ノート:コンスタンティヌス1世
この「コンスタンティヌス1世」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2019年4月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
クリスチャン?
[編集]クリスチャンであるとするのは宗教的伝承の域を超えないため、断定調の記述にするのは問題であるように思います。--Extrahitz(会話) 2012年8月31日 (金) 03:12 (UTC)
- 時期や、コンスタンティヌスの内心・心情面がどうであったかについては議論が分かれますが、一応洗礼を受けたことまでは議論は分かれていません(そうですよね)。ですのでキリスト教徒とするのに何も障害はありません。--Kinno Angel(会話) 2012年9月1日 (土) 13:06 (UTC)
ある「程度」の史実可能性があるのが死去直前に受洗したという説であり、早い時期からクリスチャンとして行動したという記述は大いに問題です。--Extrahitz(会話) 2012年9月2日 (日) 00:18 (UTC)
- >早い時期からクリスチャンとして行動した
- ええと、どの辺りの記述がそれに該当するでしょうか?--Kinno Angel(会話) 2012年9月3日 (月) 01:19 (UTC)
見落としもあるかもしれませんが、「功罪」の節では施政者として帰依していたという意味で書かれてます。また「年譜」節の「これがきっかけでキリスト教を信仰するようになったと言われている」という書き方が、史実なのか宗教的伝承なのか、その時に帰依したのか死の直前に帰依したのかについて言葉をぼかして誘導的に書かれています。--Extrahitz(会話) 2012年9月3日 (月) 14:19 (UTC)
- えーっと…文脈から見ればそんな事は全く無いと思うのですが…。むしろ
- >多分に後世のキリスト教的史観による。
- >古代のほとんどのキリスト教歴史学者からは無視される傾向
- >キリスト教に帰依したのも政略にキリスト教を利用しようとした側面が非常に大きい
- >キリスト教の教義は相次ぐ内乱によって弱体化した皇帝の権威を強化するのに非常に適していた
- >彼自身はそれらの教義の違いを明確には理解しておらず、
- これらは、コンスタンティヌス1世を「キリスト教徒」と単純に認識することに(教会で「信仰」するかは兎も角)、疑問符をつけるのに十分な記述の数々だと思うのですが?--Kinno Angel(会話) 2012年9月4日 (火) 09:40 (UTC)
そのような追記があっても、クリスチャンであることを前提とする記述であることが問題であるかと思います。それぞれの立場を反映する文章となると良いのですが。--Extrahitz(会話) 2012年9月8日 (土) 04:33 (UTC)
- >クリスチャンであることを前提とする記述であることが問題である
- 申し訳ありませんが全く問題が現状の記述にあると思えません。--Kinno Angel(会話) 2012年9月8日 (土) 08:13 (UTC)微修正--Kinno Angel(会話) 2012年9月8日 (土) 08:13 (UTC)
記述の削除について
[編集]2018年10月9日 (火) 17:14版の§後継者節の残存していた記述について大部分を削除しました。部分的にはエドワード・ギボン、およびアンミアヌス・マルケリヌスの記述と『西洋古典学事典』から記述を構成できそうではあるのですが、確認した限りの参考文献から完全に同一の情報(特に没年例の推定など)は網羅できませんでした。もし復帰させる際には情報の出元となる出典を追記していただければと思います。ただ、厳密言えばこの節の記述はコンスタンティヌス1世というよりはコンスタンティヌス朝についての情報になるのではないかとも思え、個人的にはあまり記載の必要は無いようにも感じています。よろしくお願いいたします。--TEN(会話) 2019年4月22日 (月) 14:07 (UTC)