子先生」「F先生」「藤子・F先生」「藤本先生」と使い分けておられる(親密度の違い?)のですが、「藤子F先生」という表記は今のところ見つかりません。ただ昨日書いてからも考えていたのですが、私にとって「藤子・F」「藤子F」の記載の違いは、「藤子Ⓐ」「藤子A」の違いと変わりないなというのが本当のところです。最初に「藤子・F・不二雄」と記載されている以上、以後の文章で「藤子・F」「藤子F」のどっちになっていようと間違う人はいないでしょう。私としては、今後前者を使おうかな、と思う程度です。「ネオ・ユートピア」についてはHPもご確認ください。--Floter 2011年3月17日 (木) 21:11 (UTC)
- 完了 NUのウェブサイトを確認しますと、Google:"藤本先生"site:http://neoutopia.netは11件、Google:"藤子F先生"site:http://neoutopia.netは4件でした。そして「出崎統インタビュー」(2004年3月21日更新)にて「藤本(藤子F先生)さん」という記述を確認しました。以上を見ると、世間もファンクラブも小学館も、「先生」を付けた場合の略称は「藤子F先生」よりも「藤本先生」とするほうが一般的ですが、「先生」を付けない場合は「藤子F」とすべきと考えられているようです。敬称を用いてはならないとするJAWPにおいては、略称を「藤子F」とするのが適切である可能性があります。信頼できる複数の情報源を確認することができましたので、議論は終了とします。--三畔 2011年3月18日 (金) 03:07 (UTC)
- コメント 完了ということならそれで今回はいいですが、今後のためにも「『これが検証可能性の問題だ』と考えている方が他にはいらっしゃらない」ということをしっかりとご理解頂きたいです。--マクガイア 2011年3月19日 (土) 09:45 (UTC)
- そうですね。そういう考えの方がいらっしゃらないから、今回の地震に関しても出典もろくに付けない記事が濫造されるのです。このあたりは今後も徹底するつもりです。--三畔 2011年3月19日 (土) 13:25 (UTC)
- コメント うーん。はっきり申し上げまして、地震の記事とは全然次元が違います。今回のは「日本語」のお話なんです。極端に例えれば、「私がマクガイアです。」の「が」が格助詞であることの出典を示せと言ってるようなものなんですよ。
- なお、自分で言うのもなんですが私はかなり出典に対しては厳しいと思いますよ(「要出典厨」なんて言われたこともありましたし(^^;) )。このあたりはどうこう言うより執筆した記事の桂正和・藤子・F・不二雄大全集・藤子・F・不二雄の著作一覧当たりでも見てもらった方が早いでしょう。なお桂正和はWikipedia:秀逸な記事に、藤子・F・不二雄の著作一覧はWikipedia:秀逸な一覧に選んで頂きましたが、どちらも必要な出典が明記されていなければ門前払いです。--マクガイア 2011年3月20日 (日) 00:29 (UTC)
- マクガイア様。私の編集方針へのご意見は、私の会話ページへ直接お願いします。議論の終結した場所で個人的な議論を続けるのは迷惑となりますので、熱く語っていただいているところ大変申し訳ありませんがご遠慮願えますでしょうか。--三畔 2011年3月20日 (日) 09:17 (UTC)
- 了解いたしました。改めて利用者‐会話:三畔の方で申し上げます。--マクガイア 2011年3月20日 (日) 11:42 (UTC)
- マクガイア様。私の編集方針へのご意見は、私の会話ページへ直接お願いします。議論の終結した場所で個人的な議論を続けるのは迷惑となりますので、熱く語っていただいているところ大変申し訳ありませんがご遠慮願えますでしょうか。--三畔 2011年3月20日 (日) 09:17 (UTC)
- そうですね。そういう考えの方がいらっしゃらないから、今回の地震に関しても出典もろくに付けない記事が濫造されるのです。このあたりは今後も徹底するつもりです。--三畔 2011年3月19日 (土) 13:25 (UTC)
- コメント 完了ということならそれで今回はいいですが、今後のためにも「『これが検証可能性の問題だ』と考えている方が他にはいらっしゃらない」ということをしっかりとご理解頂きたいです。--マクガイア 2011年3月19日 (土) 09:45 (UTC)
アシスタント
[編集]アシスタントの項目を藤子不二雄のページに移動します。えびはら武司「藤子不二雄アシスタント日記」に「当時、藤子スタジオには大勢のアシスタントがいたがF専任のアシスタントは自分一人だった」との証言があり、明らかにFのアシスタントとは言えない人物が混じってます。完全に分別が出来ない以上、Fのページだけに記載する訳にはいかないと思える。--Brockenman(会話) 2015年10月10日 (土) 12:09 (UTC)