夕顔 (船)
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夕顔(ゆうがお)は土佐藩の蒸気船[1]。 船中八策の話で登場する船である[2]。
元はスコットランドのグーレー兄弟社で1863年に建造されたジョージ・ダンカン社の船「シューエイ・リーン(朱林、Shooey Leen)」である[1]。慶応3年2月に土佐藩がオールト商会を介して洋銀15万5000ドルで購入した[2]。
「夕顔」は鉄製のスクリュー船で、659トン、長さ65.8m、幅8.4m、主機単式汽機、出力155馬力、帆装3檣バーケンティンであった[2]。 「夕顔」はボイラーの状態が悪かったようで、慶応3年に乗船したアーネスト・サトウは、2ノットしか出せないと書いている[2]。
明治になると、「夕顔」は「紅葉賀」、「鶴」とともに岩崎弥太郎の土佐開成商社、次いで九十九商会によって東京・大坂・高知間で運行された[3]。廃藩置県後に「夕顔」と「鶴」は岩崎弥太郎に4万両で譲渡された[4]。その後、九十九商会は三川商会、三菱商会、三菱汽船会社と改称されていく[3]。「夕顔」は「太平丸」と改名され、西南戦争にも参加した[2]。
1878年に庫船となり、1881年に難破した[5]。
脚注
参考文献
- 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』世界の艦船・別冊、海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
- 平尾道雄『高知藩財政史 増補新版』高知市立市民図書館、1965年
- 山田廸生「名船発掘<汽船> 夕顔」
- 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年