知訥
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知訥 | |
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1158年 - 1210年 | |
名 | 俗姓 - 鄭氏 |
法名 | 知訥 |
号 | 牧牛子 |
諡号 | 仏日 |
尊称 | 仏日普照国師 |
生地 | 洞州(現在の瑞興郡) |
宗旨 | 禅宗 |
宗派 | 曹渓宗 |
寺院 | 松広寺 |
師 | 宗暉禅師 |
弟子 |
真覚国師 慧諶 正宣 守愚 忠湛 |
著作 | 『勧修定慧結社文』『牧牛子修心訣』『真心直説』ほか |
知訥(ジヌル、1158年 - 1210年)は、高麗中期の僧。俗姓は鄭。韓国仏教界で現在最大勢力を誇る曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の宗祖である。
生涯
1158年に洞州(現在の瑞興郡)で生まれる。8歳で禅宗の門に入り、1173年、16歳の時に出家した。戒律は九山禅門の一つである闍崛山系の宗暉禅師から受けた。1182年、25歳の時、科挙の僧科に合格した。1188年、居祖寺で定慧結社を組織し、『勧修定慧結社文』を発表する。1200年、松広山の吉祥寺(現在の松広寺)に行き、頓悟漸修と定慧双修を基にした三門修行を広めた。三門修行とは、惺寂等持門・圓頓信解門・看話径截門の三門で、禅と教とを合わせた禅教一致の修行。
高麗王の熙宗は、即位するとすぐに、松嶽山を曹渓山に、吉祥寺を修禅寺に変え、その名を刻んだ扁額を与えた。
1210年に遷化。法堂にて僧徒に説法を行っている最中に亡くなったと伝えられる。死後国師の官位が与えられた。
著書
- 『勧修定慧結社文』1巻
- 『牧牛子修心訣』1巻
- 『真心直説』1巻
- 『誡初心学人文』1巻
- 『華厳論節要』3巻
- 『法集別行録節要并入私記』1巻
- 『圓頓成仏論』1巻
- 『看話決疑論』1巻
- 『念仏要門』1巻
- 『六祖壇経跋文』1巻
- 『上堂録』1巻
関係論文
参考文献
- 金素天「韓国史のなかの100人」明石書店 2002年