矢野梅庵
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矢野 梅庵(やの ばいあん、文化11年(1814年) - 明治29年(1896年)6月15日[1])は、江戸時代末期(幕末期)の武士、福岡藩家老。諱は幸賢(ゆきやす)。通称は相模。号は梅庵。
生涯
文化11年(1814年)に生まれる。藩校修猷館に学ぶ[2]。
長崎警護を勤めた後、家老の列に加えられる。その後、藩政改革を主導するも佐幕派により家老職を退く。
元治元年(1864年)、再び家老職に就く。翌慶応元年(1865年)の乙丑の獄では死罪を免れるも、再び家老職を退けられる。
明治維新後、福岡県大参事となり、県政に努める。明治29年(1896年)に83歳で死去する。
脚注
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 江島茂逸「従五位矢野梅庵翁来歴」 明治28年 3頁