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安倍氏主

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安倍氏主
時代 平安時代初期
生誕 延暦13年(794年
死没 天安2年6月15日858年7月28日
官位 従五位下三河守
主君 淳和天皇仁明天皇文徳天皇
氏族 安倍氏
父母 父:安倍友上
三寅肱主、藤原公利室
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安倍 氏主(あべ の うじぬし)は、平安時代初期の貴族正六位上・安倍友上の子。官位従五位下三河守

経歴

淳和朝では皇太子・正良親王(のち仁明天皇)の春宮帯刀舎人を務める。

承和11年(844年)従五位下に叙爵し、翌承和12年(845年遠江守に任ぜられるが、のちに官使に罪を問われて解任される。三河守を務めていた嘉祥2年(849年)には、仁明天皇が40歳になったのを祝賀するために、白馬40匹・牛40頭・支子40斛を朝廷に献上している[1]文徳朝仁寿3年(853年)再び三河守に任ぜられ、任期満了後の天安元年(857年)三河守に三度再任されるなど、専ら東海地方の地方官を歴任した。

天安2年(858年)6月15日卒去。享年65。最終官位は三河守従五位下。

人物

若い頃から仁義を重んじる性格で博徒と交流を持った。騎射に非常に優れ、身軽で敏捷な様子はまるで飛ぶが如くであった。夜に盗賊を追捕し胸を負傷して戻っても、翌日には再び山々で盗賊の捜索を行ったという[2]

官歴

六国史』による。

系譜

脚注

  1. ^ 続日本後紀』嘉祥2年8月11日条
  2. ^ a b 日本文徳天皇実録』天安2年6月15日条
  3. ^ a b 『華族類別譜』阿部家
  4. ^ 『尊卑分脈』

参考文献