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ラリト・ラジェシュワリー・ラージャ・ラクシュミー・デビー

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ラリト・ラジェシュワリー・ラージャ・ラクシュミー・デビー
Lalit Rajeshwari Rajya Lakshmi Devi
ネパール王太子妃

出生 1854年
ネパール王国 カトマンズタパタリ宮殿
死去 1917年
ネパール王国 カトマンズパシュパティナート
配偶者 トライローキャ・ビクラム・シャハ
子女 プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ
父親 ジャンガ・バハドゥル・ラナ
宗教 ヒンドゥー教
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ラリト・ラジェシュワリー・ラージャ・ラクシュミー・デビー(Lalit Rajeshwari Rajya Lakshmi Devi, 1854年 - 1917年)は、ネパール王国の王太子トライローキャ・ビクラム・シャハの妃。プリトビ・ビール・ビクラム・シャハの母親でもある。

生涯

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1854年 、ラリト・ラジェシュワリーはジャンガ・バハドゥル・ラナの娘として、カトマンズタパタリ宮殿で誕生した[1]

1860年6月10日、王国の首相で全権を握っていた父により、スレンドラ王の息子トライローキャ・ビクラム・シャハとタパタリ宮殿で結婚させられた[1]

1881年5月17日から1893年8月8日まで、幼王である息子プリトビ・ビール・ビクラム・シャハの摂政を務めた[1]

1917年、ラリト・ラジェシュワリーはカトマンズのパシュパティナートで死亡した[1]

出典・脚注

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  1. ^ a b c d Nepal 8

関連項目

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