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  • 弾正(だんじょう) 弾正台のこと。またその官員のこと。 百官名の一つ。律令制の弾正台における官名にちなむ。 日本の姓。佐渡地方に見られる。 弾正村 - 岐阜県本巣郡に属した村。現在の本巣市南西部にあたる。 佐渡に「弾正」姓を名乗る人々がいる。 また、熊本県上益城郡山都町にあった阿蘇氏の居館=浜の館…
    1,018バイト (221 語) - 2024年4月22日 (月) 12:19
  • 叙任され、以後、江戸時代の米沢上杉家当主は代々、弾正大弼に叙任され名乗った。ここから米沢上杉家を「上杉弾正大弼家」と呼ぶことがある。 ほかに弾正忠を自称したものでは、甲斐武田氏家臣の三弾正こと高坂昌信(逃げ弾正)、真田幸隆(攻め弾正)、保科正俊(槍弾正) などが特に知られている。 [脚注の使い方] ^…
    7キロバイト (1,103 語) - 2024年5月19日 (日) 12:59
  • 海老名弾正のサムネイル
    海老名 弾正(えびな だんじょう、改名前は喜三郎、1856年9月18日(安政3年8月20日) - 1937年(昭和12年)5月22日)は、日本の思想家・教育者・キリスト教の伝道者・牧師・説教家。小崎弘道、宮川経輝と共に「組合教会の三元老」と呼ばれた。熊本バンドのメンバーで同志社総長となった最後の人物である。…
    18キロバイト (2,125 語) - 2023年12月9日 (土) 13:37
  • 松永久秀のサムネイル
    松永久秀 (松永弾正からのリダイレクト)
    ひさひで、永正5年〈1508年〉- 天正5年10月10日〈1577年11月19日〉)は、戦国時代・安土桃山時代の武将、大和国の戦国大名である。官位を合わせた松永 弾正(まつなが だんじょう)の名で知られる。弟に長頼、嫡男に久通。 初めは三好長慶に仕えたが、やがて三好政権内で実力をつけ、室町幕府との折衝などで活躍し…
    75キロバイト (12,794 語) - 2024年10月21日 (月) 13:53
  • 島田利正 (島田弾正からのリダイレクト)
    1年)にわたって江戸南町奉行を勤め、市政の制度化に尽力した。他にも最上騒動の際の、幕府の使者として史料に名が見られる。それらの功によってか、従五位下弾正忠に任官された。武蔵国入間郡、比企郡などで5千石を領した。知恵で知られ、多くの逸話が残る。五男であるにもかかわらず、父の所領を相続した理由は、寛永1…
    4キロバイト (367 語) - 2023年10月9日 (月) 15:34
  • 春日虎綱のサムネイル
    春日虎綱 (高坂弾正からのリダイレクト)
    弾正」を称していることが確認される。この他に「香坂」姓の名乗りが確認されるのは、永禄2年11月屋代政国宛判物における副状で、早くとも永禄6年6月まで「香坂」姓を称し、遅くとも永禄9年9月までには復姓している。 仮名として弾正を名乗っていたとされ、しばしば「高坂弾正
    16キロバイト (2,471 語) - 2024年9月26日 (木) 13:19
  • 清洲三奉行 (弾正忠家からのリダイレクト)
    弾正忠家に従うようになったらしく、小豆坂の戦いや加納口の戦いに参加している。 小田井城城下の東雲寺を菩提寺とし、現在でも子孫津田氏の菩提寺となっている。 弾正忠家の元々の系譜は定かではないが、『満済准后日記』によれば、室町時代、当時の守護代である織田伊勢守入道常松の家臣に織田弾正
    8キロバイト (1,237 語) - 2022年5月24日 (火) 12:53
  • 弾正尹(だんじょうのかみ/だんじょういん)は、律令制度における弾正台の長官(かみ)である。従三位相当。職務として、非違の糾弾、弾劾を司る。二官八省から独立して監察を行う。太政大臣を除くすべての役人の不正を摘発するのが主な任務である。唐名は御史大夫。 平安時代の9世紀初頭に令外官の検非違使が設置され…
    2キロバイト (242 語) - 2024年5月19日 (日) 12:59
  • 甲斐国志 (松村弾正左衛門からのリダイレクト)
    主任である巨摩郡西花輪村(中央市西花輪)の長百姓である内藤清右衛門(字は禹昌、号は花渓)を中心に、補佐として同郡上小河原村(甲府市上小川原町)の松村弾正左衛門(諱は「善政」)が加わり、松平定能の役宅を編纂所とした。森嶋、内藤、村松の三名は定能の家臣として扱われた。…
    18キロバイト (3,226 語) - 2024年1月6日 (土) 02:57
  • 弾正村(だんじょうむら)はかつて岐阜県本巣郡に存在した村である。現在の本巣市の南西部(真正町の西部)にあたり、現在の地名は、政田、国領、浅木、温井、海老、下福島である。 地名の弾正は、この地域の荘園の名称「弾正荘」に由来する。弾正とは弾正台の役人の名称であり、平安時代末期、この地が弾正の荘園となり、弾正荘と呼ばれていたという。…
    3キロバイト (291 語) - 2021年10月17日 (日) 08:43
  • 保科正俊 (弾正からのリダイレクト)
    120騎持)の1人として活躍し、下伊那攻めや北信濃攻めに従軍した。特に槍に優れた使い手であったため、「戦国の三弾正」に数えられ、高坂昌信の「逃げ弾正」、真田幸綱の「攻め弾正」に対して「槍弾正」と称された。 武田勝頼が高遠諏方氏を継いで高遠城主となると、勝頼直臣としてその幕下に入ったとみられる。天正3…
    6キロバイト (838 語) - 2023年12月14日 (木) 05:51
  • 山路 弾正(やまじ だんじょう)は、戦国時代の武将。伊勢国の国人・神戸氏の家臣。 神戸四百八十人衆の一人・山路正幽の子として誕生。伊勢河曲郡出身で父・正幽と共に神戸具盛に仕えて、高岡城に拠る。 永禄10年(1567年)、織田信長が滝川一益を先陣に北伊勢に侵攻した際、北伊勢の諸武将はほとんど降伏する中…
    2キロバイト (279 語) - 2017年9月4日 (月) 14:23
  • 織田信長のサムネイル
    織田信長 (織田弾正忠信長からのリダイレクト)
    中世社会の最終段階」とも評され、その革新性を否定する研究が主流となっている。 織田信長は、織田弾正忠家の当主・織田信秀の子に生まれ、尾張(愛知県西部)の一地方領主としてその生涯を歩み始めた。信長は織田弾正忠家の家督を継いだ後、尾張守護代の織田大和守家、織田伊勢守家を滅ぼすとともに、弟の織田信行を排…
    289キロバイト (44,837 語) - 2024年11月5日 (火) 15:05
  • 八幡橋のサムネイル
    八幡橋 (弾正からのリダイレクト)
    八幡橋(はちまんばし)は、東京都江東区富岡にある八幡堀遊歩道にかかる人道橋。元は現在の中央区宝町の楓川に架橋されていた弾正橋(だんじょうばし)であり、「旧弾正橋」「元弾正橋」とも称される。 鉄を主材料として造った鉄橋としては日本最古のものと言われ、国の重要文化財に指定されている。名称は橋の西側に在する富岡八幡宮に因む。(注:…
    4キロバイト (500 語) - 2024年10月16日 (水) 12:40
  • 十三騎神社のサムネイル
    十三騎神社 (弾正からのリダイレクト)
    十三騎神社(じゅうさんきじんじゃ)は、秋田県南秋田郡五城目町にある神社。北弾正とその家臣12名の計13人を祀る。五城目神明社の一角にある。 五城目町に変事がある際は、白馬が鈴を鳴らしながら知らせるという伝説がある(「十三騎縁起」)。特に火事の際に現れると言われ、火伏の神の性質が大きい。…
    3キロバイト (395 語) - 2024年2月20日 (火) 02:45
  • 弾正村が発足。 1922年(大正10年) - 高等科を設置。 1941年(昭和16年) - 弾正国民学校に改称する。 1947年(昭和22年) - 弾正村立弾正小学校に改称する。 1955年(昭和30年)4月1日 - 真桑村と弾正村が合併し、真正村が発足。同時に真正村立弾正小学校に改称する。…
    4キロバイト (416 語) - 2023年11月24日 (金) 06:25
  • 弾正(さんだんじょう)は、戦国時代の大名武田信玄に仕え、弾正忠を名乗った武将の総称。武田家三弾正とも。戦国の三弾正。 逃げ弾正…高坂昌信 槍弾正…保科正俊 攻め弾正…真田幸隆 ^ 玉田玉秀斎 講演,山田唯夫 速記『真田鬼弾正 : 武田家三弾正』樋口隆文館、1911年、1-2頁。https://dl…
    1キロバイト (134 語) - 2021年10月29日 (金) 18:38
  • 小山田 弾正(おやまだ だんじょう)は、戦国時代の武将。小山田氏宗家。甲斐武田氏家臣。 知行地は甲斐都留郡境村(現:山梨県都留市境)、倉見村(現在の山梨県南都留郡西桂町倉見)にあった。永正5年(1508年)に小山田弥太郎が勝山合戦において武田信虎に敗れて討死したため、伊豆韮山城の北条早雲の下へ亡命する。…
    2キロバイト (149 語) - 2019年3月25日 (月) 03:14
  • 浦野 弾正忠(うらの だんじょうのじょう)は、戦国時代の武将。上野国吾妻郡の国衆。大戸浦野氏の当主。大戸平城主。妻は海野長門守幸光の娘とされる。諱は「重次」ともされるが出典は不明。 父は浦野真楽斎。真楽斎ら大戸浦野氏は吾妻郡大戸地区を領する国衆であり、永禄5年(1562年)頃に西上野に侵攻してきた武…
    4キロバイト (475 語) - 2022年6月12日 (日) 02:16
  • 石川光昌 (石川弾正からのリダイレクト)
    石川 光昌(いしかわ みつまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。陸奥国安達郡百目木城主。石川弾正の通称で知られる。 永禄7年(1564年)、百目木城主・石川有信の子として誕生。百目木石川氏は塩松石橋氏の重臣で、三芦城主陸奥石川氏の庶流(第17代当主満朝の三男・盛光を祖とする)であり、光昌…
    3キロバイト (344 語) - 2015年11月29日 (日) 15:16
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