妻木頼利
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妻木 頼利(つまき よりとし、1585年(天正13年)- 1653年11月20日(承応2年10月1日))は、江戸時代前期7500石の交代寄合。美濃国土岐郡妻木陣屋主(妻木氏第十四代目)。
妻木頼忠の子。通称、主水、権左衛門、安休。子に頼次、頼長、幸広、頼帯、女子二人(内一人が家臣塚本氏の養女となる)がいる。戒名・實照院殿即心安休居士。江戸屋敷は現・東京慈恵会医科大学の敷地内。
生涯
慶長5年(1600年)、16歳の時人質となって江戸に行き、翌年4月に妻木に帰る。
承応元年(1652年)には頼利の子の妻木頼次が家督を継いだ。この時、兄弟不和により妻木騒動が起きて、弟の妻木幸広に、土岐郡大富村500石を分知し7,000石となった。
承応2年10月1日(1653年11月20日)江戸で病死し、江戸の正覚院に葬られた。また菩提寺の崇禅寺にも墓碑が建立された。