コンテンツにスキップ

門脇孝一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Zinzaemon (会話 | 投稿記録) による 2022年2月5日 (土) 12:32個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (カテゴリ加筆)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

門脇 孝一(かどわき こういち、1879年明治12年)4月[1][2] - 没年不明)は、日本実業家政治家

人物

鳥取県人・門脇休三郎の長男[1][2]、あるいは三男[3][4]1900年家督を相続する[1][2][3][4]1910年米子町会議員に当選する[5]。銀行会社の重役である[1][2]

日本産業貯蓄銀行代表取締役[1][2]、同専務取締役[6]伯陽電鉄代表取締役[3][4]山陰日々新聞社代表取締役[1]、同副社長[2]、山陽銀行、米子電気軌道六甲越有馬鉄道取締役、博愛病院監査役などをつとめる[1]。住所は鳥取県西伯郡手間村[1][3][4]、米子市立町[2][6]

家族・親族

門脇家
親戚
  • 妹とくの夫・森啓蔵(日本産業貯蓄銀行監査役[6]、洞海汽船社長)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第9版』カ85頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第8版』カ93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月14日閲覧。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第13版 上』カ98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月16日閲覧。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』カ100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月16日閲覧。
  5. ^ 『米子自治史』37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月5日閲覧。
  6. ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 第38回』上編364頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月14日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第38回』商業興信所、1930年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 米子市編『米子自治史』米子市、1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。