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池田足継

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池田 足継(いけだ の たりつぐ、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣官位は従五位下・左少弁

出自

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池田氏は豊城入彦命の十世孫である佐太公の後裔で、上毛野氏と同祖とされる皇別氏族[1]で、天武天皇13年(684年八色の姓の制定により朝臣改姓した[2]

経歴

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年月不詳の平城宮出土木簡中務少丞を務めていた記録がある[3]

孝謙朝末の天平勝宝9歳(757年従五位下左衛士佐に叙任される。淳仁朝では、天平宝字3年(759年下総介、天平宝字5年(761年豊後守と地方官を歴任。天平宝字7年(763年左少弁に任じられて京官に復している。

天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱における動勢は不明。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 新撰姓氏録』左京皇別
  2. ^ 『日本書紀』天武天皇13年11月1日条
  3. ^ 『平城宮木簡』1-143号

参考文献

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