ノート:第二次チェチェン紛争
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>チェチェン独立過激派に対するロシア連邦大統領 ウラジミール・プーチンの強硬なやり方には疑問と批判も多数出ている。
←どこから出ているでしょうか?受動態を用いる時も主体は略すべきではありません。--60.47.44.193 2006年8月12日 (土) 14:11 (UTC)
>また同時期にモスクワではアパートが爆破されるテロ事件が発生し百数十名が死亡した(FSBの自作自演説有り[3]) [3]の出典を見ると、 様々な証拠から第二次チェチェン紛争の原因とされる一連のテロはロシアのFSB(ロシア連邦保安庁。KGBの後継機関)による自作自演であるという見解も強く持たれている。 となっており、誰によってFSBの自作自演説が出されたのか不明です。 出所不明な情報を堂々と載せる編集姿勢には全く共感できません。
文末には署名をお願い致します。「FSBの自作自演説」については、検証可能な出典が無いため削除いたしました。--Y.haruo(会話) 2013年11月17日 (日) 08:32 (UTC)