Category‐ノート:日本の小説

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(提案)本カテゴリは非常に巨大化しています。「Category:日本の純文学」、「Category:日本の歴史小説」、「Category:日本の時代小説」、「Category:日本の推理小説」と言う様に、ジャンル分けしたサブカテゴリを作成すると良いと考えます。--切問而近思 () 2006年1月1日 (日) 12:57 (UTC)[返信]

方向としては賛成です。ただし、ジャンル分けが明確でないものが多数発生すると予想されますので、いささか心配です。あるいは、時代的な分類も可能かもしれません。--NDR 2006年1月16日 (月) 12:06 (UTC)[返信]

賛成です。それと多数ライトノベル作品も、本カテゴリに入っていますが、すでにCategory:ライトノベルがあるので、こちらにいれる必要はないと考えます。--ライトノベル文学 2006年6月7日 (水) 22:27 (UTC) [返信]

(反対に変更)たった3ページです。そこまで大きいとは思いませんので、今のところつくる必要はないと思います。また、すでにCategory:推理小説Category:時代小説などジャンル分けしたカテゴリがあるので、同じようなものをつくるのはどうなのかなと思います。

それよりは、Category:漫画作品 (五十音別)Category:アニメ作品 (五十音別)などのように五十音別のサブカテゴリをつくってはどうでしょう? まあこれも今のところ記事数少ないので、作る必要はないと思いますが、今後記事が増えた時に作ればいいと思います。--ライトノベル文学 2006年7月7日 (金) 03:32 (UTC)[返信]

(「Category:日本の純文学」だけは絶対に作成するべき)「小説」と一言で言ってもジャンルが有ります。それらの記事を本カテゴリに何でもかんでも一緒くたに集めるのは適切でない。純文学と娯楽小説をごちゃ混ぜに集めた雑多なカテゴリは閲覧者も不便で見辛い。それよりも純文学は純文学、娯楽小説は娯楽小説と綺麗に明快に適正に交通整理されてある方が断然分かり良い。ジャンルを無視した五十音別ではなくジャンルで分けるべきなのです(面倒であっても)。少なくとも「Category:ライトノベル」と言うカテゴリが有る程なのですから「Category:日本の純文学」を作成するのは至極当然です。純文学の記事も特化するべきですし特化して当然なのです。なお、「Category:純文学」だと世界各国の純文学が含まれてしまうのでカテゴリ名は「Category:日本の純文学」として下さい。--切問而近思 () 2006年8月26日 (土) 14:12 (UTC)[返信]

大衆小説と純小説というものは、はっきりと分けられるものでしょうか? はっきりとわかる基準となるがあるといいのですけれど。(たしか純文学という概念は日本独自の言い方ではなかったでしょうか?)
ちなみに「Category:ライトノベル」と「Category:日本の小説」につながりはありません。--DOERAX 2006年8月28日 (月) 04:38 (UTC)[返信]
条件付賛成です。見づらいということであれば、Category:夏目漱石の小説などのように作家別のカテゴリを作られたらどうですか。あと、Category:推理小説も拝見しましたが、こちらと本カテゴリの子供カテゴリとして、Category:推理小説を作るのもいいと思います。なお、上さんの主張されている"「Category:日本の純文学」だけは絶対に作成するべき"に関しては反対です。純文学の定義はなんでしょうか?文学作品と純文学作品のちがいは?その定義が異なる人を説得する自信と根拠はありますか?実際、芥川賞受賞小説作品の記事がほとんどない状態で作ったとしても、傍ら痛いです。ならば、作家ごとのカテゴリを作った方がいいです。__Okc 2006年8月28日 (月) 05:38 (UTC)[返信]

ならば、次の階層でカテゴリを作っては、どうでしょう?

  • CAtegory:日本の小説
    • Category:日本の小説 (五十音別)
    • Category:日本の小説 (作家別)

--ライトノベル文学 2006年9月3日 (日) 14:48 (UTC)[返信]

(回答)

  1. 純文学の定義は記事「純文学」に書いてあります。国語辞典([1][2])や漢和辞典にも書いてあります。国語辞典や漢和辞典に書かれてある定義や語義に異議を唱える者が居るとは考えません。
  2. 「文学作品」とは小説、戯曲、随想、詩、短歌、俳句等、言語芸術や言語作品の総称。「純文学」とは娯楽性を排除した芸術小説です。
  3. 芥川賞受賞作の記事が無くてもそれは欠点ではない。同賞は一出版社の文学賞に過ぎない。恒例のイベントに過ぎない。同賞受賞作だから優れた小説とは決して限らない。例えば、利用者:上は『天安門 (小説)』の記事を新規作成しました。同作は大変に優れた上質の純文学です。百科事典に独立記事を作成するに十二分に値すると判断したため記事を作成したのです。「芥川賞受賞作の記事ではなく候補作の記事を新規作成するとは、利用者:上は最低の馬鹿、阿呆」と嘲笑されるならば、それは全く構いません。

純文学専門のカテゴリ「Category:純文学」を作るべきです。不思議なのですが、一カテゴリを作るのにここまで議論しなくてはならないと定められているのでしょうか。例えば「Category:時代小説」「Category:推理小説」「Category:ライトノベル」等を作成する前に編集者各位は「独立したカテゴリを作成するか否か」を議論したのでしょうか。それらのカテゴリを無くせと言っているのではありません。--切問而近思 () 2006年9月4日 (月) 16:24 (UTC)[返信]

カテゴリーを作るのは問題がないにしても、そこに作品を分類するとなるとその判断が難しいのではないか、と思います。娯楽性を排除した、といっても、夏目漱石は『彼岸過迄』を書くにあったて、「久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければ」と書いて読者を相当意識しています(『彼岸過迄』が純文学でないなら別ですけれど)。純文学に上げられる作品は、記事「純文学」に挙げられている以外に何があるのでしょうか。--DOERAX 2006年9月5日 (火) 05:34 (UTC)[返信]
(回答、意見表明)まず、ライトノベル文学さんの提案された、五十音順は反対です。そこまで厳密に管理する必要はないと思います。作家別に関しては、夏目や三島など、多くの作品が書かれた作家のカテゴリは、あってもいいと思います。
上さんへ。定義に関して異議を述べる者がいるか、ということよりも、その定義に則り、分類をする人たち、および閲覧者の意思統一ができるのか、というのが問題なのです。つまり、DOERAXさんが書かれているような、ある小説に対して、純文学というラベルを貼る人、貼らない人というのが意見が分かれるわけですよ。それで意見が割れた場合、説得するうえで「定義」というのは無力です。三島や、漱石や川端は、純文学だとみなされること多いですが、彼らは新聞で連載などをしていたこともあり、意識的に読者を喜ばせたり、突き放したりができていたわけです。芥川賞に関しての回答は、ちょっと私の意見を読み違えられているように見受けられます。要は、「純文学」か否かということで議論をする時間や労力やリソースを、新規の記事作成などに使った方がいいのでは?ということで、上さんのことを罵倒や嘲笑はしておりませんよ・・・。
また、例に挙げられている推理小説、時代小説、ライトノベルは、それに属することが明確、あるいは自称している作品ばかりです。もう一度書きますが、私が純文学カテゴリに反対しているのは、「分類が困難で、正式運用後も反対意見が出ることが予想されるから」です。上さんの個人的な希望や熱意は推測しますが、もう少し冷静になってください。あるいは、こういった議論が無駄だとお考えなのであれば、どうぞご自由にお作りください。__Okc 2006年9月5日 (火) 06:05 (UTC)[返信]