電信第28連隊

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電信第28連隊(でんしんだい28れんたい)は、1944年昭和19年)3月に編成された、大日本帝国陸軍電信連隊である。

沿革[編集]

  • 1944年(昭和19年)2月16日 - 陸軍中佐矢部長武(東京陸軍少年通信兵学校生徒隊長、陸士32期工兵科)が電信第28連隊長に、陸軍大尉伊藤正夫(電信第4連隊中隊長、陸士53期工兵科)が電信第28連隊無線隊長に補される。 
  • 3月6日 - 軍令陸甲第12号により編成下令、編成業務着手。
  • 3月13日 - 神奈川県相模原町電信第1連隊補充隊にて編成完結(本部材料廠、有線6箇中隊、無線隊)。 連隊長以下2,029名(将校54名、准士官5名、下士官154名、兵1,816名)。
  • 3月19日 - 相模原町出発。
  • 3月22日 - 門司出帆(輸送指揮官 伊藤正夫大尉)。
  • 3月23日 - 釜山上陸。
  • 3月25日 - 鮮満国境(安東)通過。
  • 3月27日 - 満支国境(山海関)通過、支那派遣軍総司令官の隷下に入る。
  • 4月11日 - 第11軍司令官の指揮下に入る。
  • 4月18日 - 漢口に到着。
  • 5月 1日~25日 - 作戦通信に任ず。
  • 5月10日 - 武漢防衛軍司令官の指揮下に入る。
  • 5月28日~20年2月28日 - 湘桂作戦通信に任ず。
  • 7月 1日 - 陸軍少尉 小山貞治(陸士57期)が 電信第28連隊附に補される。
  • 7月24日 - 第34軍司令官の隷下に入る。
  • 9月16日 - 第6方面軍司令官の隷下に入る。
  • 12月16日 - 現役兵(昭19徴)583名現地入営。
  • 昭和20年1月27日 - 416名は漢口連隊本部に現地入営のため輸送中、揚子江上(湖口付近)にて触雷により沈没。生存者は167名。
  • 2月26日~8月14日 - 武漢防衛作戦通信に任ず。
  • 3月16日 - 電信第28連隊附伊藤正夫大尉、補防衛総司令部附。
  • 4月16日~4月28日 - 襄西地区作戦通信に任ず。
  • 昭和21年3月24日 - 第5中隊(月隊)長酒井大尉以下286名復員帰還のため揚子江出帆。
  • 4月22日 - 第1中隊(松隊)長石田大尉以下210名復員帰還のため漢口出帆。
  • 5月15日 - 第3中隊(梅隊)長高橋大尉以下190名、第6中隊(花隊)長河口大尉以下186名、材料廠(地隊)長大久保大尉以下83名復員帰還のため漢口出帆。
  • 5月16日 - 第2中隊(竹隊)長肥田大尉以下197名復員帰還のため漢口出帆。
  • 5月17日 - 第4中隊(雪隊)長福住大尉以下197名復員帰還のため九江出帆。
  • 5月25日 - 連隊本部坂部大尉以下205名、無線隊(波隊)長辰巳大尉以外の237名復員帰還のため漢口出帆(連隊長、無線隊長は中国側要求により残留)。
  • 6月16日 - 上海出帆。
  • 6月27日 - 内地上陸。
  • 6月29日 - 復員式挙行解散。

歴代連隊長[編集]

  • 連隊長 矢部長武 中佐(陸士32期)

参考文献[編集]

  • 防衛庁防衛研究所戦史部著:戦史叢書『一号作戦<2>湖南の会戦』朝雲新聞社:1983年
  • 元陸軍中尉野元巳郎著:『大陸通信戦記』図書出版社:1985年
  • 元陸軍大尉久保村正治著:『第11軍通信隊』図書出版社:1987年
  • 元陸軍兵長中沢禎三郎著:『奇蹟の地平線』丸(第444号、1983年7月)
  • 防衛研究所「陸軍異動通報」
  • 国立公文書館 アジア歴史資料センター「電信第28連隊略歴」
  • 電信第28連隊編:『電信第28連隊第6中隊名簿』:1945年
  • 電信第28連隊編:『電信第28連隊富山県人名簿』:1945年12月