穴太門継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

穴太 門継(あのう の かどつぐ、生没年不詳)は、平安時代前期の官人は曰佐。

経歴[編集]

元慶5年(881年)5月、左衛門府生正七位上で、阿刀良縄らとともに山城摂津播磨など諸国の海賊追捕を命ぜられた[1][2]

仁和元年(885年)3月、右衛門少志で河内国の官田の管理を命ぜられた[3][2]。他の事績は不明。

官歴[編集]

日本三代実録』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』巻第三十九、陽成天皇、元慶5年5月13日条
  2. ^ a b 阿部 2009, 22頁.
  3. ^ 『日本三代実録』巻第四十七、光孝天皇、仁和元年3月8日条

参考文献[編集]

  • 経済雑誌社 編『国史大系 第4巻 日本三代実録』経済雑誌社、1901年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991094 
  • 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617