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池田政良

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池田政良
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦9年(1759年
死没 安永3年5月19日1774年6月27日
改名 豊之助(幼名)、政良
備中生坂藩世嗣
氏族 池田氏(輝録流)
父母 (実際)父:池田政員
(公式)父:池田政弼、母:高崎氏
兄弟 政良、秀次郎、(公式)政峰政房政恭
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池田 政良(いけだ まさよし)は、江戸時代中期の備中国生坂藩の世嗣。

略歴

幕府の公式記録では4代藩主・池田政弼の長男、母は高崎氏とされているが、池田氏系譜によれば3代藩主池田政員の長男である[1]。幼名は豊之助。

実父の死去時には幼少であり、叔父・政弼の藩主就任に伴い、弟の秀次郎と共に政弼の子として届出がなされた。安永元年(1772年)に政弼の世嗣となったが、家督を相続することなく安永3年(1774年)に16歳で死去した。

代わって、翌安永4年(1775年)に生まれた政弼の実子(公式には政良の四弟)・政房が嫡子となった。

脚注

  1. ^ 大森映子『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)p.59-63