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カシリク(タタール語:Qaşlıq)、イスケル(İskär)またはシビル(Sibir)は中世(14~16世紀)シベリア・タタール人の都市で、イルティシ川右岸、現トボリスクから19km南東に位置した。
歴史
15世紀末よりシビル・ハン国の首都となった。16世紀半ばに最盛期を迎え、1582年にコサックのアタマン(指導者)イェルマークの軍勢によって滅ぼされた。廃墟と化した都はタタール人により1584年に再建されたものの1586年には永久に失われた。1587年にその付近にトボリスクの街が建設された。カシリクの遺跡は今日ではロシア人から「クチュム(英語版)の要塞」と呼ばれている。