金原亭馬の助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

金原亭 馬の助(きんげんてい うまのすけ)は、落語家名跡。当代は金原亭では二代目にあたるが、金原野や蝶花楼などの他の亭号を使用した者や、「馬之助」を名乗った者を含めると過去十人確認されている。

初代[編集]

初代 金原亭きんげんてい うますけ
Kingentei Umanosuke the 1st
本名 伊藤 武
生年月日 1928年4月9日
没年月日 (1976-02-06) 1976年2月6日(47歳没)
出身地 日本の旗 日本東京都新宿区
死没地 日本の旗 日本東京都文京区
師匠 五代目古今亭志ん生
八代目桂文楽
弟子 金原亭馬太呂
金原亭駒三郎
名跡 1. 古今亭志ん駒
(1944年 - 1948年)
2. むかし家今松
(1948年 - 1955年)
3. 初代金原亭馬の助
(1955年 - 1976年)
出囃子 どうぞ叶えて
活動期間 1944年 - 1976年
所属 落語協会

初代金原亭 馬の助1928年4月9日 - 1976年2月6日)は、東京府(現:東京都)四谷区(現:新宿区四谷出身の落語家。本名∶伊藤 武出囃子∶『どうぞ叶えて』。芸人仲間の愛称は「うまさん」。

経歴[編集]

1944年11月に五代目古今亭志ん生に入門。志ん駒を名乗るが志ん生が満州に慰問に出た為臨時で八代目桂文楽門下に移籍。

1948年3月に二ツ目昇進、むかし家今松に改名。

1955年5月に真打昇進、初代金原亭馬の助を襲名。

1975年12月、山田五十鈴の『たぬき』の再演中に文京区日本医大へ入院。胃がんのため1976年2月6日10:04に死去。47歳没。

芸歴[編集]

人物[編集]

フジテレビお笑いタッグマッチ』の回答者役として出演していた時期もある。

鳴り物の名手でもあった。

姓は一時期小沼。最初の結婚で改姓し、夫人の病死後に伊藤に戻している。

得意演目[編集]

志ん生譲りの『六尺棒』『干物箱』『権助芝居』『徳ちゃん』『宮戸川』などのほか、一方で『六段目』『七段目』などの芝居噺も得意とした。

弟子[編集]

師匠馬の助の死後は十代目金原亭馬生門下に移籍

アマチュア弟子[編集]

2代目[編集]

二代目 金原亭きんげんてい うますけ
Kingentei Umanosuke the 2nd
本名 松本まつもと 直夫ただお
生年月日 (1945-12-19) 1945年12月19日(76歳)
出身地 日本の旗 日本茨城県稲敷郡美浦村
師匠 初代金原亭馬の助
十代目金原亭馬生
名跡 1. 金原亭小馬吉
(1965年 - 1971年)
2. 金原亭駒三郎
(1971年 - 1981年)
3. 二代目金原亭馬の助
(1981年 - )
出囃子 どうぞ叶えて
活動期間 1965年 -
所属 落語協会
公式サイト 金原亭馬の助 - 落語協会

二代目 金原亭 馬の助1945年12月19日 - )は、茨城県稲敷郡美浦村出身の落語家落語協会所属。本名∶松本 直夫。出囃子は『どうぞ叶えて』。

経歴[編集]

1965年6月、初代金原亭馬の助に入門し「小馬吉」で初高座。

1971年11月に二ツ目昇進、「駒三郎」に改名。1976年に師匠馬の助が死去、十代目金原亭馬生門下に移籍。

1981年3月に柳家さん喬五街道雲助三遊亭圓龍七代目むかし家今松三遊亭歌司橘家竹蔵と共に真打昇進し、二代目金原亭馬の助を襲名。 

芸歴[編集]

人物[編集]

寄席では百面相を演じることもある。

ビートきよしとは麻雀仲間であった。

三遊亭歌司三遊亭圓丈古今亭志ん駒柳家さん遊柳家小団治柳家さん八三遊亭圓龍むかし家今松古今亭志ん五橘家竹蔵柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している。

外部リンク[編集]

参考文献[編集]