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ドクズ・ハトゥン

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フレグ・ハンとドクズ・ハトゥン

ドクズ・ハトゥン (1265年死亡) は、モンゴルイルハン朝の開祖、フレグ・ハンと結婚したケレイト族出身の13世紀の王女[1]。彼女らの息子、アバカ・ハンはフレグの死と共にイルハン朝を継承した。

彼女がフレグの軍事作戦に同行することはよく知られていた。1258年バグダードの戦いでは、モンゴル軍は何万人もの住民に対して大虐殺を行ったが、ドクズ・ハトゥンの影響もあり、キリスト教徒は助命された[1]

ドクズ・ハトゥンは東方教会のキリスト教徒で、しばしばキリスト信仰の偉大な後援者として言及されている。モンゴルの使節がヨーロッパに派遣された際、ドクズとソルコクタニ・ベキのようなモンゴルの王女が伝説的なプレスター・ジョンの娘であると主張するなど、ドクズのキリスト教信仰を外交に友好的に利用しようとした[2]

彼女は、1265年、彼女の夫フレグ同じ年に亡くなった。

ペシタ訳聖書に描かれたフレグとドクズ・ハトゥン

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b Runciman, Steven (1987). A History of the Crusades. Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-34770-9. https://books.google.com/books?id=uDj9sNezWzEC 
  2. ^ Jackson, Peter (2014). The Mongols and the West: 1221-1410. Taylor & Francis. ISBN 978-1-317-87898-8. https://books.google.com/books?id=kMCCBAAAQBAJ