白川勝文
表示
白川 勝文(しらかわ かつふみ、1838年(天保9年) - 没年不明)は、明治期に活躍した造営師。芝能楽堂を1903年(明治36年)に靖国神社に奉納した[1]。
略歴
[編集]その後匠師、内匠寮技師として留まり、麻布御用邸、沼津御用邸などの工事を担当した[4]明治26年に内匠寮は退官。明治31年から(明治37年)まで東宮御所御造営局御用掛として出仕した。[5]。
参考文献
[編集]- 『官報 1904年03月09日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 遠藤明久、「森山武光と中村一正 : 開拓使物産売捌所の研究・第5報」 『日本建築学会論文報告集』 1964年 104巻 p.38-42, doi:10.3130/aijsaxx.104.0_38
- Japanische Larven und Masken (PDF)
- [宮内省:權大録][職員録・(明治七年六月・宮内省職員一覧表改]
- 小野木重勝、「遠藤明久博士のご質疑に対する回答」 『日本建築学会論文報告集』 1972年 201巻 p.93-94, doi:10.3130/aijsaxx.201.0_93
- 小野木重勝、「宮内省庁舎計画とコンドル : コンドルの謁見所計画・V」 『日本建築学会論文報告集』 1970年 174巻 p.59-65,75, doi:10.3130/aijsaxx.174.0_59
脚注
[編集]- ^ 能楽堂・舞台 (PDF) 梅若実日記 4: (明治16年~明治23年 著者: 梅若実日記刊行会
- ^ 明治初期における能楽堂誕生の経緯 : 青山御所能舞台,能楽社の建設を通して 奥冨 利幸 日本建築学会計画系論文集 68(565),2003
- ^ 9191 能楽社の建設について : 日本で最初の能楽堂建設経緯に関する考察 奥冨 利幸 学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠 1999年7月
- ^ 東京都立中央図書館木子文庫所収の明治宮設計図書に関する研究 藤岡 洋保 , 斉藤 雅子 , 稲葉 信子 日本建築学会環境系論文集 431(0),1992
- ^ 「皇居御造營」の頃 中村 達太郎 建築雑誌 49(601),1935年7月