劉承祐

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隠帝 劉承祐
後漢
第2代皇帝
王朝 後漢
在位期間 948年3月14日 - 951年1月2日
都城 開封
姓・諱 劉承祐
諡号 孝隠皇帝
生年 長興2年3月7日
931年3月28日
没年 乾祐3年11月22日
951年1月2日
高祖
陵墓 潁陵
年号 乾祐 : 948年 - 950年

劉 承祐(りゅう しょうゆう)は、五代後漢の第2代皇帝諡号隠帝(いんてい)。

生涯

劉知遠(高祖)の次男(一説には甥とも)として鄴都に生まれる。

はじめ周王に封じられたが、高祖の崩御とともに即位した。しかし若年であったため、枢密使の楊邠や副枢密使の郭威の権勢を抑えることができなかった。郭威の家族は殺せるだけ殺している。

当時、実力者であった蘇逢吉と楊邠の間に権力抗争があり、内紛がおさまらなかった。この混乱に際し、河中李守貞長安趙思綰鳳翔王景崇が相次いで叛乱を起こした。

加えて害や水害が深刻な後漢は大いに乱れたとされる。乾祐3年(950年)、郭威が兵を起こして南下すると、乱兵の中で殺害された。享年21。これにより後漢は事実上滅亡した。

先代
高祖
五代後漢の第2代皇帝
948年 - 950年
次代
劉贇