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土井利順

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土井利順
時代 江戸時代後期
生誕 不明
死没 安政2年5月2日1855年6月15日
改名 戸田庸猷(初名)、庸達、土井利順
別名 義三郎、寛之進[1]
戒名 大善院超譽道念[1]
官位 従五位下主膳正
美濃大垣藩下総古河藩世嗣
氏族 戸田氏土井氏
父母 戸田氏庸
土井利位
兄弟 宝子、戸田氏正利順堀田正義
北条氏久、通之助、青山幸哉室、
戸田庸貞戸田氏有室、大高喬度室、
大高喬度継室、戸田氏寿室、戸田氏永
定之助、芳之助、戸田氏範室、
土井利忠継室
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土井 利順(どい としゆき)は、江戸時代後期の下総国古河藩の世嗣。官位従五位下・主膳正。

略歴

美濃国大垣藩主・戸田氏庸の次男として誕生。初名は庸猷(つねみち)、後に庸達(つねみち)。

文政11年(1828年)10月28日、古河藩主・土井利位の養子となる。文政12年(1829年)11月5日、11代将軍・徳川家斉御目見する。同年12月16日、従五位下主膳正に叙任する。天保9年(1838年11月7日、病気のために廃嫡されて家督相続には至らなかった。その後、実家の戸田家に戻った。

なお、養父・利位の跡は次いで養子となった利亨が継いだ。

脚注

  1. ^ a b 大垣市史 上巻』p.533