ノート:カテジナ・ルース
毒婦と悪女
[編集]>宇宙世紀二大毒婦の一人で、三大悪女の一人でもある。ちなみに二大毒婦のいま一人はシーマ・ガラハウ、三大悪女の残り二人はニナ・パープルトンとフレイ・アルスターである。
との記述ですが、フレイ・アルスターは宇宙世紀の人物ではない(彼女はコズミック・イラの人物です)ので除外するべきと思いますがいかがでしょうか。218.110.41.7 2005年11月26日 (土) 12:51 (UTC)
- むしろいらないと思ったので文章を削りました。Tekune 2005年11月26日 (土) 13:08 (UTC)
いつもいつも思うのですが、なぜ個人的な評論を書きたがるのでしょうか。 そういうのは個人のブログでやってください。--以上の署名のないコメントは、125.174.205.57(会話/Whois)さんが 2006年12月22日 (金) 06:56 (UTC) に投稿したものです。
- 一概に個人的な論評とは言えないのではないでしょうか。当時だけでなく今でもネット上などではこういったことが言われています。中傷的な批判はいいものだとは思いませんが、他にもこういったことが書かれている人物がいるので削除するのは不公平かと。削除するのなら他の人物の記述も削除するのが望ましいと思います。LovPow 2007年6月30日 (土) 04:30 (UTC)
- (タイトル「毒婦と悪女」を付けました)--218.110.30.198 2007年4月25日 (水) 17:32 (UTC)
- 宇宙世紀二大毒婦とか三大悪女とかの内容が記載されている情報元をお教えください。ネット上のブログや掲示板等ではなく発売されている、いた、できれば入手可能な書籍でお願いします。見つからない場合には検証ができない情報であるとみなされ除去されることになるでしょう。Tekune 2007年8月3日 (金) 10:05 (UTC)
- 特にないようですね。私もこのような内容をみた事はないですし。Tekune 2007年8月11日 (土) 08:57 (UTC)
- 宇宙世紀二大毒婦とか三大悪女とかの内容が記載されている情報元をお教えください。ネット上のブログや掲示板等ではなく発売されている、いた、できれば入手可能な書籍でお願いします。見つからない場合には検証ができない情報であるとみなされ除去されることになるでしょう。Tekune 2007年8月3日 (金) 10:05 (UTC)
記憶喪失
[編集]最終回でカテジナが記憶を失っているかどうかについて
- 確かに作中で『記憶喪失になった』とは言っていませんが、逆に『記憶喪失にはなっていない』とも言っていません。富野監督もその事について、明言されていない以上、様々な見解があるという程度に留めた方が良いと思います。このままだと、この事について編集合戦になりそうなので。--以上の署名のないコメントは、210.196.152.89(会話/Whois)さんが 2007年4月24日 (火) 03:23 (UTC) に投稿したものです。
- 「目が見えなくなった人間が相手が誰だかわからない」のを即座に「記憶喪失」と考えるほうが「おかしいですよ」。少し考えてみれば、これがどれだけ不自然な主張かがわかるでしょう。常識的に、一足飛びに「記憶喪失」とならないのが普通です。「客観的な証拠」がまったくないのであればなおさらです。「客観的な証拠」がまったくないことを、あたかも事実であるかのように書くのは単なる「デマ」ですので、もし書くとしても書き方を考えるべきでしょう。それ以前に、この程度で「記憶喪失」だと断定できるなら、誰に対しても「記憶喪失」呼ばわりはできますが。リアルタイムではそういう意見なんてなかったんですよ。それこそ「嘘をついている」のは、「演出として」「見ればわかる」レベルの話であって、無理に「記憶喪失」なんて解釈を持ち出す必要なんかまるでなかったんですから。ちょっと嘘をついた人間を、「記憶喪失」呼ばわりするのも変でしょう? >富野監督もその事について、明言されていない 言う必要がない、あるいはあまりにも馬鹿馬鹿しいことは言わないでしょう、普通。 オラン・ペンデク2007年4月25日 (水)
22:4113:50 (UTC)
- 「目が見えなくなった人間が相手が誰だかわからない」のを即座に「記憶喪失」と考えるほうが「おかしいですよ」。少し考えてみれば、これがどれだけ不自然な主張かがわかるでしょう。常識的に、一足飛びに「記憶喪失」とならないのが普通です。「客観的な証拠」がまったくないのであればなおさらです。「客観的な証拠」がまったくないことを、あたかも事実であるかのように書くのは単なる「デマ」ですので、もし書くとしても書き方を考えるべきでしょう。それ以前に、この程度で「記憶喪失」だと断定できるなら、誰に対しても「記憶喪失」呼ばわりはできますが。リアルタイムではそういう意見なんてなかったんですよ。それこそ「嘘をついている」のは、「演出として」「見ればわかる」レベルの話であって、無理に「記憶喪失」なんて解釈を持ち出す必要なんかまるでなかったんですから。ちょっと嘘をついた人間を、「記憶喪失」呼ばわりするのも変でしょう? >富野監督もその事について、明言されていない 言う必要がない、あるいはあまりにも馬鹿馬鹿しいことは言わないでしょう、普通。 オラン・ペンデク2007年4月25日 (水)
(タイトル「記憶喪失」を付けました)ただの時間つぶしでなければ「再会」の演出は「目が見えなくなった人間が相手が誰だかわからない」を表現しているのは間違いないでしょう。ただし、「登場人物が嘘をつく」という演出が理解できずに・・・等の記憶喪失説に対する反論の部分は辞典的ではありませんので、まず下段の非記憶喪失を記載して、それから「解説本の記憶喪失は、どの部分の記憶が無いか定かではなく、上記の演出に対しても様々な見解がある」というような描き方にした方がよりスマートだと思います。--218.110.30.198 2007年4月25日 (水) 17:32 (UTC)
- 「ワトソンは女です。なぜなら本文に男と書いてないからです」カテジナの記憶喪失って、こういうレベルの話だと思うんですよ。「カテジナは記憶喪失です。なぜなら否定する材料がないからです」てな感じで。根拠も証拠もない主張(一般の社会ではこういうのはたいがい「妄想」と言われるんですが)を、「様々な見解がある」で「確かな事実」と同列に扱うのは百科事典としてあまりに無責任ではないでしょうか。 オラン・ペンデク2007年4月30日 (水)
19:3010:29 (UTC)- 割り込みになりますけど、218.110.30.198の人は、それらを「同列に扱え」と主張しているワケではないでしょう。ただ記憶喪失説に対する反論の部分が百科辞典的ではない(=ややエッセイ的である)と言っているだけでは? いまの記述をもう少し整理できませんか、という話であって、演出の解釈そのものについては問題にしていないように見えます。……というわけでその辺を踏まえて問題の部分をいじってみましたが、いかがでしょうか。--quadspace 2007年5月1日 (火) 06:29 (UTC)
記憶喪失説に根拠がない件や、リアルタイムではそういう話がなくどこから起こった話かなど、必要と思われる点は十分に入っているかと。わたしの方では満足できる内容ですので、とりあえずこういう記述で問題ないかと思います。--オラン・ペンデク 2007年5月2日 (水) 19:40 (UTC)
私はリアルタイム組です。解説本、ゲーム本の記載内容は知りませんでした。今も見てません。掲示板などで記憶喪失説を知ったとき、非常に驚いたのを覚えていますし疑問も抱いています。したがって、私は反論の部分を削除するために、その元となっている記憶喪失説部分ごとカットしても構わないと考えています。記憶喪失派の意見を待ちます。--(218.110.30.198)218.110.31.203 2007年4月30日 (月) 12:20 (UTC)
- カテジナがどうなったのかという解釈についての意見を出すつもりはありませんが、根拠はどうあれ記憶喪失説が存在していることは確かなのだから、何らかのかたちでそれに触れることは必要だと思います。--quadspace 2007年5月1日 (火) 06:32 (UTC)
- 記憶喪失が『不自然』で『一足飛び』で『「客観的な証拠」がまったくないことを、あたかも事実であるかのように書くのは単なる「デマ」』とするなら、『カルルマンという名前を聞いて、はじめて相手がシャクティだと気づく。当然カテジナとしては落魄した状態でシャクティと再会するのは恥辱である。そのためあくまでシャクティだとは気づかないという芝居をするのだが、シャクティはそんなカテジナの様子に気がついている。そのうえで相手のプライドを尊重し、カテジナだと気づかないふりをする。カテジナもシャクティが自分の嘘を見抜いたとわかっている。それでもなお虚勢を張って、嘘をつき続け最後のプライドを堅持するが』・・・こんなものはその数段上の妄想です。オラン・ペンデク君、君の言ってる事の方がずっとずぅ~っとおかしいですよ?どうして気付かないんですか?とりあえず、これを表記したいならそれなりの情報源を(自分の脳内以外から)提示しなさい。とりあえず修正しときましたんで。--利用者:hm 2007年5月31日 (木) 09:54 (UTC)
- 当時のアニメ誌での一般的な(「作品を見れば普通に理解できるレベルの」)解釈なんですけどね。・・・あなた実際に作品を見ましたか?その結果どう解釈しました?あの場面どんな風に読み取れました?もしさしつかえなければぜひお聞きしたいですねえ。--オラン・ペンデク 2007年5月31日 (木) 13:20 (UTC)
- 面倒なのでノートが荒れそうな時にしか顔を出していませんが、別にhmさんもオラン・ペンデクさんも、もちろん私についても、個人々々が「どう思った」「どう解釈した」かなんて、どうでもいい話ではないですか? ……事実と解釈とを分離するなら、「戦闘終結後ウーイッグに戻ろうとする中途、シャクティに再会する場面が描かれている」ところは事実で、「当然カテジナとしては落魄した状態でシャクティと再会するのは恥辱である。(中略)シャクティとカテジナは抑えていた感情を止めることができずに」や「富野アニメ屈指の名場面」などの記述は解釈の範疇かと思います。そして個人々々の解釈を書くことはWikipediaには求められていません(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんをご覧下さい)し、違う解釈について殊更に攻撃することもまた求められていません。
このような見方に則れば、「これを表記したいならそれなりの情報源を(自分の脳内以外から)提示しなさい」という意見には一定の説得力があります。「当時のアニメ誌」の具体的な誌名・号数を提示し、「○○誌の○○号では最終回についてこうした意見を述べている」という記述にすることで検証可能性の俎板に上げるのは一つの方法でしょう(これはもちろん、記憶喪失説のほうにも言えることです)。個人的には [2007-05-30T20:25:08] の版あたりが落とし所かなと感じています。
それと余談ですが、小説版の項での「ウッソに殺されてしまう」よりは、何度かリバートされている「ウッソとの戦闘で死亡する」の方がより客観的な記述だと思います。
さらに余談ですが、知ってらしたらすみません、チルダ4つ(~~~~)置けば自動で署名を残すことが出来ますよ。--以上の署名のないコメントは、Quadspace(会話/Whois)さんが 2007年5月31日 (木) 17:50 (UTC) に投稿したものです。コメントの最後に--~~~~と書くだけで自動的に署名できます。- うわぁすみません、自分で書いておいて自分で署名しくじりました。かっこわる。--quadspace 2007年6月1日 (金) 06:16 (UTC)
- 何度も同じことを言ってるんですが、まあ、犬にしか見えないものに対し「猫だ」という意見があるとします。それをここに記載するなら普通「これこれ観念的な理由で今までがどうのこうの、従って犬の外見を画面上でとってはいるが猫である(と考える人間もいる)」程度の根拠を書くのが普通ではないですか?「嘘をつく」のは富野アニメでは普通ですけど、「コアファイター脱出せよ」のアムロ・レイを記憶喪失だと言う人間はおりませんよ。その論法を使えばどんなキャラクターも記憶喪失にできるわけじゃないですか。それに対して [2007-05-30T20:25:08] 版のように記憶喪失説をなにか根拠がある主張のように(結局根拠を提示できた人間はいませんからね)載せるのはどうかと思います。また「声でわからなかったのか」みたいなことを書いて(消してごまかしたようですけど)いる人間がいるわけです。「画面を見ていれば理解できること」が理解できないまま自分の見解を主張していると思われる人間に対し、「どういう解釈をしたのか?」と聞くのは議論するうえで有益だと思うのですが。結局記憶喪失説を唱える人間は明確な根拠や論理的で納得がいく説明を提示することもできず、2007年5月31日 (木) 01:02の版みたいな真似をすることしかできないのは変だ、とは思います。オラン・ペンデク 2007年6月1日 (金) 13:42 (UTC)
- 210.89.107.127さんは対話するつもりがないようなので、彼のいじった部分はとりあえずいったん元のかたちに修正しておきます。結果的に彼の取った行動は悪戯に等しく、これでは単なる荒らしですよ。記憶喪失に対する証拠や論理的な理由は今回も提示されませんでした。それをすれば話はすぐ終わるのに。申し訳ありませんがquadspaceさんがこれ以上直したいというのであればまた提案してください。さすがに疲れました。正直徒労感ばかり感じます。オラン・ペンデク 2007年6月6日 (水) 10:07 (UTC)
- 『明確な根拠や論理的で納得がいく説明を提示することもできず』『悪戯に等しく、これでは単なる荒らし』『証拠や論理的な理由は今回も提示されませんでした』・・・全部君の行動に当てはまっているって事、分かってる?。もう一度言うけど、君の書いたものを表記したいならそれなりの情報源を(自分の脳内以外から)提示しなさい。こっちもいちいち君の馬鹿な話に付き合うのはうんざりしてるよ。あとページ全部戻すのもやめなさいね。利用者:hm 2007年6月15日 (金) 19:57 (UTC)
- 『当時のアニメ誌での一般的な』←こんな事はどのアニメ誌にも書いてありません。手に入りにくい資料なのをいい事に自分に都合のいいように物事を捏造するのはやめなさい。もし書きたければ「○○の何年何月号にこう書いてある」と提示したまえ。『「作品を見れば普通に理解できるレベルの」解釈なんですけど』自分の勝手な思い込みを一般化するのはやめなさい。「それがVガンダムだ」では、カテジナはシャクティだと気付いていないとされています。この本の各話解説は全て富野監督が目を通しており、巻末でその内容について対談までしているので、資料としての信憑性は十分なものです。というわけで「カテジナがシャクティだと気付いていた」は却下。これを覆したければそれ以上のもの、例えば富野監督やスタッフ、もしくはサンライズが直接書いた資料か、絵コンテ・脚本を持ってくるしかありません。なお、記憶喪失については不明なので、そのように記述しておきます。>Quadspace氏 小説での記述変えてみました。利用者:hm 2007年6月16日 (土) 10:14 (UTC)
- 面倒なのでノートが荒れそうな時にしか顔を出していませんが、別にhmさんもオラン・ペンデクさんも、もちろん私についても、個人々々が「どう思った」「どう解釈した」かなんて、どうでもいい話ではないですか? ……事実と解釈とを分離するなら、「戦闘終結後ウーイッグに戻ろうとする中途、シャクティに再会する場面が描かれている」ところは事実で、「当然カテジナとしては落魄した状態でシャクティと再会するのは恥辱である。(中略)シャクティとカテジナは抑えていた感情を止めることができずに」や「富野アニメ屈指の名場面」などの記述は解釈の範疇かと思います。そして個人々々の解釈を書くことはWikipediaには求められていません(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんをご覧下さい)し、違う解釈について殊更に攻撃することもまた求められていません。
- 当時のアニメ誌での一般的な(「作品を見れば普通に理解できるレベルの」)解釈なんですけどね。・・・あなた実際に作品を見ましたか?その結果どう解釈しました?あの場面どんな風に読み取れました?もしさしつかえなければぜひお聞きしたいですねえ。--オラン・ペンデク 2007年5月31日 (木) 13:20 (UTC)
>「それがVガンダムだ」では、カテジナはシャクティだと気付いていないとされています。 ふうん。何ページに書いてます?オラン・ペンデク 2007年6月18日 (月) 15:03 (UTC)
- >「○○の何年何月号にこう書いてある」と提示したまえ。 210.89.107.127さんはそう言いながらも、 >「それがVガンダムだ」では、カテジナはシャクティだと気付いていないとされています。 書名を提示していながら具体的に何ページに書いてあるかを答えられない。具体的にどんなやりとりかもろくにない。そりゃ当然答えられないでしょう。ありもしない文章を、書名を提示することで相手をごまかせると思ったんでしょうから。今回彼(彼女?)がやっていることは「証拠の捏造」ですので、彼(彼女?)の発言は、すべてが根拠なしのものだと判断せざるを得ないということです。 >自分に都合のいいように物事を捏造するのはやめなさい。 だそうです。実に素敵な言葉ですね。今回の彼もまた、『明確な根拠や論理的で納得がいく説明を提示することもできず』『悪戯に等しく、これでは単なる荒らし』『証拠や論理的な理由は今回も提示されませんでした』ということです。210.89.107.127さんは「ラフレシアが大破したのはF91のビームランチャーが原因」に見える人なので、同じ映像を見ても他の人間と同じ理解に至らないのは当然でしょう。「それがVガンダムだ」でも、他の人間に見えない文章も、彼(彼女?)だけには見えていたのでしょう、きっと。210.89.107.127さんにはエゥーゴにおけるカミーユ・ビダンの記述のように、『「作品を見れば普通に理解できるレベルの」解釈なんですけど』ができないという証明がなされたということで終わり。相手を言い負かすためなら「証拠の捏造」もためらわない人間は、もうどこのページでもまともに相手にされることは二度とないでしょうね。 オラン・ペンデク 2007年6月25日 (月) 13:38 (UTC)
御注意を
[編集]Wikipedia:独自研究は載せないとWikipedia:検証可能性を良くお読み下さい。記事に自身の考察や解釈を書かないよう御願いします。
これはどの記事にも適用される方針です。『他の項目では書いている』は通用しませんよ。 -- NiKe 2007年7月13日 (金) 01:19 (UTC)
死より重い罰を・・・
[編集]上記のソースを探されているようですが、アニメージュ94年7月号の富野由悠季VS庵野秀明で 「カテジナのあのラストシーンというのは、かなり早い段階で構想があったんです。」 「カテジナは何としても殺したくはなかった。では殺さない代償としてどうするか、といったときに、このくらいのペナルティは負ってもらわなければ困るという、作劇上の整理はあった。」 と富野氏はコメントしているようです。121.113.178.63 2009年1月13日 (火) 12:47 (UTC)
この件についてですが、もし取り入れるならば、 『なお、死亡せずに生き残った理由は富野由悠季総監督の意図であり、「カテジナは何としても殺したくはなかった。」とコメントしている。 盲目となった経緯については、「カテジナのあのラストシーンというのは、かなり早い段階で構想があった。」 「殺さない代償としてどうするか、といったときに、このくらいのペナルティは負ってもらわなければ困るという、作劇上の整理はあった。」 とコメントしている。』 といったような記述ではいかがでしょうか。個人的には「~与えたかった」という能動的な印象は受けないので・・・--202.222.156.211 2010年9月3日 (金) 10:01 (UTC)