R-16 (ミサイル)

R-16(NATOコードネーム:SS-7「サドラー」)は1956年にヤンゲリ設計局で開発され、1961年〜1978年にかけて初めて大量に配備されたソ連の二段式大陸間弾道ミサイルである。
R-16は地上から発射するタイプの弾道ミサイルだが、サイロから発射するR-16Uも存在していた。
事故
[編集]1960年10月24日にバイコヌール宇宙基地で打ち上げ直前のR-16のプロトタイプが突然爆発し、戦略ロケット軍司令官兼バイコヌール宇宙基地所長のミトロファン・ニェジェーリン(ネデリン)、誘導装置設計者のボリス・コノプリョフを始め主立ったミサイル関係の技師や軍人少なくとも74名が巻き込まれて死亡した[1]。死者数について公式の調査報告書では74名(軍人57名・民間人17名)となっているが、バイコヌールにある犠牲者墓地には軍人84名が埋葬されており[注釈 1]、126名(軍人76名・民間人50名)が死亡したとする文献もある[2]。設計者のミハイル・ヤンゲリ自身は直前まで現場にいたものの、現場から離れた喫煙所にいたため命拾いしている[3]。
これほどまでの大惨事となった原因として、技師が電気系統の欠陥を修理しようとしてコードを誤って別のコネクタに接続した(それぞれ500以上のコネクタやコードで構成されていた)為、第二段エンジンが作動したことにより一段目の燃料タンクが加熱されて爆発したからだと言われている。さらに、前日に起こった燃料漏れで辺りは燃料が充満していた(当日も応急修理をしただけで根本的な解決には至っていなかった)ことも事態を重くする事となった。
その後
[編集]事故翌日に現地入りしたレオニード・ブレジネフは関係者が一部を除き全員死亡したことを理由に責任追及はしないとし、作業の続行を宣言した[3]。事故に関しては公式に発表されず、ニェジェーリンの死のみ「航空事故」によるものということにして死亡記事が発表された[3]。この事故の詳細が分かったのは1990年になってからである。
西側にこの情報の断片が漏れたがICBMの事故とは思わず、火星ロケットの事故だと考えられていたとの逸話もある。
主要諸元
[編集]- 全長:30.4 m
- 直径:2.4m - 3.0 m
- 発射重量:146,600 kg
- 射程:11,000 - 13,000 km
- 弾頭:単弾頭
- 8F17:1,500 kg、3 Mt
- 8F115:2,175 kg、5 Mt
- 8F116:2,200 kg、6 Mt
- 精度:2,700 - 2800 m CEP(半数命中半径)
- 誘導:慣性誘導
- エンジン:2段式(いずれも硝酸・非対称ジメチルヒドラジンを推進剤に使用)[4]
- 1段目エンジン:RD-218、255重量トン
- 2段目エンジン:RD-219、45重量トン
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 冨田信之『ロシア宇宙開発史 気球からヴォストークまで』東京大学出版会、2012年8月31日。ISBN 978-4-13-061180-0。