市田村 (埼玉県)
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いちだむら 市田村 | |
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廃止日 | 1955年(昭和30年)1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 市田村、吉見村→大里村 |
現在の自治体 | 熊谷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 大里郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,763人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 |
熊谷市、東松山市、 大里郡吉見村、吉岡村 |
市田村役場 | |
所在地 | 埼玉県大里郡市田村大字中曽根[1] |
座標 | 北緯36度06分09秒 東経139度24分33秒 / 北緯36.10244度 東経139.40903度座標: 北緯36度06分09秒 東経139度24分33秒 / 北緯36.10244度 東経139.40903度 |
ウィキプロジェクト |
市田村(いちだむら)は、埼玉県大里郡にあった村。現在の熊谷市南部にあたる。
村名は平安期の郷名である市田郷(いちだのごう)に因む[1]。1955年に吉見村と合併して大里村となり消滅した。
地理
- 河川 - 荒川
隣接していた自治体
(括弧内は現在の自治体)
歴史
- 1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。ほか村域では下妻県・古河県・前橋県に属した村もあり。
- 1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
- 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大里郡中曽根村・小泉村・屈戸村・沼黒村・手島村・上恩田村・中恩田村・下恩田村・吉所敷村・高本村・津田新田が合併し、市田村となる[1]。旧村は市田村の大字となる。
- 1938年(昭和13年)9月1日-台風による荒川の氾濫で大規模な水害が発生、堤防を突破って市田村の地域へ多大な被害を与えた。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 吉見村と合併し、大里村となる[2][3]。大字は大里村に継承された[1]。
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。