百済河主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

百済 河主(くだら の かわぬし、生没年不詳)は、平安時代前期の官人氏姓は飛鳥戸(飛鳥部)造のち百済宿禰正五位上飛鳥部奈止麻呂の玄孫とする系図がある[1]官位正八位下太政官史生

経歴[編集]

右京の人。清和朝貞観5年(863年飛鳥戸有雄らとともに百済宿禰に改賜姓される(この時の官位は太政官史生正八位下[2][3]

官歴[編集]

日本三代実録』による。

脚注[編集]

  1. ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻9,御春朝臣
  2. ^ 『日本三代実録』貞観5年10月11日条
  3. ^ 阿部 2009, 12頁.

参考文献[編集]

  • 経済雑誌社 編『国史大系 第4巻 日本三代実録』経済雑誌社、1901年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991094 
  • 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617 
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年