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佐倉丸 (2代)

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佐倉丸(さくらまる)は日本郵船の貨物船[1]S型貨物船の一隻[2]

船歴

三菱重工業長崎造船所で建造され、1939年8月5日起工、同年12月13日に進水し、1940年3月30日に竣工した[3]

竣工後、「佐倉丸」は東航世界一周航路に就航した[4]

1941年1月21日に陸軍に徴傭され、6月5日にいったん解傭されたが、7月12日に再度徴傭された[5]。「佐倉丸」は防空基幹船に指定され、高射砲6門、高射機関砲8門が搭載された[6]

「佐倉丸」は開戦劈頭、コタバルへの上陸作戦に参加する。船団は12月4日に三亜より出撃し、7日に目的地ごとに分かれた[7]。「佐倉丸」は「綾戸山丸」、「淡路山丸」とともにコタバルへ向かった[6]。3隻は佗美支隊、約5500名を乗せていた[8]。輸送船3隻は7日23時55分にコタバル沖に投錨し、上陸が開始されたが、8日3時半ごろから空襲が始まる[9]。輸送船は3隻とも被弾、「佐倉丸」には爆弾2発が命中し、3名が戦死した[10]。「淡路山丸」は炎上し航行不能となった[10]。6時30分、「佐倉丸」と「綾戸山丸」は避退を開始した[10]。翌日、船団はコタバルに戻って揚陸を再開し、同日中に完了した[11]

「佐倉丸」は広東省虎門で応急修理を行い、宇品に戻った後、大阪鉄工所桜島工場で修理を受けた[12]

それからジャワ攻略作戦に参加する[12]。攻略船団は2月18日にカムラン湾より出撃[13]。「佐倉丸」などは2月28日22時30分にバンタム湾に着き、3月1日0時までに泊地進入を終えて揚陸を開始したが、そのころバタビヤ沖海戦が生起し、船団に被害が発生した[14]。1時38分、「佐倉丸」の四番艙左舷に魚雷が命中[15]。さらに機関室左舷後部にも被雷し、「佐倉丸」は2時30分に横転して沈没した[15]。この時、「佐倉丸」の他に第二号掃海艇、「神州丸」、「蓬萊丸」、「龍野丸」も被雷している[16]。この被害は海戦中に巡洋艦「最上」が発射した魚雷によるものと考えられる[17]

要目

脚注

  1. ^ 山田早苗「日本商船隊の懐古No.136」18ページ。『日本郵船戦時船史 上』36ページ
  2. ^ 『七十年史』261-262ページ
  3. ^ 『創業百年の長崎造船所』559ページ
  4. ^ 『七十年史』261ページ
  5. ^ 『日本郵船戦時船史 上』40ページ
  6. ^ a b 『日本郵船戦時船史 上』37ページ
  7. ^ 『比島・マレー方面海軍進攻作戦』380、393ページ。『日本郵船戦時船史 上』37ページ
  8. ^ 『比島・マレー方面海軍進攻作戦』395-396ページ
  9. ^ 『比島・マレー方面海軍進攻作戦』398-399ページ
  10. ^ a b c 『比島・マレー方面海軍進攻作戦』399ページ
  11. ^ 『比島・マレー方面海軍進攻作戦』411-413ページ。『日本郵船戦時船史 上』38ページ
  12. ^ a b 『日本郵船戦時船史 上』38ページ
  13. ^ 『蘭印攻略作戦』455ページ。『日本郵船戦時船史 上』38ページ
  14. ^ 『蘭印攻略作戦』489ページ。『日本郵船戦時船史 上』38-39ページ
  15. ^ a b 『日本郵船戦時船史 上』39ページ
  16. ^ 『蘭印攻略作戦』490ページ。『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』489-490ページ
  17. ^ 『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』486、490ページ
  18. ^ a b c d e f g h i j k l 山田早苗「日本商船隊の懐古No.136」18ページ
  19. ^ 『創業百年の長崎造船所』558ページ
  20. ^ a b 括弧内は、竣工後に減屯甲板口が閉鎖された後のトン数
  21. ^ a b 『七十年史』262ページ

参考文献

  • 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『蘭印攻略作戦』戦史叢書3、朝雲新聞社、1967年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『比島・マレー方面海軍進攻作戦』戦史叢書24、朝雲新聞社、1969年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』戦史叢書26、朝雲新聞社、1969年
  • 山田早苗「日本商船隊の懐古No.136」船の科学 第43巻第11号(No.505)、18-19ページ
  • 『日本郵船戦時船史 太平洋戦争下の社船挽歌 上』日本郵船、1971年
  • 『創業百年の長崎造船所』三菱造船、1957年