神代種亮

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神代 種亮(こうじろ たねすけ、1883年6月14日 - 1935年3月10日)は日本の校正家。「校正の神様」といわれた。名は「たねあき」とも[1]。号の帚葉は、誤字を除ける校正業を落葉掃きで譬喩したもの。七松庵とも号す。

島根県津和野町出身。松江師範学校を卒業して上京、海軍図書館などに勤務するかたわら、明治文学の研究に従事、明治文化研究会の一員であった。

校正の知識にひいでて、雑誌「校正往来」を発刊した。

永井荷風の『濹東綺譚』の「作後贅言」(いわゆるあとがき)に「神代帚葉翁」(かうじろさうえふ)として、多大の敬意をもってその生涯を回想している。ただし、『断腸亭日乗』中には批判的な記述もあり。

脚注[編集]

  1. ^ 柳田泉 「吉野作造先生と宮武外骨翁」『柳田泉の文学遺産 第三巻』 右文書院、2009年6月、p. 331。