竇徳妃

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竇徳妃(とうとくひ、? - 692年)は、睿宗の徳妃で玄宗の母。竇誕の子の竇孝諶の娘。李淵の正妻の太穆竇皇后の同族である。

生涯[編集]

睿宗の相王時代に入侍し、孺人(皇子の側妃の位)に授されている。光宅元年(684年)、睿宗が即位し、徳妃(四夫人の一つ)にいたった。李隆基(後の玄宗)、金仙公主、玉真公主を産んだ。

載初元年(690年)、武則天が自ら皇帝に即位し、睿宗は廃されて皇嗣に格下げされる。武則天の侍女であった団児は皇嗣の妻たちが武則天を標的にした呪詛を行ったことと誣告した。長寿二年(692年)正月二日、正妃である劉氏と共に新年を祝うために宮中に参内した後、行方不明になった。武則天に秘密処刑されたと考えられる。さらに同じく側妃の唐孺人、崔孺人も皆殺された。この件に対して睿宗は落ち着いたふりをして、なんとか一命を取り留めた。その後、睿宗唯一存命の妃である豆盧氏と竇氏の妹はその遺児を養育した。

唐隆元年(710年)、睿宗が即位した同時に玄宗は皇太子に立てられた。玄宗の生母として昭成皇后に追贈された。竇氏らの遺体は発見されなかったため、招魂の形で衣冠塚が設置されている。

伝記資料[編集]