徳田村 (石川県)
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とくだむら 徳田村 | |
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廃止日 | 1939年7月20日 |
廃止理由 |
新設合併 七尾町、東湊村、矢田郷村、徳田村、西湊村、石崎村、和倉町(一部) → 七尾市 |
現在の自治体 | 七尾市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 鹿島郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 25.7 km2. |
総人口 |
4,600人 (徳田村発足時) |
隣接自治体 | 西湊村、矢田郷村、南大呑村、越路村、鳥屋村、高階村 |
徳田村役場 | |
所在地 | 石川県鹿島郡徳田村 |
座標 | 北緯37度00分44秒 東経136度56分56秒 / 北緯37.01231度 東経136.94889度座標: 北緯37度00分44秒 東経136度56分56秒 / 北緯37.01231度 東経136.94889度 |
ウィキプロジェクト |
1889年(明治22年)町村制施行により発足。村名は、江戸時代には八幡村と下村が天領、その他の村が加賀藩の領地であったことから、徳川将軍家の徳、前田家の田をそれぞれ一字ずつ取って合わせ、名付けられた[1]。
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により国分村、千野村、細口村、八幡村、下村、白馬村、国下村、八田村、中挟村、飯川村、江曽村、若林村、多根村が合併して成立。
- 同年、初代村長に山口精吉が就任。
- 同年、第1回徳田村会開催
- 1890年(明治23年)山口村長辞職
- 1939(昭和14年)近隣村長の連盟が当時の内務大臣あてに市制施行上申書を送り、同年7月20日近隣の村が合併し七尾市となる。よって徳田村は50年の歴史に幕を閉じる。
歴代村長
- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 山口精吉 | 明治22年(1889年)5月 | 明治23年(1890年)4月 | 初代村長 |
2 | 平野鎌太郎 | 明治23年(1890年)4月 | 明治25年(1892年)12月 | |
3 | 神野浅右衛門 | 明治25年(1892年)12月 | 明治30年(1897年)1月 | |
4 | 水口平内 | 明治30年(1897年)1月 | 明治31年(1898年)1月 | |
5 | 堀岡嘉助 | 明治31年(1898年)1月 | 明治39年(1907年)5月 | |
6 | 神野浅右衛門 | 明治39年(1907年)5月 | 明治43年(1910年)6月 | |
7 | 守田与右衛門 | 明治43年(1907年)6月 | 大正3年(1915年)7月 | |
8 | 堀岡万吉 | 大正3年(1915年)7月 | 大正5年(1916年)2月 | |
9 | 神野浅右衛門 | 大正5年(1916年)2月 | 大正6年(1917年)10月 | |
10 | 土田清七 | 大正6年(1917年)10月 | 大正10年(1921年)11月 | |
11 | 坂井助松 | 大正10年(1921年)11月 | 大正14年(1925年)12月 | |
12 | 堀平松 | 大正14年(1925年)12月 | 昭和4年(1930年)12月 | |
13 | 佐竹弥八郎 | 昭和4年(1930年)12月 | 昭和8年(1934年)12月 | |
14 | 水口松一 | 昭和8年(1934年)12月 | 昭和14年(1939年)4月 | 後に七尾市議会初代副議長[2][3] |