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ノート:自然の権利

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独自研究を削除しました

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事実の紹介と思われる部分は残しましたが「注意する必要がある」「~といえる」など、独自の考察を披露した部分は削除しました。これらの記述を復帰させる場合には、誰がそのように主張しているのかがわかる出典の書誌情報を添えてください。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 08:28 (UTC)[返信]

戻しました。まあかなり古い時期の執筆だから出典の追加などは必要かもしれませんねえ。おいおい検討します。せいぜいがところ「要出典」レベルじゃないでしょうか。
なお、「個人のページ」とされている「自然の権利セミナー」ですが、日本における自然の権利運動の巨頭である籠橋弁護士も加わっているグループのページであり、個人のページと断定するのは認識が違うと思います。まあそのあたりがわかりやすくないっていう問題はありますけどね。名義が自然の権利セミナーだったかどうか記憶がはっきりしないんですが、確かNACS-Jの助成を受けて2冊ほど報告書をまとめていたはずです。それを掘り出すことができれば話は簡単なんだが・・・どこに埋まっているか・・・。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 09:27 (UTC)[返信]
善意の編集の差し戻しはお止めください。出典発見の際に順次記述復帰をお願いします。出典の無い記述は誰でも取り除くことが出来るのがウィキペディアのルールです。単純な事実の記述と思われるものは残してあります。解釈や考察まで踏み込んでいると思われるものは削りました。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 10:34 (UTC)[返信]
自分が善意だと信じられるのって、かなり問題があるような気がします。言っているだけであるにせよ同じです。まあだからこれまでも問題を引き起こし続けてきたのでしょうけれども。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 10:39 (UTC)[返信]
コメント依頼を行いました。個人攻撃もお止めください。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 10:43 (UTC)[返信]
あ、すまん。Peachlover氏と混同しちゃった。別人だったら申し訳ない。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 10:50 (UTC)[返信]
その利用者と私は無関係です。出来れば敬語を使っての会話をお願いします。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 10:54 (UTC)[返信]
要出典タグを貼って、しばらく待ってから剥がすとノートで期日指定した後、出典が付かなければ剥がすというのが穏当な処置なのではないですか。桂園時代に対する編集[1]のように。--rshiba 2010年3月21日 (日) 10:59 (UTC)[返信]
なるほど。それでは1ヶ月間おいた後に、出典が出なかった記述は削除ということでいかがでしょうか? 日本時間の2010年4月21日24時まで本文の記述除去は控え、それ以降は出典が示されなかった記述は削除出来るという折衷案を提案したいと思いますが。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 11:03 (UTC)[返信]
剥がす範囲は「要出典範囲」で厳密に指定しておいたほうがいいです。そこは要出典貼っていないだろうとか、ごたごたしないために。--rshiba 2010年3月21日 (日) 11:12 (UTC)[返信]
ご示唆感謝いたします。そのタグはまだ使ったことが無いのですが、なんとかやってみます。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 11:26 (UTC)[返信]
率直なところ、この要出典の添付は、「要出典荒らし」と呼ばれるいやがらせのレベルに堕ちてはいないか。猛省を求める。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 11:38 (UTC)[返信]
差し戻しなどせずに、出典を見つけてから順次記述を戻しておられれば、私が要出典タグを多数添付する必要はありませんでした。私の利用者ページにも書いてありますが、本来私は要出典タグを多数添付する編集は控えております。今後、この種のケースでは差し戻し以外の編集を前向きにご検討ください。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 11:48 (UTC)[返信]
要出典タグを一文毎につけるような編集がそもそもいやがらせであり、そんな手法はいかなる口実をもってしても正当化できないものです。久しぶりに関連文献をひもといたらそれなりに面白かったのですが、いやがらせに対応するために忙殺されるのも不毛ですので、ここで一段落とします。改めて不適切な要出典は自分で撤去しておくことを強く要請します。ついでに、自分が知らない対象について編集をするのならば謙虚であることを忘れないよう、強く求めます。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 12:06 (UTC)[返信]
私の編集をいやがらせと断定するのは個人攻撃と思いますので、お控えください。ウィキペディアのルールに従って、力を合わせて本記事の内容を改善していこうではありませんか。沢山の出典のご紹介には心より感謝申し上げます。引き続き出典の調査とご紹介をお願い申し上げます。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 12:10 (UTC)[返信]
異様に大量の要出典の貼り付けを行うことは「要出典荒らし」といういやがらせの類型のひとつです。自覚がなかった(いやがらせとしての故意はなかった、ということであると善意に解釈します)としても、それは普通にいやがらせと理解される行動であり、今後は二度と行わないようにして下さい。今回のケースであなたがそのことを学んでくれれば、おれとしても嬉しく思います。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 12:17 (UTC)[返信]
既に申し上げたように、しばしば紛争に発展するが故に要出典タグの一度の大量添付は控えているのですが、記述削除を2度も差し戻しされてしまうと、不本意ながらそれを選ばざるをえなかったということです。要出典タグの使い方と差し戻しの話題については、これ以上このノートで続けるべきではないかと存じますので、更に続ける必要性を認められた場合には、井戸端等に場所を移してください。私は、あなたがこの機会に出典を多数探してくださったことを心より喜んでおります。雨降って地固まると言うべきではないかと。今後ともよろしくお願いいたします。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 12:27 (UTC)[返信]

中立的な観点について

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現状では、自然の権利という概念を推進する側からの主張のみが紹介されているように感じます。同概念に対する批判もご紹介いただければと思います。よろしくお願いいたします。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 10:56 (UTC)[返信]

裁判所の役割について

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開発行為を巡る利害調整の最終的な場が裁判所であることは確かですが、それ以外にも環境影響評価手続き(いわゆる環境アセスメント)では意見書提出が可能ですし、行政組織による開発行為の場合は議会への陳情提出や請願提出、議会での予算案の審議など、多様な場が存在しています。それらの利害調整の場での話し合いが不調に終わった場合の最後の手段が訴訟だと理解しています。ただしこれは日本国における制度ですので、世界的な観点から見てどのような記述が適切であるかは、議論が必要かと思います。個人的には、裁判所の役割は「法律にのっとる限りにおいての最終的な利害調整の場」(場合によっては戦争という手段もあるので)とするのがよろしいかと考えますが、いかがでしょうか?--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 11:58 (UTC)[返信]

定義不明

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現状では、どこにも肝心の定義がされていない気がします。動物または自然物に権利主体性ないし訴訟主体性を認めろという権利能力当事者能力レベルに主眼を置いた議論ではなく、主に原告適格レベルなのは漠然とわかるんですが。(動物原告についてもこの項目で触れておいたほうが良いとは思いますけど。パリーラ訴訟については動物の権利主体性を主張した事案との評もあるようですし。当事者能力だけでなく、実質的原告の人間を指す訴状の表示として使うことはできるかどうかのあたりも入れて)
「個人の法的権利侵害として構成できない環境問題について、個人に帰属しなくとも訴訟の対象となる自然の権利の存在を主張して、一定の人間に代弁することを認めるべきだとする法解釈論」ということでしょうか? 自然に関してではなく、遺跡が存在する地域の開発について考古学者に原告適格を認めろという裁判がありましたが、それは別の議論なんでしょうか? 自然に関することに限らず、ほかに消費者問題の議論でも出てくる、公益代弁者としての原告適格という議論とも見えるのですが。また、環境権のようなあくまで個人の法益として構成する議論とは、別議論ということで良いんでしょうか?--Snlf1 2010年3月21日 (日) 12:47 (UTC)[返信]

◆考古学者の原告適格問題は、「原告適格をどこまで認めるか・認めるべきではないか」という悩ましい議論という意味では共通点を持ちます。ただ、自然の権利という概念を主張する側は考古学者の原告適格問題を視野にはいれていないようなので、同一視は難しいでしょう(シンパシーは抱くかもしれませんし、当該考古学的価値のある場所の開発行為が自然破壊にもつながるとなれば共同歩調くらいは取る可能性があるでしょうが)。
ダグラス判事あたりの考えに基づきますと、「誰かがまあ人間界で主張しなくちゃいけませんからそういう人間がいてもいいですけど、もうちょっと広い枠組みでものごとを考えませんか」という提案のようです。そういう観点から、個人的法益である環境権とも、重なる部分がなくはないけど重ならない部分も多々あって、同一視はできません。
まあなんだなあ。おれもハシクレ法律屋という側面を持ってますから、既存法律概念と乖離する部分については微妙な違和感はあります。籠橋さんあたりに気おされて納得させられちったという面もなくもないです。ただ、おれがクチバシったギャグから四宮和夫の法人論あたりと結びついたりしたこともあって、「ああそういうことかい」とか思ったりもしたんで、そのあたりはおいおいのんびりと説明を充実させていこうと思います。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 12:55 (UTC)[返信]
いや、おいおいではなく、まずは定義して議論の射程をはっきりさせないと、何が何だかわからないのですよ。詳しくご存じで法学知識もある方のようですから、さくっと冒頭節に定義文を置いて下さい。お願いします。--Snlf1 2010年3月21日 (日) 13:05 (UTC)[返信]
うーん・・・わかりやすい定義だとは言えないのだが、「自然の権利(しぜんのけんり)とは、自然保護を目的とした活動を法廷を舞台として行うための考え方のひとつである」という以上に明確に定義をしようとしたら、間違う可能性があります。早急にというのは、無理です。
自然保護を目的としての法的技術論は、他にもあります。他にもあるってゆーか、普通に原告適格に抵触しない人間を見出せるならそいつが原告になって裁判をやればいいわけです。また、「自然物を原告名に連ねる」というのは、自然の権利訴訟を自称する訴訟群にしばしば見られる特徴ではありますが、ひとつとして例外がないというものではなく、定義として採用するには厳しいものがあると思います。自然の権利を主張する人々も、自然物原告名を条件とはしていません(いっそのこと自然物原告名を必須の要件であるとかしてくれちゃえば楽でいいのになぁ)。
これはある種のパラダイムシフトであり、現在の法曹界にも「それはいったい、なに?」みたいな疑問を抱いている方はおられます。普通の訴訟をやっている限りでは無縁の概念でもあり、あんまし理解しなくちゃならない切迫性が高くはないみたいですね。対して、行政訴訟系の当事者(訴えられる側の行政)とかにとってはかなり切実な考え方であり、ややこしいなりにまとめておく価値はあると考えます。
いっそのこと{{現在進行}}でも貼っておきますか。あと何十年かは貼りっぱなしでいいような気もしますし。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 13:22 (UTC)[返信]
「―のひとつである」というからには、ほかにも考え方があるんでしょうけれど、それらとの区別基準が無いと百科事典の項目として意味をなさないですよ。個人的にはとりあえず定義無しで即時削除しろとは思ってないですし、よくは知らないですが事典的な定義ができる概念だと思っていますけれど。直接的な定義が難しいというなら、せめて他の色々あるらしい法的技術論との区別を冒頭でまとめあげて、「行政」の定義で使われるような間接的な定義をしてほしい所です。--Snlf1 2010年3月21日 (日) 13:36 (UTC)[返信]
多少改定してみたけど。文献をあされば出典つき表現を持ってくることは可能ですが、その出典の記述者の個人的な考えという要素がまざってしまうので、ある程度はぼやかしておかざるを得ないと思います。法的技術論としては、通常の民事訴訟や行政訴訟、刑法犯的側面を持つ開発行為などにかかわる刑事訴訟などとの対比となりますが、それらはごくごく普通の訴訟なんで、包括的に記述するのは難しいです。それらの枠内におさまらないから新しい概念として提示されているわけで(新しいっていっても、日本に持ち込まれたのがこの15年くらいだというだけで、アメリカ合衆国とかでは50年以上の歴史があるのですが)。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 13:43 (UTC)[返信]
「ただし、自然物を原告名として連ねることが必須の要件とはされていない」とは、何についての必須の要件ではないと言っているのでしょうか? 自然物を原告とした訴訟を起こすことが「自然の権利」という考え方を自分は採用していると主張するための必須の要件、という意味ですか? 推敲のうえで記述復帰願います。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 13:54 (UTC)[返信]
利用者:Nekosuki600さんへ。「その出典の記述者の個人的な考えという要素がまざってしまうので、ある程度はぼやかしておかざるを得ない」とのことですが、論者によって定義ぶれがあるのならば、勝手にぼかさずに支持者を明示しつつ出典に基づいて併記するのが、Wikipedia的には正しいのかなと思います。新参者ですので、誤解していたら申し訳ありません。日本法に視点が偏らないためには、50年の伝統で確立された米国法での定義を引っ張ってくるのも解決策かもしれないと思います。(ついでに他言語版へのリンクを整備していただけると有難いです。ちょっと探したのですが、定訳を知らないのでうまく発見できませんでした。)--Snlf1 2010年3月21日 (日) 14:30 (UTC)[返信]
冒頭定義で列挙してもわかんなくなるだけだと思う。詳細で人別の意見識別あたりは検討しますが、いずれにせよ早々にやれるものではないので、おいおいにさせて下さい。
なんか要出典を張りまくられていた思想的経緯の部分ですが、ひととおり主としてアメリカ合衆国における動向についての原典・出典の添付は終わりました。言語間リンクについては、おれも一瞬つけようかと思ってあたってみたんですが、微妙に言語観障壁に基づく概念差があるように思えたので、とりあえずはやめておくことにしました。『ランド・エシック』や、『シエラクラブ v.s. モートン訴訟』の判決文あたりが、参考になるかもしれませんが、マイナー本だったり英語だったりするんだよなー(ためいき)。
なお、そういうわけでアメリカ合衆国では、ESAの市民訴訟条項なんかもあって、「誰が原告なのか。自然物が原告たり得るのか」みたいな点は争点になっていないんですよね。普天間基地移転問題で名護市沖埋め立て移転案はアメリカ合衆国の裁判で否定する判決が出てたと思いますが、あれでも「原告:ジュゴン」は全然問題になっていませんでした。個人的には、「自然物原告名の記載は要件ではない」という考えの方におれは親近感を抱いているのですが、しかし「必須だ」とか主張するひともいたりするんで、めんどくさいんです。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 14:43 (UTC)[返信]
冒頭に載せるととまとまりがつかなくなるほど割れてるなら、しかたないですね。厄介ですね。冒頭定義文は最大公約数的なあたりにするにしても、本文最初の節で各論者の見解とりまとめは欲しいなと希望を出しておきます。--Snlf1 2010年3月21日 (日) 14:53 (UTC)[返信]
ご希望は了解しましたが、それなりに複数の文献を比較しつつ読み込まないとまとめられませんし、それはかなり面倒な作業なんで(そもそもその文献をどうやって掘り出せばいいのかっていう問題もある。うちのなかのどこかにあることは確かなんだが)、時間をくださいねということは強調しておきたいです。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 14:58 (UTC)[返信]
◆追記。えーと、そんなに説がいっぱいあるわけじゃないです(と、おれは認識してます)。
説が割れているというよりも、「わかりやすく自然物を原告として表記することと定義ししゃえよ」という派閥(主として自然破壊を食い止めるべく訴訟を起こすことを目的としている現地住民など)と、「そんな簡単に割り切れるもんじゃねーだろ」とする派閥(主として弁護士など法曹関係者)との間での、微妙なコミュニケーション上のすれ違いみたいな感じであると、おれは認識しています。でも、そこを埋めるのって、ほんとにたいへんなんだよ。--Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 15:01 (UTC)[返信]
◆山田隆夫弁護士による定義を追加しましたが。別段わかりやすくなったような気はしませんねえ(ためいき)。--Nekosuki600 2010年3月22日 (月) 14:32 (UTC)[返信]
まともな定義になっていないから、わかりやすくならないのだと思います。--Snlf1 2010年4月16日 (金) 13:24 (UTC)[返信]

節の名称について

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Nekosuki600氏はアニマルライトと「自然の権利」の違いについて述べた節の名称を「注意点」としておられますが、「アニマルライトとの差異」とした方がその節の記述の内容を簡潔に把握出来るので良いのではないかと考えます。「注意点」とした場合、特定の執筆者が特に「アニマルライトとの差異についての理解が本概念に関して重要である」と考える価値判断が含まれてしまうのではないでしょうか。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 14:53 (UTC)[返信]

おれはリバートをしてねーし。ま、いいんじゃね?(ふっ) --Nekosuki600 2010年3月21日 (日) 14:56 (UTC)[返信]
了解です。それと、もっと丁寧な言葉遣いをお願いします。--Peachkiller 2010年3月21日 (日) 21:56 (UTC)[返信]

相模大堰建設差止訴訟について

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相模大堰建設差止訴訟ですが、1993年という日本で「自然の権利」概念を使ってみようという動きが始まっていくばくもない時期に起こされたものであったため、いろいろと試行錯誤の要素があったようです。で、原告団・訴訟支援者は、形式的に可能な住民訴訟という方法を採用しましたが、実質的には「自然の権利」概念を援用しての自然保護訴訟であると位置づけており、たとえば口頭弁論では「鮎になりかわり(第三回口頭弁論)」「コアジサシになりかわり(同第五回)」「建設地の植物になりかわり(同第六回)」「丹沢と相模湾になりかわり(同第十回)」などの口上を添えて主張を展開しています[1]。まあ、「自然の権利」を提唱する弁護士グループがかかわっていたという事情も大きいようですが。

「自然の権利」は法的な概念・枠組み・考え方の提唱なのであって、既存の様式の訴訟と排他的関係にあるわけではありません。よって、この項目で言及してもいっこうに問題はなかろうかと。--Nekosuki600 2010年4月16日 (金) 12:09 (UTC)[返信]

自然の権利の考えを援用している以上、言及しても問題ないと思います。ただ、主に原告適格について解説しているなかで、原告適格の点ではまったく事情が異なる訴訟形態であるのに、なんの注意書きもないのはおかしいです。正直なところ、執筆者の法的知識に疑いを抱くほどです。少なくとも、項目全体について同様の誤解を招く表現が潜んでいるのではないかと思うため、申し訳ないですが正確性について疑問としました。--Snlf1 2010年4月16日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
  1. ^ 報告 日本における[自然の権利]運動(第一集)・金尾憲一。