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車伊洛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

車 伊洛(しゃ いらく、? - 454年)は、車師前部王。車夷落とも書かれる。

経歴

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代々焉耆の東境部落帥をつとめた家に生まれた。北魏太武帝と通交し、延和年間に平西将軍の位を受け、車師前部王に封ぜられた。沮渠無諱高昌で自立すると、車伊洛は無諱を攻撃した。無諱が死去し、その弟の沮渠安周が無諱の子の沮渠乾寿の兵を奪って自立すると、車伊洛は乾寿に北魏に降るよう勧めて、乾寿を平城に送った。また李宝の弟の李欽らを誘って、敦煌に送った。車伊洛は2000人あまりを率いて高昌を討ち、焉耆東関の7城を落とした。

451年、子の車歇に北魏に入朝させた。452年、自身も北魏に入朝し、上将軍の位を受けた。454年、死去した。鎮西大将軍・秦州刺史の位を追贈された。は康といった。

子女

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  • 車歇(襲爵、使持節・平西将軍・豫州刺史)
  • 車波利(立節将軍、楽官侯)

伝記資料

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  • 魏書』巻三十 列伝第十八
  • 北史』巻二十五 列伝第十三