阿含密教

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阿含密教(あごんみっきょう)とは、阿含宗における密教をいう[1][2]

阿含密教は桐山靖雄によって1978年(昭和53年)4月8日に立宗された阿含宗の密教である。阿含宗の開祖、桐山靖雄は『阿含密教いま』などの著作によって、阿含宗を開宗するに至った経緯などを記述している。日本には真言宗の東密、天台宗の台密がある。この二つに加えて阿含宗の阿含密教が昭和の時代に出現したことになる。

教義[編集]

阿含宗のホームページには下記の様に書かれている。

真正仏舎利を本尊とし、釈尊直説の成仏法を修行する。


参考[編集]

【真正仏舎利について】

阿含宗において祀られているスリランカから送られた仏舎利は真正仏舎利であると、阿含宗は主張している。しかし真正仏舎利とは歴史上の仏教の開祖、お釈迦様の遺骨のことであり、阿含宗の仏舎利はこれにあたらない。日本の各地において仏舎利と称されているものが祀られている。これらのほとんどは仏舎利に代わる尊いものを仏舎利として祀っている。阿含宗の仏舎利も仏舎利の代わりとなるものを仏舎利として祀っているのであって、阿含宗において祀られている仏舎利は真正仏舎利ではない。

阿含宗の開祖、桐山靖雄は自身の著作『守護霊の系譜-こうして守護霊を持て』、253ページにおいて、スリランカから阿含宗へ贈られた仏舎利は1881年、インド・ビハール州ブッダガヤーの金剛法座の下から発掘されたものであると記述している。これが本当ならばセイロンから阿含宗へ贈られた仏舎利は真正仏舎利ではないということになる。真正仏舎利ではなくただの仏舎利である。

1881年に行われた金剛法座の下の発掘調査に関しては、発掘にあたったCUNNINGHAM(カニンガム)によって報告書(『Mahabodhi or the Great Buddhist Temple』

が書かれている。)

『Mahabodhi or the Great Buddhist Temple』:https://archive.org/details/cu31924008747788/page/n6/mode/2up

この報告書の24ページに金剛法座の下から出てきたものの詳細が記述されている。でてきたものは下記のものである。

37個のクリスタル

7個のビーズ

19個のビーズ

30個のガラスビーズ

3個の赤いジェスパービーズ

4個のガーネット

1個の磨きのかかった大きな黒いビーズ

1個の変色した小さな真珠(パール)

1個の小さな金塊

13個の真珠貝のかけら

2個の青玉

1個のアメジスト

 遺骨は出てこなかった。阿含宗にあるセイロンから贈られた仏舎利が桐山靖雄氏の主張する金剛法座の下から出てきたものであるとするなら、セイロンが阿含宗に贈った仏舎利とは真正仏舎利ではないということになる。

 発掘調査をしたCUNNINGHAM(カニンガム)による報告書『Mahabodhi or the Great Buddhist Temple』を最初から最後まで読んでも遺骨がでてきたという話は出てこない。1881年に行われた金剛法座の下の発掘調査では真正仏舎利どころか遺骨、あるいはそれに類するものの出土はなかったのである。


【創作経典について】

 阿含宗開祖 桐山靖雄の著作、『君は誰の輪廻転生か』の394ページに下記のように記述されている。

『増一阿含経』「三供養品」に、「三福道あり。窮尽す可からずして、漸く涅槃界に至る。いかんが三となすや。いわゆる如来のみもとにおいて功徳を種う。この福窮尽すべからず。正法において功徳を種う。この副窮尽すべからず。聖衆において功徳を種う。この副窮尽すべからず。これを諸比丘、この三福道は窮尽すべからず。須陀洹より阿那含に至りて五下分結断ず。即ち涅槃界に至る福道なり」

と説いている。

阿含宗では上記の部分を尊い阿含経であるとして、信者に読誦させている。阿含宗における中心的教義の一つである。しかし『増一阿含経』「三供養品」に三福道という言葉は記述されていない。上記の三福道あり、から始まる文章自体が阿含経には存在しないのである。このことは文部科学省所掌の大蔵経データベース(http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-bdk-sat2.php)を使って検索すればすぐに分かることである。

 阿含宗を始めた桐山靖雄は大乗仏教経典を創作経典であるとし、大乗仏教を偽の仏教あると、非難しているが、桐山靖雄自身も経典を創作しているのである。

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【シャカの予言】

 桐山靖雄の著書に『輪廻する葦』がある。この著作の23ページに『おシャカさまの予言』という話が出ている。下記の内容である。

おシャカさまの予言


最も古い経典は、釈尊の予言として、つぎのようにつたえている。


これに反して文芸人によってつくられ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれるときに、かれらはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。

 かくのごとくして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典は消滅してしまうであろう。

 ビクらよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。‐「如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典が説かれるときに、われわれはよく聞くことにしよう。耳を傾け、了解しようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう」と(中村元『原始仏教の思想』下)


 歴史上のブッダ、お釈迦様が、ご自身の教えを破壊する、偽の仏教、大乗仏教が後世、出現するという事を予言するという話である。美しく書かれてはいるが、内容のない、外道由来の仏教、大乗仏教が出現する、それをお釈迦様は予言していた。そして、それが古い経典に記述されているというのである[3]

『輪廻する葦』の23ページには『おシャカさまの予言』は中村元の著作『原始仏教の思想(下)』に書かれていると、記述されている。ところが『おシャカさまの予言』は『原始仏教の思想』上下巻のどこにも記述がない。

 中村元の著作に似たタイトルの本がある。『原始仏教の思想Ⅰ』『原始仏教の思想Ⅱ』である。しかしこれらの著作のなかにも『おシャカさまの予言』という話は出てこない。


 ただし中村元の『原始仏教の成立』には似た話が出てくる。しかしこれもまた桐山靖雄の『引用による内容の改変』として使われているのである。

 似た話というのは中村元選集〔決定版〕第14巻 『原始仏教の成立』(1992年11月30日第一刷発行) 第4章 形成途上の教団 p.466 に記載されている、下記の文章である。

 予言のかたちで過去世または現在世の堕落をとくことはヒンドゥー教のプラーナ聖典と共通である。未世末法に相当するものとして、原始仏教では最後の時(pachimo kalo)なるものを考えていた。そうして堕落した世の中では、修行僧たる者は、行いをつつしめ、とプッサ長老は教えている。


『未来世にはもろもろの修行僧はじつに次のようになるであろう。如来の説かれたもろもろの経典は深遠で、意義深く、世間を超えたもので、空と相応しているものであるが、それらが宣説されるときに、かれらはよく聞かず、耳を傾けず、了解心を起こさず、それらの教えを受持すべくよく知るべきものとは考えないであろう。しかし詩人によってつくられ、詩的であり、文辞うるわしく、異教徒に由来し、弟子どもの説いたもろもろの経典が宣説されるときに、よく聞き、耳を傾け、了解の心を起こし、それらの教えを受持すべくよく知るべきものと考えるであろう。かくのごとくにして、如来の説かれた、深遠で、意義深く、世間を超えたもので、空と相応しているもろもろの経典が消失するにいたるであろう。』(SN.vol.Ⅱ,p.267)


 ここでは古い経典が散佚し、後世に経典が新たに偽造されるにいたった過程を、経典自身が明言しているのである。また時代の変化の影響を受けるにいたったことをもあわせて説いているわけである。腐敗・堕落の現象は、当時の一般宗教者を通じて認められることであった。

 上記の文章は未来世のことを言っているわけではないと『原始仏教の成立』には書かれている。過去世、あるいは現在世のことである。阿含経はアーガマとよばれる。アーガマが伝承を意味するため、お釈迦様の言動を正確に過去世から、一切の変更なしに、その内容を伝える、それがアーガマ、阿含経であると考える人がいる。しかしそれは違っていたということである。『原始仏教の成立』 『第4章 形成途上の教団』において、阿含経の中において阿含経が編集されていく様子に関する記述があること、そのことが報告されているのである。そしてこの内容は桐山靖雄が主張している、後に大乗仏教があらわれて原始仏教とは異なる教えを記述していくという話ではない。阿含経が編纂されて行く中で、難解な教えは失われ、耳触りの良い教えが、記述されて行くという話であり、それをプッサ長老が嘆いているという話である。仏教の開祖、お釈迦様が遠い未来世のことを予言しているわけではない。

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【『阿含密教いま』について】

 桐山靖雄は阿含宗立宗の意義を内外に知らせるために『阿含宗いま』を書いた。

『阿含密教いま』には、バタチャリア博士の書いた『インド密教学序説』が何度も引用されている。

 引用カ所として下記の三か所がある。

252~253ページ、 254ページ、 260~261ページ

 バタチャリア博士の書いた『インド密教学序説』という本は、初めから、終わりまで、歴史上のお釈迦様がお説きになった仏教よりも、大乗仏教、とりわけ密教の方が、お釈迦様の説かれた仏教より優れているという内容の著作である。ゆえに『インド密教学序説』は阿含宗にとって脅威となる本である。理由は下記の部分を読めばわかる。

『インド密教学序説』、41ページ。

『仏陀(ゴータマ・ブッダ)は、自らが創始し、また自らの説いた仏教の中で、自己の重要性を失ったのである』

 仏陀(ゴータマ・ブッダ)のといた仏教は大乗仏教と比べたら取るに足らない教えだということである。

 桐山靖雄は『インド密教学序説』の一部分を切り取ってきて、『インド密教学序説』の著者が意図していることとは別の意味として使ったのである。『引用による改変』であり、論文や本を書く世界ではやってはいけないことである。

『インド密教学序説』、35、36ページの部分を下記に転載する。

『小乗仏教は涅槃をえ、苦を逃れ、その結果として生と再生の反復を免れ、また、ついには全き我の消滅に達する。しかし、忘れてならぬことは、たとい涅槃をえることができたとしても、かれらは全き真理を証しえず、また、かの超絶的真理を覆えるヴェールを覗くこともできず、また他人に救いの知恵を与えることもできないのである。他方、大乗仏教は、自身の救いを顧みない。かれらは、自分自身の救いを想うよりは、同胞にして不断の苦悩の桎梏の中にある人々の救済をより一層切望したのである。かれらは小乗教徒と同じ意味にでは、生と再生との輪廻を恐れなかった。いや、もしそれがいささかでも同胞の精神的向上に資するならば、いかなる悩みも苦しみも、常にこれを受けようという覚悟をしていた。かれらは、悩める人類に対する慈愛からして、自身の功徳も、いな自分の救いさえ、捨てたのである。そこでこの無我的な犠牲の報酬として、かれらは超絶的真理を覆い隠しているヴェールを取り除き、一切智を得ることができるのである』

 桐山靖雄の著作『阿含密教いま』には大乗仏教が真理を証しえなかったために、長い変遷と転落の道をたどったという意味あいのことが『インド密教学序説』の言葉を添えて、延々と記述されている。しかし『インド密教学序説』によれば真理を証しえなかったのは小乗仏教のほうなのである。

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『アラディンの魔法のランプ』

 桐山管長様の著作『アラディンの魔法のランプ-仏舎利宝珠尊和讃』、167ページ(添付資料)に下記の様に書かれている。

『相当の名僧知識でもそのほとんどが、(三十七菩提分法の)存在さえ知らなかったようです。日本の僧侶でこの成仏法について述べられているのは、日本曹洞宗の祖・道元禅師と弘法大師空海くらいですね。』


上記が本当なのか『SAT大正新脩大藏經テキストデータベース』で『三十七菩提分法』を検索してみた。

https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/master30.php#


データベースの使い方については下記の動画を参照して下さい。

https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/tutorials.html

【検索結果】

『SAT大正新脩大藏經テキストデータベース』で『三十七菩提分法』を検索してみた。

『三十七菩提分法』という言葉は155巻のお経に記載されている。言葉としては221箇所に記述がある。

大日経、華厳経、大般若経など有名経典にドンドンでている。おそらく仏教を学んだ人で三十七菩提分法という言葉を聞いたことのない人はいないであろう。

なぜ桐山靖雄が下記の言葉を書いたのかは不明である。

『相当の名僧知識でもそのほとんどが、(三十七菩提分法の)存在さえ知らなかったようです。日本の僧侶でこの成仏法について述べられているのは、日本曹洞宗の祖・道元禅師と弘法大師空海くらいですね。』

脚注[編集]

  1. ^ 阿含宗(あごんしゅう)とは、桐山靖雄によって1978年(昭和53年)4月8日に立宗された仏教教団である。阿含宗の開祖、桐山靖雄は『阿含密教いま』などの著作によって、阿含宗を開宗するに至った経緯などを記述している。日本には真言宗の東密、天台宗の台密がある。この二つに加えて阿含宗の阿含密教が昭和の時代に出現したことになる。
  2. ^ 【著作について】  桐山靖雄には下記の著作がある。 『守護霊の系譜 -こうして守護霊を持て』 1986/11/20 『君は誰れの輪廻転生(うまれかわり)か』 1993/06/15 『輪廻する葦-阿含経講義』 1982/11/20 『阿含密教いま-阿含講話集1』 1978/12/20 『アラディンの魔法のランプ -仏舎利宝珠尊和讃』 1993/06/15 『幸福への原理』 1957/01/01(観音慈恵会発行) 『般若心経瞑想法』 1994/11/10 『一九九九年七の月が来る -運命の日の予言と予知』 1995/04/27 『オウム真理教と阿含宗』1995/7/1 『変身の原理-密教・その持つ秘密神通の力』 1971/04/30(文一出版) 『密教・超能力の秘密』 1972/07/05 『念力 -超能力を身につける九つの方法』 1973/04/25 『密教占星術 l -運命とはなにか』 1973/07/20 『密教―超能力のカリキュラム』1974/1/1 『説法六十心 l 』 1974/09/10 『チャンネルをまわせ -密教・そのアントロポロギー』 1975/06/25 『密教誕生』 1976/11/01 『正法の歩み』1977/3/1(観音慈恵会教学部編) 『密教入門 -求聞持聡明法の秘密』 1976/12/05(角川選書) 『人間改造の原理と方法 -原始仏教から密教まで』 1977/12/20 『密教占星術 ll -三元九星・掛けの秘伝』 1978/03/20 『密教占星術入門』 1979/12/15 『守護霊を持て-家運をよくする正しい先祖のまつり方』 1980/04/01 『続・守護霊を持て-家運をよくする不成仏霊供養のしかた』 1980/10/20 『龍神が翔ぶ-家運をよくする守護神・守護霊の持ちかた』 1981/02/25 『一九九九年カルマと霊障からの脱出』 1981/07/10 『霊障を解く-家運をよくする正しい先祖のまつり方 その②』1981/12/10 『現世成仏-わが人生・わが宗教』 1983/06/30 『間脳思考-霊的バイオ・ホロニクスの時代』 1984/01/10 『心のしおり』 1984/12/20 『超脳思考をめざせ-いま、ウル・ブレインの時代』 1985/01/31 『愛のために智恵を・智恵のために愛を』 1985/07/01 『師の一言-忘れえぬ愛と人生のことば』1986/4(共著、淀川長治他) 『末世成仏本尊経講義』 1986/05/20 『説法六十心 ll 』 1987/05/20 『守護仏の奇蹟』 1987/10/20 『炎の大霊言』 1987/12/15 『一九九九年地球壊滅』 1988/11/25 『求聞持聡明法秘伝 -究極の超能力開発システム』 1989/10/05 『仏陀(メシア)の法』 1991/04/25 『守護霊がもてる冥徳供養』 1991/10/09 『人は輪廻転生するか -仏陀の霊魂救済法』 1992/04/20 『阿含仏教・超能力の秘密』 1996/02/10 『脳と心の革命瞑想 -魔法のクンダリニー・真珠(パール)秘伝』 1996/06/25 『阿含仏教・超奇蹟の秘密 -奇蹟を起こす力』 1996/12/10 『社会科学(Sozial Wissenschaft)としての阿含仏教』 1997/12/20 『「止観」の源流としての阿含仏教-天台智者大師の二つの謎をめぐって』 1998/12/25 『一九九九年七の月(ノストラダムス)よさらば』 1999/05/06 『21世紀は智慧(ソピア)の時代 -ギリシア哲学の智慧と仏陀の智慧』 2000/01/25 『ニューヨークより世界に向けて発信す -世界の宗教の十字路に立って』 2001/01/25 『世界平和への祈り-阿含宗ニューヨーク護摩法要と講演2001』 2001/12/20(DVD本) 『実践般若心経瞑想法』 2002/01/25(DVD本) 『変身の原理-密教の神秘』 2002/12/20(改訂再版) 『幸福への原理』 2003/04/01(改訂再版) 『守護神を持て-みんなの幸せのために』 2005/04/25 『仏陀の真実の教えを説く-阿含経講義(上)』 2007/11/01 『あなたの人生をナビゲーション』 2011/02/10(監修) 『仏陀の真実の教えを説く-阿含経講義(中)』 2012/01/01 『輪廻転生瞑想法I』2012/04/15 『輪廻転生瞑想法II』2013/03/25 『輪廻転生瞑想法III』2014/02/10 『美しい人になる心のメッセージ』2016/2/1 『仏陀の真実の教えを説く-阿含経講義(下)』2018/11/7
  3. ^ 『ビクらよ。未来世にビクどもは次のようになるであろう。 如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応しているものであるが、それらが説かれるときに、かれらやよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを、受持すべく熟達すべきものであるとは考えないであろう。  これに反して文芸人によってつくられ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれるときに、かれらはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。  かくのごとくにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典は消滅してしまうであろう。  ビクらよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。「如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典が説かれるときに、われらはよく聞くことにしよう。耳を傾け、了解しようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう」と』(中村元『原始仏教の思想』下)