ノート:使徒言行録
項目名について
[編集]「新共同訳聖書では「使徒言行録」であるが…「言行録」より「行伝」が適切であるという指摘が田川建三によってなされている。」ということであるが、「言葉」の意味が含まれてないなら、カトリックのいう使徒行録でよいのではないか? カトリックのみに肩入れするのはよくないので、どこにも属さない言葉を使うのであろうか? それとも田川説がそんなに偉いのか? --忠太 2004年12月26日 (日) 15:49 (UTC)
- 上記該当の田川さんによる指摘が現行の記事からは除かれましたが、こういう形での言論封殺はいかがかと思う。単純に、執筆者が田川建三の著作(おそらく『書物としての新約聖書』pp.667)を参考文献として記事を書いた(田川氏の著作では新共同訳の問題点指摘が多い)ということであって、宗派云々とは関係ないでしょう。「田川説がそんなに偉いのか?」とのことですが、それなら「どこそこの教会はそんなに偉いのか?」「聖書協会はそんなに偉いのか?」と言っても同じです。万人納得の全き翻訳には至っていない、と言う学者がいる以上、それを無視することは望ましくない。「こういうことを言う奴がいる」という紹介が(それも当のキリスト教の学者なのですから)削除されるのは、批判の存在自体を抹殺することですから、絶対に犯してはならないマナーだと思います。それに、田川建三の同著作は力作ですし、その内容を肯うか否かに関わらず、Wikipediaで紹介すること自体は本来有益なはずですが...(素人の書いた思いつきのムック本とはわけが違う) --218.110.154.214 2010年10月28日 (木) 08:39 (UTC)
改名提案(2014年5月〜)
[編集]プロジェクト:キリスト教/キリスト教の記事名と用語表記のガイドライン#聖書の人名・書名において聖書中の書名は基本的に新共同訳聖書に則ることが明記されたので特殊な事情がない限りは本項も新共同訳に則った使徒言行録にすべきだと考えます。 --Misjonarz(会話) 2014年5月10日 (土) 23:05 (UTC)
- 賛成 ガイドラインに沿った改名提案であると思い、賛成いたします。 --Lorettibarrend(会話) 2014年5月15日 (木) 09:06 (UTC)
報告 ご賛同ありがとうございます。発案から一週間経過して反対意見が出なかったので移動しようと思ったのですが改名先の使徒言行録に著作性のある履歴が含まれていたので使徒言行録を削除依頼に出します。 --Misjonarz(会話) 2014年5月18日 (日) 00:43 (UTC)
- コメント すみません、その場合は削除依頼ではなく移動依頼で対応する筈ですが…。--Kinno Angel(会話) 2014年5月18日 (日) 08:14 (UTC)
- コメント おや、そうなのでしょうか? Wikipedia:ページの改名#改名の仕方のうち、改名先のページの履歴に著作性のある履歴が含まれない場合ではなく改名先のページの履歴に著作性のある履歴が含まれる場合にあたると判断したのですが。 --Misjonarz(会話) 2014年5月20日 (火) 22:38 (UTC)
- コメント すみません、間違えました。Misjonarzさんの御判断が正しいです。申し訳ありません。--Kinno Angel(会話) 2014年5月21日 (水) 06:15 (UTC)
済 削除がなされたので使徒言行録への改名を実行しました。 --Misjonarz(会話) 2014年6月6日 (金) 13:40 (UTC)
テオフィロについて
[編集]ギリシャ語で「神に愛された人」という意味だったはずですが……? 「神を愛する人」という出典はどこでしょうか --153.228.203.168 2018年1月27日 (土) 17:21 (UTC)
コリント人への手紙1の章数について
[編集]成立年代の考察について、コリント人への手紙1の18章1における詩編の引用から、共通性が確認できるとしておりますが、コリント人への手紙1の章は、通常の新約聖書テキストでは、16章までです。何かの勘違いではないでしょうか。--Sfwu(会話) 2023年3月4日 (土) 04:38 (UTC)
- この部分は利用者:Gakuinryouさんの執筆[1]と思われます。だいぶ前の投稿ですが、Gakuinryouさん、説明お願い致します。--Lmkjgmo(会話) 2023年3月13日 (月) 02:05 (UTC)
- Gakuinrouです。ご指摘の箇所について確認いたしました。いかんせん20年前の編集ですので記憶が定かでありませんが、そのころは英語版を翻訳していたかと思います。Wikipedia英語版の当時の当該記事に「Date:External evidence now points to the existence of Acts at least as early as the opening years of the 2nd century. As evidence for the Third Gospel holds equally for Acts, its existence in Marcion's day (120 - 140) is now assured. Further, the traces of it in Polycarp 6 and Ignatius 7 when taken together, are highly probable; and it is even widely admitted that the resemblance of Acts 13:22, and 1 Corinthians 18:1, in features not found in Psalms 89:20 quoted by each, can hardly be accidental. That is, Acts was probably current in Antioch and Smyrna not later than c. 115, and perhaps in Rome as early as c. 96.」とありますので、この部分を訳した際に聖書本文を確認せず投稿したと考えられます。当該箇所については削除いたします。失礼いたしました。--Gakuinryou(会話) 2023年4月9日 (日) 13:47 (UTC)