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祥妃

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祥妃(しょうひ、転写:urgungga fei、嘉慶13年(1808年)1月13日 - 咸豊11年(1861年)1月6日)は、道光帝の側室。満洲鑲黄旗の出身。姓は鈕祜禄(ニ゙オフル)氏。父は郎中久福。

生涯[編集]

道光2年(1822年)、八旗選秀により、祥貴人に封ぜられ、入宮した。

道光3年(1823年)、祥嬪に冊封された。

道光5年(1825年)、第二皇女を産むが、先天的な虚弱体質による慢性痙攣により、半年後に夭逝した。また同年祥妃に冊封された。

道光9年(1829年)、第五皇女寿臧和碩公主を産む。

道光11年(1831年)、第五皇子の惇勤親王奕誴を産む。

道光17年(1837年)、祥貴人に降格される。

道光30年(1850年)、道光帝の崩御により即位した咸豊帝により、皇考祥嬪に尊封された。

咸豊11年(1861年)1月6日)、薨去し、慕陵の妃園寝に陪葬された。

死後、同治帝により、皇祖祥妃に追封された。

逸話[編集]

自身につける宮女を度々折檻していて、それが、貴人への降格の理由だと考えられている[1]

子女[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 伴瀬明美、稲田奈津子、榊佳子、保科季子 2023.

参考文献[編集]

  • 『晋封珍貴人珍嬪冊文』
  • 『星源集慶』
  • 『清宣宗実録』
  • 清史稿』文宗本紀
  • 伴瀬明美、稲田奈津子、榊佳子、保科季子『東アジアの後宮』勉誠社、2023年。ISBN 978-4585325291