詩人の死

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詩「詩人の死」のミハイル・レールモントフ手稿(モスクワ文学博物館)

詩人の死」(ロシア語: Смерть поэта)はロシア文豪アレクサンドル・プーシュキン決闘による死(1837年)に際して、彼をことのほか尊敬していた若きミハイル・レールモントフが書いた72行のの題名。最後の16行で当時ロシア帝国の上流階級を批判したもので、このため彼はカフカーズへ流刑された。

詩の背景[編集]

1837年月27日、プーシュキンは妻へ執拗に言い寄るジョルジュ・ダンテスを相手に決闘をして、その時の傷で2日後に亡くなった。これを聞いたミハイル・レールモントフは「詩人の死」と題する詩を書いて、当時のロシア皇帝の取り巻きの貴族階級の横暴の犠牲になったことを嘆いた。その後2月7日に、レールモントフはこの詩にさらに16行を追記して、貴族階級をさらに糾弾するように取れる内容を書いたので、彼はカフカースへ送られた。 [1]

詩と日本語訳[編集]

「詩人の死」の死は、20行、18行、18行、16行に分かれていて、全体で72行ある。この詩がいったん最初の56行で書かれた後、最後の16行が追加された。以下に出だしの4行と最後の16行の原詩を、日本語訳と共に記す。 [2] [3]

原詩(ロシア語 直訳(日本語GDFL

Погиб поэт! - невольник чести-
Пал, оклеветанный молвой,
С свинцом в груди и жаждой мести,
Поникнув гордой головой!..
...

詩人が死んだ! - 名誉の奴隷となって -
撃たれ、うわさの中傷により、
胸に鉛を、復讐のための渇きを持って、
誇らしげに頭を垂れて!
...

...

(中略)

А вы, надменные потомки
Известной подлостью прославленных отцов,
Пятою рабскою поправшие обломки
Игрою счастия обиженных родов!
Вы, жадною толпой стоящие у трона,
Свободы, Гения и Славы палачи!
     Таитесь вы под сению закона,
     Пред вами суд и правда - всё молчи!
Но есть и божий суд, наперсники разврата!
           Есть грозный суд: он ждет;
           Он не доступен звону злата,
И мысли, и дела он знает наперед.
Тогда напрасно вы прибегнете к злословью:
           Оно вам не поможет вновь,
И вы не смоете всей вашей черной кровью
           Поэта праведную кровь!

そして、君らよ、傲慢な子孫よ、
卑劣さで有名になった父親たちの、
奢れる足元で瓦礫を作り
運命の遊びで残った一族の!
君らよ、帝王の座の貪欲な取り巻きよ、
自由、天才、栄光の絞首人たちよ! 
    君らは法律の下で隠れていて、
    静かにしている - 真実と正義の後ろで!
しかし正義は神から来るのだ、汚職の仲間たちよ!
    恐ろしい裁判官が君らを待つ。
    彼は黄金をたたいた時の音のように心が固く、
彼は君らの未来の思考や行動を知っている。
そこで君らはうそに転じるが無益だ:
    うそは君らにはもう通じることはない、
そして、君らの黒い血は洗い流すことはできない、
    詩人の正義の血を!

脚注[編集]

参照項目[編集]

外部リンク[編集]